冤罪で処刑された翌日、俺を殺した国に勇者として召喚された
謁見の間を出てから、何度も腰の剣を見下ろしてしまう。
王から戦功の褒美として賜ったものだ。帰ったら、一緒に戦ったあいつらに見せてやろう。俺が王に褒められたなんて、口だけじゃ信じない奴もいるだろうし。
「その剣、フレディ様にお似合いじゃない?」
声の方を見ると、王太子フレディと、その婚約者のアーニャがいた。アーニャは俺の腰を指している。
確かに、王太子が持っていてもおかしくない剣、俺には立派すぎるくらいだ。
「アレス、少し見せてみろ」
フレディが手を差し出した。
見せるくらいなら構わない。剣帯から外して渡すと、フレディは鞘から抜き、刃の模様を眺めた。
「悪くないな。次の式典ではこれを使おう」
「ね。そう言うと思ったわ」
次の式典? いや、待て。そこで使うつもりなのか。
「……殿下、お返しいただけますか」
「何だ?」
「その剣です。陛下から賜ったものですので」
王からいただいて、謁見の間を出たばかりだ。今日、俺が腰につけて歩けたのなんて、ほんの少しじゃないか。
「誰に向かって返せと言っている」
「お見せしただけです。お譲りしたわけではありません」
「私が使うと言っているんだ。聞こえなかったか?」
……何で、俺の方が怒られるんだ。
誰に向かって、って。あんたに決まっているだろう。ほかに誰が俺の剣を持ってるんだ。
鞘へ戻して、もう自分の腰に当てている。アーニャまで嬉しそうに頷いているし、俺の物じゃなくなってるみたいだった。
まずい。ここで腹を立てたら、本当に返してもらえなくなる。俺は頭を下げた。
「申し訳ありません。ただ、その剣は――」
「さっきから何なの、この人」
顔を上げると、アーニャが俺を睨んでいた。
「フレディ様が気に入ってくださったのに、そんなに嫌なの?」
「私を馬鹿にしているのか。わざわざ頭まで下げて、嫌味のつもりか」
「俺は、剣を返していただきたいだけです」
「まだ言うか!」
……頭を下げても駄目なのか。
「何の騒ぎだ」
兵を連れてきたのは、騎士団長のノイッシュだった。
よりによって、こいつか。
俺が戦功を褒められるたびに、自分の指揮があったからだと言いに来る。王から俺に褒賞を下さることが決まってからは、挨拶まで無視するようになったくせに、こういうときだけは寄ってくる。
こいつが俺の肩を持つはずはないが、せめて、どうしてこうなったかくらいは説明させてほしい。
「この人、フレディ様に剣を返せってしつこいの」
「見せろと仰ったので、お渡ししたんです。それを――」
「殿下が欲しいと仰せなら、差し出せば済む話だろう」
ノイッシュは俺の前に立ち、顔を近づけた。
「多少の手柄で思い上がったか。不敬に当たるぞ」
「陛下からいただいた剣を返してほしいと言うのが、不敬ですか」
「その口答えが不敬だと言っている!」
ノイッシュが顎で指すと、兵が俺の両側に回り、腕を掴んだ。
……腕まで掴まなくてもいいだろう。逃げたりしない。
「任を解く。連れていけ」
待て。任を解かれるのか、俺が?
何でそんなことになる。剣を返してもらう話だっただろう。
振り返れば、アーニャが柄を撫でている。
こっちを見もしないのか。
*
翌朝、牢から出された俺は、再び謁見の間へ連れていかれた。
「王太子フレディの暗殺を企てた罪により、死罪とする」
暗殺? 何だ、それ。王太子を、俺が?
