資料 : K新聞社 / S・T社 / 携帯SNSアプリ / U社
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「K新聞」全国版:昨年2/15 朝刊
神奈川県警は14日、N市H町の山中から一部白骨化した状態で見つかった遺体をDNA鑑定した結果、身元はこの町にペンションを持つ父親(46)と別居していた長女(21)のものと判明した。遺体の損傷が激しく死因は明らかではない。
県警は、現在怪我のため入院中の父親が事情を知っているとみて、回復次第、事情を聴く方針。
県警は被害者の長女をはじめ、22歳と発表していたが、遺体が死後二か月から四か月が経過していたことから、長女が12月下旬の誕生日を迎える前の21歳の時点で死亡したと断定。
長女は高校生の頃からモデル活動をしており、高校三年から大学生の現在まで服飾系雑誌などに出演していた。そのため多忙で父の住む実家には滅多に帰らず、町民が昨年一月、祖母の葬儀に長女と父親が一緒に参列しているのを見たのが最後だった。
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「S・T新聞」神奈川版:今年1/7 夕刊
●昨年の神奈川・実娘殺害事件 差し戻し公判
平成×年の神奈川県T市、実娘殺害事件で、殺人死体遺棄の罪に問われ、一審の死刑判決を高裁で破棄された窓辺伸和被告(46)の差し戻し審初公判が5日、横浜地裁で開かれた。検察は改めて死刑を求刑。
弁護側は無罪を主張。東京高裁も「状況証拠だけで有罪判決は難しい」と判断した。検察側の新証拠提出も困難を極める。
事件は昨年二月に発生した。N市山中で発見された遺体は、鑑定により神奈川県真白ヶ丘市に住む女性と判明。女性は窓辺被告の娘で、モデル活動をしていたTさん。
当時、N市在住の窓辺被告が逮捕、起訴された。
被告は無罪を主張したが、事件当時、現場付近に居合わせた住民の証言などの間接事実を根拠に、検察は死刑を求める。一審は懲役30年を言い渡すも、二審・東京高裁は「遺棄現場は被告の自宅に近く、目撃証言だけでは証拠になりえない。また殺害事実、動機も不十分で認められない」と指摘。
現在、被告と事件とを結びつける直接的な証拠がなく、高裁は遺留品の鑑定し直しの必要があると述べた。
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「週刊S」U社:今年4月25日刊行
◆子殺しの冤罪疑惑の被害者から一転、新証拠により男が見せる「裏の顔」
事の発端は某市、某温泉街近くの山中で発見された女性の遺体だった。
逮捕された窓辺伸和は某温泉街の活性化につとめるペンションオーナーだった。逮捕当時、娘殺しの犯人として報道線に上がったとき、世間を大いに騒がせたのは記憶に新しい。
検察側の出した死刑求刑は、街中の経営者仲間を立ち上がらせた。彼の人柄から実の子を殺すはずがないと、無罪を訴える大がかりな署名運動が始まったのである。
しかし、一連の出来事は歪曲した方向へと進んでいく。
窓辺伸和は札幌出身。大学卒業後に上京し、サラリーマンとして日々研鑽を積み、その後脱サラ。某温泉街において親類の経営するペンションを継ぎ、オーナーへと成長する。町の住人への人当たりもよかったという。
が、地元札幌の同窓生は語る。
「一見おだやかな人物だけれど、彼のことを知る友人は毎日びくついていました。噂によれば違法経営の客引きアルバイトをしていたらしくて、たびたび暴力団組員の影をちらつかせていました。噂はしょせん噂かもしれないけど、障らぬ神にたたりなしですから」
また、サラリーマン時代の同僚もこう証言する。
「仕事もそつなくこなすし、特に営業では相手先を口車に乗せるのがうまかった。ただ、女性に対してひどくコンプレックスを持っているようでしたね。彼の娘、事務所売り出し中のファッションモデルなんだって? そりゃ、何かしら渦巻いた怨念も生まれるんじゃないですか。シャイとか恐怖症とかじゃなく、過剰偏見といいますか。異性を見下したり崇拝したりと、その豹変振りを前々から恐ろしく感じていました」
窓辺伸和のペンションには猫が数匹住みついており、それを売りとしているところもあった。実際経営も上場であったという。
こう書くと、動物を愛する中年オーナーのほのぼのとした光景を思い浮かべるかもしれないが、これについても宿泊経験者は苦虫を噛みつぶすように語っている。
「夜中トイレに行こうと思ったら、フロントの方が騒がしかったんです。なんだろうと覗いてみると、どうやら従業員の男性と一悶着していたようで、内容は放し飼い状態の猫に関してでした。餌だの糞だのがどうだのって。そのときはべつだん気にしなかったんですが、翌朝、一階に降りたとき、オヤッと思ったんです。なんとなく、猫の鳴き声が少ないような……」
また、窓辺伸和の一人娘・千明(これは芸能活動に使用する偽名で、本名は千佳というらしい)はモデルとして当時テレビ出演のスケジュールもあったそうだが、彼女が世間の脚光を浴びる前に亡くなられたことを不憫に思う。
そして本誌は衝撃的な情報を得た。今年四月未明、神奈川県警宛に、差出人不明の一通の封筒が届いたというのだ。差出人不明の時点で奇妙さることながら、そこに入っていたものに、捜査陣は度肝を抜かれる。
同封されていたのは四枚の写真だった。現時点では、写真の詳細は秘密裏に扱われているが、この直後、県警が窓辺を再逮捕し、彼も手のひらを返したように犯行を認めたことから、その写真が殺害を裏付ける決定的な証拠であることは明白であろう。これが衆人のもとに晒されるのも、おそらくは時間の問題だ。
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携帯SNSアプリの個人チャット
4/25(月)23時頃
吉村浩介:≪不在着信≫
吉村浩介:電話出ろよ咲子さん。忙しいの?
さっきぃ:いや別に
さっきぃ:話すのめんどい
吉村浩介:打つ方が面倒でしょ笑 まあいいや
吉村浩介:週刊S見た?
吉村浩介:覚えてるかな、U社のやつ
さっきぃ:吉村くん愛読の超うさん臭いあれですか
さっきぃ:なんか面白い記事あった?
吉村浩介:去年の2月ごろだったかな。ペンションのオーナーが実の娘を殺した事件があってね。その父親、一度は被疑者として名前が挙がったんだけど、証拠不十分で一度は不起訴になったんだ。それ以来、新たな容疑者の候補も出ず、もう一年が経った。
吉村浩介:だけど今になって、すごいことが起こったのさ
さっきぃ:あ、知ってるかも。殺されたのって、人気上昇中のモデルだったあの子だよね
さっきぃ:なんつったっけ
さっきぃ:そうだ千明だ、千明! あー思い出した すっきり
さっきぃ:おやすみ
吉村浩介:おい
吉村浩介:おい
4/26(火)21時頃
吉村浩介:なんと!
吉村浩介:今の今になって、警察署に犯行を決定づける証拠品が送り付けられてきたのさ
さっきぃ:ごめん、何の話?
さっきぃ:あ、昨日の続きか
吉村浩介:その証拠ってのがどうも曲者でね
吉村浩介:数枚の写真らしいんだ。どんなのが写っていたのか週刊Sも分からないらしいけど、おそらく、犯行当時、窓辺伸和と被害者の娘が一緒に居た現場が激写されていたに違いない
吉村浩介:しかもその写真、差出人が不明なんだって
吉村浩介:すごいだろ、こんなことってあるか?
吉村浩介:わくわくするよねー
吉村浩介:ねえ咲子さん
吉村浩介:ねえ
吉村浩介:既読ぐらいつけろよ!
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とある隔月誌より
◆P34
インタビュー2/フォトグラファー/梶原守さん
プロフィール:19××年埼玉生まれ。H大学経済学部を卒業後、株式会社Aに就職。数々の公募受賞を経て200×年、フォトグラファーとして独立。『fast』、『廃扉』、『素顔』など写真集を多数出版。
現在、雑誌や広告などの撮影を主に活動中の梶原さん。作家としても、写真集制作、個展開催と彼の活躍は幅広い。鮮烈なリアルを写真に込める、いま最も注目すべき写真家の一人です。今回はそんな彼の人柄に触れていきたいと思います。
◆P35
――梶原さんのご出身は経済学部とのことですが、写真を始めた経緯はなんだったんですか?
非常に難しい質問ですが、本格的に始めたという意味であれば、やっぱり高校のとき所属していた写真部がきっかけでしょうか。当時、コンパクトデジタルカメラが流行りでしたが、顧問の先生が生涯フィルム一眼レフ一本という方でした。その影響か、僕も興味を持ちまして、ちょうど叔父がニコンの一眼レフをいくつか持っていたので度々拝借させてもらっていました。
(中略)
――ちなみに写真集『素顔』では、コミカルとシリアスの融合を感じました。ところでこの一枚(※1)、左に写っている被写体は梶原さんご自身ですか? また、この発想のきっかけを教えてください。
そうですね、僕です(笑)。
殴られるのと水をぶっかけられるの、二つ同時にやられたら人間はどんな顔をするんだろうと思って。そんな、ある種下らない発想からのスタートです。
(中略)
◆P38
――普段ご使用のカメラで、デジタルとフィルムの割合を教えてください。
僕の場合、仕事、自主制作、プライベート、と三タイプに使い分けています。仕事は100%デジタルです。シチュエーションによりけりですが、ライティングにも神経質にならずに済むので、のびのび仕事ができます。経費削減にも繋がりますし、クライアントさんのご希望には応えたいですから、やっぱりここに落ち着きます。
自主制作はフィルム半分、デジタル半分です。プライベートはほとんどがフィルムですね。ただ、自分の中で表現媒体に差別はありません。それぞれにメリットと可能性があるので、とても一線は引けません。
――本日はどうもありがとうございました。最後に、梶原さんにとっての写真とは?
自分の中に溶け込んでしまっているようなものなので、なんとも……。仕事でもない、趣味でもない、石ころみたいにそこに転がっているような。たぶん、皆さんが思う写真の存在と、ほとんど同様ではないでしょうか。もし、人間の瞼にシャッターがあって、頭の中にフィルムが内蔵されているような世界だったとしても、僕の生活は変わらないと思います。
そうですね。
それでも、あえて一つだけ述べるとしたら――
平成○年11月10日発行 U社
隔月誌「デジタル・フォト」P34~38より