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屍体写真  作者: 小岩井豊
3/13

一話

 左手にサインペン、右手は握手用。口元には柔らかい笑み。

 それだけで充分だ。

 笑顔で歓迎し、感謝の言葉を口にし、差し出された色紙やフォトブックにサインを書き、握手を求められれば快く受け入れる。ただその繰り返しだった。

 笑顔、サイン、サイン、笑顔、たまに握手、サイン、それから――。

 今日ほど簡単な仕事はない。俺は今日、俺のために集まってくれた彼らに申し訳ないと思っている。いや、今日だけではない。今まで俺に期待してくれた彼らや、惜しみなくおべっかをくれた彼女らや、身の丈以上の評価をくれた人々に、心の底から頭を下げたい。俺の仕事……いや俺の写真は、とっくの昔に汚れてしまっているのかもしれないのだから。



 グループ写真展というのをプロになって以来、久しぶりに開いた。同期同然の三人のフォトグラファーと結託し『首都圏散歩、町の人、隠された魅力』をテーマに、ある種チャリティーの形で臨んだ展示会だった。

 当初俺はこの展示会には顔を出さないつもりでいた。それは極めて個人的な理由だったが、他の作家には「広告の仕事で地方へロケハンにいくから」と嘘を吐いた。その代わり、展示会の準備には人一倍力を入れたつもりだ。

 ところが、作品の納品と打ち合わせのためにスタジオを訪れたとき、経営者に「ぜひサイン会の場を設けてもらえませんか」と持ちかけられたのだ。

 本当は断るべきだった。しかし昔からの悪い癖で、「一日だけでしたら」と承諾し、経営者やスタジオマンを大いに喜ばせることとなる。

 いつからだろうか、と俺は心の中で頭をひねる。サインペンを紙面に走らせ、『梶原守サイン会』の貼り紙を見つめながら、ふと考え込む。

 いつからか、俺は彼らの喜ぶ顔に後ろめたさを覚えるようになっていた。彼らに対して嘘を吐いていることについて、謝罪を述べたい気分でいる。

 あるいは今さらになってこんな感情を抱くことこそ間違っているのだろう。嘘なら口角が麻痺するほど吐いてきた。何かを懺悔するにはもう、今の俺では遅すぎるのかもしれない。



   ◆◆◆



 才能の話をする。

 俺は小さいころから人を笑わせるのが得意だった。特にお調子ものというわけじゃなかったが、誰も思いつかない言葉を使い、面白いものをさらに面白くさせるのがうまかった。それを才能と呼ぶにはお粗末なレベルだったかもしれない。だけど俺は自信があったし、周りもそれとなく認めていた節があった。事実そういう意味では俺はクラスで人気を集めていた。

「お前が写真を撮ると、みんな良い笑顔で写るな」

 親や教師から、そんな風に言われることがあった。将来はお笑い芸人だとか、ラジオのDJだとか、そんな誉め言葉よりは一層リアリティがあって嬉しかった記憶がある。

 思えば、写真を撮る者としての自意識はそこで芽生えたのだろう。そして自分と周りとの間に齟齬が生まれ始めたのも。

 才能は、必ずしも望んで得られるものではない。俺がいい例だ。むしろ欲しくもない才能を授かることだって、ときにはあるわけだ。

 小学校高学年にもなると、行事などの際に写真係を任せられることが当たり前になってくる。俺は快くその役割を引き受けたし、与えられた仕事には最善を尽くした。そして、撮った写真はいつも皆を楽ませた。学園祭では、俺の写真ばかりを集め、間仕切りいっぱいに貼った『○年×組の思い出』というコーナーも作られた。人生初、公への写真展示だった。

 俺はまだまだ子供で、訳も理由も分からず、それが嬉しくてたまらなかった。一体それの何が自身の満足につながっていたのか、想像も及ばなかった。



 中学生になると、貯めに貯めたお年玉でフィルムの一眼レフを買った。むろん部活は中高一貫して写真部に所属した。中学高校ともに、写真コンペのジュニア部で何度も賞を受け、全校集会で表彰された回数も数え切れない。

 そこで、『人を笑わせること』の次に実感した才能が『写真を撮ること』だった。そして、この才能を利用することを無意識ながら実行していたのだった。

 この二つは密接に関連しており、プロとなった今でも有益に働いている。

 ユーモアは重要なコミュニュケーションの一つだ。クライアントとの交渉はもちろんのこと、そもそも写真は機械と人、あるいは風景ではない。カメラはあくまでその間に挟まれた手段に過ぎない。俺が対峙すべきはカメラではなく、その向こう側、人だったり、物であり、風景なのだ。今でもその心構えは忘れていない。家宝の玉でも磨くように対象物に対応しているつもりだ。

 だけど、今になって確信していることがある。

 俺は決して、写真を撮ることや人を笑わせることを、楽しんでいたわけじゃない。本当に撮りたいものも、喜ばせたい人も、俺には何一つなかった。だから不思議なのだ。いったい自分は何に突き動かされてこんなことを続けているのだろうと。