しかも死罪って、今、そう言ったのか。
「……何かの間違いです。俺は剣を返してほしいと」
「返さぬなら、殿下を殺してでも取り戻す。そう申したのであろう」
言ってない。誰がそんな話をした。
フレディか。
あいつの腰に、まだ俺の剣がある。あれを見れば、王にも分かるはずだ。昨日、俺に下さった剣だぞ。どうしてあいつが持っているのか、おかしいとは思わないのか。
「殿下、俺はそんなことを言いましたか」
フレディはわずかに顎を上げた。
「今さら取り繕うな。はっきり聞いたぞ」
何を聞いたっていうんだ。
「アーニャ、あんたもそこにいただろう。俺がいつ、殺すなんて言った」
「聞いたから、陛下にお話ししたのよ」
駄目だ。ならノイッシュは――
「あんたが来た時だって、俺は剣を返せとしか――」
「陛下、御覧のとおりです。殿下への殺意を指摘されても、剣のことばかり口にしております」
ノイッシュは俺を見ようともせず、王に頷いている。
こいつも、その話に合わせるつもりなのか。
「全員、嘘をついているんです! あの剣を見てください。昨日、俺にくださった剣です!」
見ればわかるだろう、とそのときは本気で思った。
「……剣の話は、もうよい」
「それを返してほしいと頼んだだけなんです!」
「余の息子だけでなく、証人まで嘘つき呼ばわりするか」
王は兵へ目を向けた。
「連れていけ」
……見もしない。
その日のうちに、俺は処刑台へ引き出された。
脅しじゃなかった。
逃げようと立ちかけたところを押さえつけられ、首を台に載せられる。
「待ってくれ。頼む、もう一度話を――」
首の後ろに刃が食い込み、声が途切れた。
*
……息ができる。
首もある。触れるし、傷もない。
ここ、どこだ。
牢じゃない。処刑台でもない。床の紋様が光っているが、こんな場所には来たことがない。
「せ、成功です! 勇者様が召喚されました!」
神官が俺の後ろへ呼びかけた。
「勇者殿。どうか魔王軍から、我が国をお救いくだされ」
振り返ると、王がいた。ノイッシュも、フレディも、アーニャまで。
また捕らえられるのか。せめて立たないと。座ったまま押さえられたら、今度こそ――。
床に手をついて立ち上がると、王が目を見開いた。
「アレス……?」
何で王の方が驚いている。
「なぜだ。昨日、確かに首を落としたはずだ!」
ノイッシュの声だった。
昨日。やっぱり夢じゃない。本当に、俺は一度殺されてる。
「お知り合いなのですか?」
神官が俺と王を見比べた。
「この方こそ、我らが召喚した勇者様ですぞ」
「……こいつが、勇者?」
フレディが下がった。腰には、まだあの剣がある。
アーニャがその腕を掴み、彼の後ろへ身体を寄せた。
「何をしている。そいつを捕らえろ!」
ノイッシュの声に、そばの兵へ目をやった。
またか。
昨日は、何を言っても聞いてもらえなかった。今度も腕を押さえられたら、そのまま連れていかれる。せっかく生き返ったのに、もう一度あの台に乗せられるなんて冗談じゃない。
そばの兵が来るなら、まずその腕を――。
……来ない。
槍を持ったまま、立っている。隣の兵もそうだ。
聞こえていないわけじゃないよな。こんなに怒鳴っているんだから。
「聞こえなかったのか。アレスを捕らえろと命じたんだ!」
それでも動かない兵の代わりに、神官が俺の前へ出た。
「お控えください。この方は勇者様ですぞ」
「だから何だ。そいつは王太子の暗殺を企てた罪人だ」
「王も従うべき御方に、騎士団長が縄をかけるおつもりか」
……王も従う?
