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第一章 (1)

舞台の街カリハ、主人公ショウタの行きつけの飲み屋「モッキン」へ。

 そこは地方のこぢんまりした街ながら活気があった。街の名はカリハ。人口は十万人程と多くはなかったが、いくつかの大企業も進出し、立派な大学もあって市民の生活は豊かで平和だった。文化的な営みも盛んで美術館や劇場、コンサートホールがあり、いつもなにがしかのイベントが催されていた。演目によっては街の外からも多くの人が来訪して賑わった。そんな豊かな街でショウタは産まれ育った。大学こそ専攻の都合で他の街の学校に通ったが、今は帰郷してこの街の企業で働いていた。専攻の電気工学の能力を活かそうとIT機器を開発する企業に就職した。しかし事務機器の設計に配属され、事務機器に魅力を見いだせずあまり仕事には身が入っていなかった。


 今日は定時に仕事を上げて夕方5時過ぎにはいつものように飲み屋への道を歩いていた。街の中心地では新興宗教を信仰する人々がプラカードを掲げて声を上げていた。

『心を無にして神に祈りましょう』『あなたや子孫は祈りで救われます』『ただ闇雲に暮らさずに、一つ一つの行いで徳を積み上げ、神に祈りを捧げましょう』『祈れば滅びの道を進んでいても救われます』ショウタはプラカードを横目に、祈ってもどうにもならないよとボソッと口の中でつぶやいた。

カリハの街の西側には北部の山から南方の海へ抜ける大きな川が流れていた。その川沿いには広い河原もあり市民の良き憩いの場となっていた。川の橋を渡り西側に進むとまだそこには自然が残り、農地や森が広がっていた。ショウタの家は橋を渡らずに川を下った先にあり、川の土手の道がいつもの通勤路だった。土手の上を歩くと今日は心地よい春の風が頬に当たり気持ちよかった。西には真っ赤な巨大な太陽が、お盆のように丸く、淡い光りを発しながら地平線の下に沈もうとしていた。ふと足元を見るとツタのような草が河原の方から道に飛び出していた。その草は道端に列を作りずっと先の方までまっすぐに続いていた。あれ、こんな草、生えていたかなあ?と思いながらショウタはツタをよけながら歩いた。


 行きつけの飲み屋『モッキン』は、通勤路の途中で土手から少し東側にそれた細い路地裏にあった。モッキンの扉を開けると既にカウンターには2名の先客がいた。

「いらっしゃい。あれ、ショウタちゃん、今日は早いね」マスターのケントの明るい声が出迎えてくれた。

「仕事がひと段落したので、今日は早めに切り上げちゃいました」

 ショウタは空いていたユキエの隣のカウンターの席に腰かけた。

「飲み物はいつものね?今日はカンパチのいいところが入っているよ」

「じゃあ、それ、まず頂戴」ケントの声にショウタはすぐに答えた。ショウタはほとんど毎日ここに通っているので注文せずとも生ビールのジョッキがすぐに目の前に出てくる。

「ショウタちゃん、仕事がひと段落ついたって、余裕があっていいじゃない」ユキエが声をかけてきた。

「ええ、おかげさまで。明日から休みもらいます」

「いいわねえ、お休み」

「休んでも、別にどこに行くわけでもないんですけどね」

「じゃあ、うちの店に来てよ。今晩、この後でもいいわよ」ユキエはママとして小さいスナックを近所で経営していた。スナックを開ける前にここで軽く一杯と腹ごしらえをするのが日課だった。

「遠慮しておきますよ。ユキエさんのところって歌がうるさいんだもん。俺、歌は得意じゃないし」

「ちぇっ、つまんないのぉ。ショウタちゃんみたいな若い子にも来て欲しいのに……」ユキエは厭味を言いながらもそんなショウタを嫌いではないようで顔がほころんでいた。ショウタは歌というより、ユキエのスナックに来る客が嫌いだった。ユキエを目当てに来る、女好きの中年のおじさん達。どいつもうだつが上がらないサラリーマンという感じで、あんな風に年を取りたくないと思っていた。

「いいよなあ、ショウタちゃんは休みをとれて。うちみたいな中小企業は休みなんか取れませんよ。社員が少ないから、ひとりが休むと穴埋めできなくて大変なんだから」リョウヘイは父親から継いだ中小企業を経営していた。市内の企業からビルの清掃やメンテナンスを請け負う仕事をしているという話だった。

「とは言ったって社長さんでしょ。儲かってしょうがないんじゃない」ユキエが突っ込んだ。

「別にそんなに羽振りはよくないですよ。羽振りよけりゃ、こんな飲み屋に入りびたりませんよ」

「こんな飲み屋で悪かったですね」マスターのケントがあっけらかんと笑った。ケントがここに店を構えてから既に20年以上になるという話だった。この店は街の外れの人通りの少ない路地裏にあるので飛び込みの客は少ないが、常連の客でいつも賑わっていた。ちょっと渋めながら人当たりのいいマスター、旨いつまみと酒、客を交えた適度な会話が居心地のいい席をつくっていた。


「はい、カンパチのお刺身です」マリアがショウタのところにつまみを運んできてくれた。彼女も元々はこの店の常連だったのだが、2年前からここを手伝うようになっていた。ロックバンドのベーシストとして音楽を演っているが、なかなか音楽だけでは食べていけないのでここで働きだしたという話だった。マスターの信頼も厚く、今やマリアお目当ての常連客も増えていた。

「来月のライブに行くからさ」リョウヘイがマリアにいい顔をしていた。

「ありがとうございます。他の人も連れてきてくださいよ。社員にも宣伝してくれるとうれしいな」

「宣伝はしているんだけどさあ、なかなかみんな乗ってこないんだよねえ。あまりロックには興味ないみたいで……」

「今はロックよりダンス系の方が流行りですもんねえ」

「だけどトウヤちