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命の数

命の数の不変の不思議 春 たくさんの命が生まれが、瞬く間に失われていく。その数の仕組みとは

 暖かな日差しを浴びて、僕は目を覚ました。

 ようやく、僕も一匹のカマキリとして、生きていく日が来た。卵の皮を破り、僕は、這い出た。僕の体を踏みつけるやつがいた。それも、一匹ではなく、何十匹もだ。

 僕のたくさんの兄弟たちも、一斉に目覚め、一匹のカマキリとして生きていく。しかし、全ての兄弟が、みんな親カマキリになるわけではない。みんながみんな親カマキリになってしまったら、この世界は、カマキリだらけになってしまう。


 たくさんの兄弟たちはいるが、僕たちには親はいない。昨年の秋に、この卵を産んでから、死んでしまったのだ。だから、誰も僕たちに、生きる方法を教えたりしない。

 何億年の歴史に裏打ちされた、われらカマキリの生き方を生きるだけだ。

 もし、僕が、バッタとり名人になったとしても、その技術を伝承する術はない。


 僕は、今日生きるためにまず、エサを探さなければならない。僕たち、赤ちゃんカマキリの体もとても小さく、鎌も小さい。脚なんか、蜘蛛の糸のように細い。

 僕たちが食べるバッタの赤ちゃんもまるで、小さなゴミのようだ。しかしそれは、僕たちにも、食べられる柔らかさだ。


 僕たち、カマキリは、草を食べて生きていくわけにはいかない。バッタを、他の昆虫の命を奪って生きていくのだ。

 しかし、僕たちの成長とともに、僕たちの兄弟の命も次々と失われていく。ごく一部の僕たちが生き残るために、僕たち同胞の命を失っていく。まるで、僕が生き残るために、バッタの赤ちゃんを食べると、他の動物が、僕の同胞のカマキリを食べているのだ。


 命の交換。

 命の数の交換。

 死んでいく同胞の数と、僕が生き延びるために、奪う命の数は、同じなのだろうか。


 何億年の歴史の中で、契約した僕たちが生きながらえる命の数は、決まっているのだろうか?


僕が、一生涯にたべる他の命の数 僕たちカマキリが生きる為に食べた他の生物の命と数と同じだけの数の卵を秋に産んでいくのだろう。命の数が、不変であるために

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