神官の背中が邪魔で、王の顔がよく見えない。少し横へ寄ってみても、兵は俺を押し戻したりしなかった。
王も否定しない。
「国の存亡を託すためにお迎えしたのです。まずは陛下から礼を尽くされよ」
王が、俺に頭を下げた。
……昨日は、話の途中で連れていかせたくせに。
フレディは何か言いたそうだが、王に止められている。兵まで敬礼をしているし、今ここでおかしな真似をしているのは、俺を捕らえろと騒いでいるノイッシュの方らしい。
「ふざけるな。こいつは罪人だろうが。勇者というのは何かの間違いだ」
ノイッシュが神官の脇を抜け、俺の目の前まで来た。
「誰が、罪人だって?」
「殿下を殺してでも剣を取り戻すと、お前が言ったのだろう」
「そんなこと、俺は言っていない」
いつまで言い続ける気だ。
俺がそんなことを言っていないのは知っているだろう。ここまで来ても、まだ同じ嘘で押し通せると思っているのか。
「お前は俺の部下だ。口の利き方を――」
もう、黙れ。
俺は拳を振り抜いた。
淡い光をまとった拳が口元を捉え、ノイッシュの両足が床から浮いた。背中から落ちた身体が床を滑り、離れたところで止まる。
……飛んだ。
「貴様……!」
ノイッシュは起き上がろうとしているが、腕が震えている。背中から落ちた音もひどかった。
口の血を拭い、近くの兵を睨んだ。
「何を見ている! 騎士団長に手を上げたんだぞ!」
「今日で騎士団長は終わりだ」
「何だと?」
「任を解くと言ったんだ」
ノイッシュが片膝を立てた。起き上がるのかと思ったら、手は腰の剣へ伸びている。
「俺を誰が任じたと思っている。そんな勝手が――」
「剣を取り上げてくれ」
そばの兵は迷わずノイッシュへ向かった。
腕を掴まれたノイッシュが振り払おうとしたが、別の兵が反対側から押さえる。腰の剣を外され、襟についていた騎士団長の徽章まで取り去られた。
「よせ。それに触るな!」
徽章を持つ兵へ手を伸ばしても、押さえられた腕は届かない。
ノイッシュは肩をよじりながら俺を睨んだ。
「俺を外して、誰が騎士団を指揮する。お前にできるのか」
「後任は選ばせる。お前は一般兵として、魔王軍との最前線へ行け」
前線には人が要る。俺だって、そこで戦ってきたんだ。あんただけ、役目を失ったら家へ帰れるなんてことにはさせない。
「……一般兵だと?」
「そう言った」
「待て。俺を、そこらの兵と同じに扱うつもりか」
……そこが、そんなに嫌か。
最前線へ行くことより、普通の兵として扱われることに、先に引っかかったんだな。
「俺がどれだけこの国に尽くしてきたか知っているだろう。砦を守り、戦を指揮してきた。その俺を一兵卒にするなど、兵にも示しがつかん」
国のために尽くしてきたことは知っている。砦を守った話も、指揮を執った戦の話も、何度も聞いた。
俺が褒められるたびに聞かされたんだから、覚えているに決まっているだろう。
「俺だって、国のために戦ってきた」
「分かっている。お前の働きは、俺も認めて――」
「その俺を、嘘をついて殺させたのはお前だろ」
そこは答えないんだな。
ノイッシュがフレディへ顔を向けると、あいつはアーニャと一緒に下がった。
「最前線には送る。指揮をする立場でも、護衛される立場でもない。お前自身が戦え」
ノイッシュが兵の手から抜けようと身じろぎした。
「せめて、部隊を預けろ。俺を使うなら、その方が役に立つ。そうだろう。指揮を執らせれば――」
「一般兵と言っただろ」
「陛下!」
声が裏返った。
ノイッシュは俺から顔をそむけ、王へ身を乗り出した。
「お止めください。これでは、あまりにも……私は陛下の御命令に従ってきたのです!」
王が顔をしかめた。
「ノイッシュ。勇者殿の御裁定である。従え」
ノイッシュも、こんな返事が来るとは思っていなかったんだろうな。口を開けたまま、王を見ている。
もう一度呼びかけようとしたところを、王は手を上げて遮った。
「下がっておれ」
兵の一人が、ノイッシュの腕を引いた。
「歩け、ノイッシュ」
兵は、もう団長と呼ばない。睨みつけられても、頭を下げずに腕を引いた。
外された徽章が神官へ渡るのを、ノイッシュは目で追っていた。神官がそれを懐へ収めると、ようやく顔を伏せた。
王が息をついた。
「行き違いもあったようだが、あの者の処遇は勇者殿にお任せしよう」
行き違い?