 そういえば、こんなことがあった。中学時代の遠い記憶だ。

 俺は深夜になって自宅を抜け出し、買ったばかりのフィルム一眼を提げて意気揚々と表へ駆けだしていた。本当に撮りたいと思える被写体が見つかったのだ。それは偶然、学校帰りで寄り道しているときに見かけた。

 墓だ。それも全く見知らぬ他人の。

 それは住宅街の一角にひっそりと佇む小さな墓地で、近隣の住民で共有している土地のようだった。深夜、そこへ忍び込もうと画策したのはそのせいで、違法侵入まがいのことをしている自覚があったからだ。その罪悪感はややズレたものだった。『墓を撮る』という行為そのものには、何の倫理も不足していないと思っていたのだ。

 とっくに住民は寝ているだろうと考え、他人の墓へ向けてフラッシュを焚く。のべつまくなし、フィルム残数がなくなるまで撮った。それが良くなかったのだろう。フィルムを交換しようというとき、寝間着姿の中年に肩を叩かれた。

「なにをしているんだ、きみは」

 その目には余所余所しさが混じっている。気味の悪いガキを見た、という色だ。

「勝手に入ってごめんなさい」

 流石に冗談も通じない様子なので素直に謝った。「そうじゃない」と中年は首を振る。

「なぜ墓なんか撮ろうと思った? 肝試しか。心霊写真でも欲しいのか」

 その問いには、肝試しと答えてくれ、という意図が込められていたのだなと、今になって思う。だが当時の俺にそんな思惑を察する余裕はなかった。

「ただ撮りたいと思って、撮りました」

 そう答える。紛いなき本心だった。

 中年は神妙な顔つきをすると、俺の手を引き、自分の家へ入っていった。どうも中年は近所の寺院の住職らしかった。俺を居間へ正座させ、深夜にも関わらず熱心に、粛々と説教をしてくる。墓を撮影するということが、どういうことか。

「きみだって、許可もなしに勝手に写真を撮られたら嫌だろう」

「嫌かも、しれないです」

「それと同じだ。墓も嫌がっている。あそこには亡くなられた方々の霊が宿っている。何かしらこの世に無念を感じてそこに残っている者も多い。だから我々は彼らを気遣い、供養してあげなければならない。なのにどうだろう。写真とは本来、一番いい状態、一番いい笑顔で写るものじゃないか。つまりきみのしたことは彼らを裏切ることと同じだ。死人に口無しなのをいいことに、無許可にシャッターを切ったんだ」

 俺には、彼の言うことがいまいち的を得ていないように感じられた。反論すべき違和感はいくつも浮かんだ。だけどそれを口にする度胸もなく、ただ叱られているというその状況に震えるばかりだった。住職はそれで安心したのだろう。自分の行いを反省しているのだと思いこみ、二十分ほどの説諭ののち俺を解放した。

 事実、本人は何も反省していなかったにも関わらず。



 数日が経ったある日、俺は母親にとある広告紙を見せた。墓石の販売PRで、新聞に折り込まれていたものだ。それを指さし、「墓って撮っちゃだめなものなんだよね?」と半ば問いつめるようにしていた。母はひどく返答に困った様子だった。なんでそんなことを鬼気迫った様子で訊いてくるのかというような。大儀そうに答えたのは父だった。

「プロの人ならいいんだよ。しかもそのお墓、新品だろう? 商売のためなんだし、仕方ないだろう」

 その言葉を聞いたとき、胸の中が熱くなった。そうか、プロならいいんだと。

 そういえばと、あることを思い出す。

 以前、週刊雑誌であるプロの写真家がインタビューに応えていた。アフガンやシリアといった戦場の地を主に活動する、世界的に有名な撮影専門のジャーナリストだ。

 彼は言う。凄惨な戦地をあえて撮りにいくのが僕の仕事なのだと。倒壊した建造物も、大火に焼かれる木々も、そこに横たわる惨い死体も、その全てを撮ることが仕事なのだと。

 ゆえに、社会へ向けて『リアル』を伝えるため。それによって考えてくれる人、動いてくれる人を増やすため。それが僕の『使命』であり『正義』なのだと。そのためなら、僕は自分の命を秤にかけたって構わない。そう彼は紙面で語る。

 俺は笑い出しそうだった。

 ものは言いようって、こういうことだったのか。

 使命。

 正義。

 それが仕事だから。

 なんて便利な言葉だろう。たしかに彼の仕事は多くの被害者を救済に導き、数多の怠惰者を更正させているかもしれない。確実に社会のためになっている。立派な貢献者に違いない。

 ただ、俺のように受け取ってしまう人間もいるということを、彼は自覚しているのだろうか?

 それからというもの俺は、身体の奥でうずく何かを放出するように、人知れず行動していた。町が静まり返るごと、深夜の路上へ出かける。今度こそ見つからないよう慎重に。フラッシュを焚かないよう三脚まで用意して。

 いつしか、プロになるという決意は確個たるものとなっていた。それもスマートに、日の目を浴びるような根明な人物として、他人に認められながら。

 俺は、自分が撮りたいものを好きなだけ撮る『権利』を手にする。

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