俺は殺されたんだぞ。
「さて、そなたに頼みたいことがある。魔王軍の侵攻によって、我が国は今――」
「待て」
王は口を閉じた。
「俺を処刑しろと命じたのは、あんただろう」
王が、兵に押さえられたノイッシュへ目をやった。
そっちを見るな。あんたに聞いているんだ。
そいつが嘘をついたことは、もう分かっている。俺が聞きたいのは、その話を信じて、俺を殺せと命じたあんたのことだ。
「……報告に誤りがあったのなら、調べ直させよう。あの者には厳しく責任を問う」
「昨日、そいつらは嘘をついてるって言ったよな」
「騎士団長と王太子の証言が一致していたのだ。余とて、偽りとは思わぬ」
「俺の話は、嘘だと思ったんだろ」
王は口を開きかけたが、何も言わなかった。
「アレス。お前の働きは覚えている。だからこそ、あの剣も授けたのだ。名誉は回復する。望む褒美も取らせよう」
王が侍従を呼んだ。
「勇者殿の部屋を用意しろ。必要な物は、すべて揃えよ」
侍従が俺へ頭を下げ、出口を示した。
……俺が出ていくのか?
そちらへは向かわず、王の前へ立った。
「王を辞めろ」
「……何を申しておる」
「無実の人間を処刑した責任を取って、牢に入ってもらう」
「牢だと……? 待て、余が王位を退けば、この国はどうなる。魔王軍が迫っているのだぞ」
「国のことを考えるなら、引き継ぎに必要な話をしろ。牢でも話はできる」
兵に連れていくよう命じると、今度も動いた。
近づいてきた兵に、王が手を振る。
「触れるな! まだ話は終わっておらぬ!」
王に触れるなと怒鳴られたら、さすがに足が止まるか。
だが、逃げ帰りはしない。俺の方を見ている。命令を取り消すか、確かめているんだろうか。
そのまま連れていってくれ。俺は本気で言っている。
頷くと、兵は王の腕を取った。
「アレス、聞いてくれ。お前を陥れた者は必ず裁く。余に任せるのだ」
「だから、あんたもその一人だと言ってるんだ」
腕を引かれた王が足を踏ん張った。
「フレディ。何をしている。止めさせろ!」
息子に助けを求めてどうする。
フレディがこちらへ歩いてきた。王がそっちへ身体を向ける。俺を止めに来たと思っているんだろうな。
だが父親の前を素通りして、俺の前に膝をついた。
「勇者様。父の判断には、私も遺憾の意を抱いております」
「……フレディ?」
「私が王位を継いだ暁には、勇者様に絶対の服従を誓います。どうか、この国のためにお力添えを」
兵が王の腕を引いた。
「フレディ!」
フレディは頭を下げたままだった。
王の声が廊下へ遠ざかっていく。
「その剣を返せ」
俺が頼んだのは、もともとそれだけだったんだ。
「もちろんです。本来、あなたの物ですから」
フレディは腰から剣を外し、両手で差し出した。
受け取ると、鞘を握る手に重みが戻った。
「私にできることがあれば、何なりとお申し付けください。必ずや、ご期待に――」
「もういいでしょう、勇者になれたのだから。私たちのおかげじゃない」
今度はアーニャまで。お前たちの、おかげ?
……何を言っているんだ、こいつ。
「剣も戻ってきたんだし。フレディ様だって、ここまでおっしゃっているのよ」
俺はアーニャへ顔を向けた。
「もう済んだことを、いつまでも――」
「俺を殺しておいて、よくそんな事が言えるな」
「……でも、今は生きてるじゃない」
そうだな。生きている。
だから、お前の話も聞けている。ここまで何も悪いと思っていないことも、よく分かった。
「前線の補給基地へ行け。そこで働いてもらう」
フレディの隣で、欲しい物をねだって暮らすのは終わりだ。
「補給基地って……私が? 何をするのよ」
アーニャが一歩寄ってきた。踏みかけた裾を、片手で持ち上げている。
その格好で荷物を運ばせるのは無理だな。仕事をする前に、服から替えてもらおう。
「仕事内容と宿舎のことを説明してくれ。作業着も、今ここで渡してやってくれ」
兵が一礼し、同行の者に支給品を取りに行かせた。
「届いた物資の荷下ろしや運搬、炊事、洗濯などです。配属後は担当者の指示に従っていただきます」
「そういう仕事をする人は、ほかにいるわ」
「お前も、その仕事をするんだ」
「私には無理よ。やったことなんてないもの」
「最初は教えてもらえ」
ドレスの袖を握りしめているが、行く先は変わらないぞ。
「寝起きは基地の共同宿舎になります。身の回りのことは、ご自身でしていただきます」
「侍女は?」
「おりません」
アーニャがフレディへ近づいたところで、支給品を抱えた兵が戻ってきた。
「補給任務に支給される衣服がこちらになります」
丈夫そうな上着とズボンに、革の靴。荷物を運ぶなら、その方が動きやすいだろう。今のドレスでは、裾を踏むだけでも転びそうだ。
アーニャは自分の袖を見下ろした。金糸で飾られた薄い布を撫で、それから差し出された上着へ目を戻す。
「出発前にお着替えください。別室へご案内します」
「これを、私が着るの?」
「はい。靴の大きさが合わなければ、取り替えます」
アーニャは靴を見ず、フレディの肩へ手をかけた。
「ねえ、黙っていないで。あなたからも何か言ってよ」
フレディが顔を上げた。アーニャではなく、俺の顔を見てから、肩に置かれた手を払いのける。
「聞こえなかったのかアーニャ。おまえは今から補給基地に行くんだ」
「私を追い出して、あなたは王様になるつもり?」
「勇者様の御裁定だ。従うのは当然だろう」
「処刑してしまおうって言ったのは、あなたじゃない!」
フレディが立ち上がり、アーニャの腕を掴んだ。
「何を言い出す!」
「離して! 剣を取り上げたことを広められたら、評判が悪くなるって! だから処刑してしまえばいいって言ってたじゃない!」
アーニャは腕を振りほどき、俺へ向き直った。
「聞いたでしょう? この人が言い出したのよ!」
「捏造だ! 剣を欲しがったのはお前だろうが!」
「だからって――」
「それくらいしてくれないなら結婚を考え直すと、私に迫ったではないか。あいつは気に入らない、処刑してくれと騒いだのもお前だ!」
「暗殺なんて話、私が考えたんじゃないわ!」
「お前も父上に話しただろう!」
「あなたが、話を合わせろって言ったからでしょう!」
……もういい。
「アーニャを連れていけ」
支給服を抱えていた兵が身を引き、別の兵がアーニャへ近づいた。
「待って! 今の話、聞いていたわよね? 悪いのは全部フレディです!」
アーニャは兵を避け、俺へ歩み寄ろうとした。行く手を遮られると、今度はその肩越しに俺を見た。
「ごめんなさい。もう欲しがらないから……処刑なんて、私が思いつくわけないって分かるわよね?」
「お前も、あの時話を合わせていたよな」
「だって、フレディが……!」
言いながら振り向いたが、フレディは目を逸らした。
兵に腕を取られ、アーニャがその手を外そうともがいた。
「嫌よ、そんな所! 私、何もできないの。お願い、謝るから。ごめんなさい……!」
泣き始めたアーニャは、引かれる腕と逆の方へ身体をねじった。兵がそちらへ回り込むと、今度はフレディへ手を伸ばした。
「フレディ! どうして何も言わないのよ! あなたのせいでしょう!」
最後まで呼んでいるが、フレディは振り向きもしないな。
扉が閉まると、フレディは俺へ向き直り、頭を下げた。
「……お騒がせいたしました。あの女の言い分には、事実と異なる点がございます。私も判断を誤りましたが、これからは勇者様をお支えし、国の立て直しに――」
「お前を王にするつもりはない」
フレディが顔を上げた。
「ですが、この国には王が必要です。父に代わって諸侯をまとめられるのは」
「お前には別の任務を与える。斥候として魔王城に単独で潜入しろ。魔王を倒すための弱点を探り、持ち帰れ」
フレディは俺を見たまま動かなかった。やがて神官へ、そばの兵へと視線を移す。
「……魔王城、でございますか」
「ああ」
「お言葉ですが、潜入には専門の訓練が必要です。私には、そのような経験はありません」
フレディは声を抑え、俺の顔色を窺いながら続けた。
「王家の財産をお使いいただけるよう、私が手配いたします。軍資金も物資も、今なら融通が利きます。私には、そうした仕事の方が――」
「命じた任務を果たしてもらう」
「でしたら、護衛をお付けください。潜入に長けた者を選び、私が責任を持って指揮を」
「一人で行けと言っただろう」
フレディが俺へ一歩近づき、兵が間に入った。その肩越しに、フレディが声を張る。
「一人で魔王城になど行けば、殺される! 城に着く前に、魔王軍に捕まってしまう!」
さっきのアーニャと同じ場所で、こいつも兵に遮られている。
「王太子の顔は知られている。捕虜になれば、国にも迷惑がかかるぞ。身代金を要求されるかもしれない。そうだ、私を使って、あなたを呼び出そうとするかも――」
「王太子の身分は剥奪する。国はお前の身代金を払わない」
「誰か、勇者様に説明してくれ。こんな任務があるか。お前たちだって、一人で行けるわけがないだろう!」
兵は答えなかった。
「出発に必要な物を持たせて、前線まで護送してくれ。あと言っておくが、任務放棄は死罪だからな」
近づいてきた兵の手を押し返し、フレディが俺の前へ両膝をついた。
「私が悪かった。剣を奪ったことも、父に嘘をついたことも謝る。いや、謝ります。申し訳ありませんでした!」
頭を下げ、すぐに顔を上げる。
「補給基地で働きます。アーニャと同じでいい。荷物でも何でも運ぶ。だから、魔王城だけは……!」
兵が両脇から腕を取ると、フレディは身体を沈め、床に尻をつけた。引き起こされまいと足を突っ張り、俺へ叫ぶ。
「やめてくれ! お願いだ、死にたくない!」
フレディは俺を見上げ、返事を待っている。
「連れていけ」
兵がフレディを立たせた。足がもつれ、支えられたまま扉へ引かれていく。
「待て! まだ、話を……アレス! 頼む、何でもするから!」
扉の向こうへ姿が消えても、声は聞こえていた。
俺が剣帯を締め直していると、神官がそばへ来た。
「アレス様。改めて、お願い申し上げます。この国にお力をお貸しいただけますか」
「その前に、俺の処刑について国中へ知らせろ」
「もちろん、御名誉は――」
「誰が剣を奪って、誰が嘘をついて、誰が俺を殺せと命じたか。名前を出して、全部だ」
俺がいた部隊にも届くんだろうか。今さら剣だけ見せに戻ったら、あいつらに何から説明すればいいんだ。
「俺の部隊には、先に知らせてくれ。冤罪だったことと、生き返ったことも」
「承知しました。ご所属の部隊にも、必ず伝えます」
「それと、当面の報酬は先に払ってくれ。それから家が欲しい。任務が終わったら返せなんて言われない、俺の家だ」
「財務を預かる者を呼びます。そこで条件を定めましょう」
「ああ。それが決まったら、軍の状況を聞かせてくれ。魔王軍とは戦う」
神官が深く頭を下げた。
俺は頷き、まずは座れる所へ案内するよう頼んだ。昨日から、ひどく疲れていた。
*
俺の冤罪と処刑の経緯は、王国の名で公表された。
各地へ送られるという布告を、俺も最後まで読んだ。剣を奪い、偽りの証言をした者と、それを信じて処刑を命じた者。四人の名前が、はっきり書かれていた。
牢に入れられた元王からは、面会の申し出が届いた。申し出を運んできた兵に断りを伝え、俺は前線へ出る一行を見送りに行った。
ノイッシュは一般兵の列にいた。荷物を背負い直しているあいだに列が進み、先を歩く兵に急かされて追いついていく。
補給の荷馬車では、支給服に着替えたアーニャが袋を抱えていた。
「それ、奥へ積んでくれ。次を渡す」
アーニャは唇を結び、袋を荷台の奥へ引きずった。置き終えたところへ、次の袋が差し出された。
フレディの馬車には、護送の兵が同乗していた。俺を見つけると立ち上がりかけたが、肩を押さえて座らされる。
御者が馬を進ませた。フレディは馬車の後ろへ身体をねじったが、そのまま角の向こうへ運ばれていった。
軍への指示を済ませ、その日の夕方、俺は自分の家の鍵を受け取った。
庭つきの家だった。部屋を順に見て回り、寝室へ入る。報酬の袋を机へ置き、剣帯を外した。
剣を枕元へ置いて靴を脱ぐ。寝台に腰を下ろすと、そのまま横になった。
……少し、寝よう。
*
……朝か。
ここは――そうだ。昨日、受け取った家だ。
誰かに起こされたわけじゃないんだな。
剣は。
ああ。ちゃんと、そこにある。
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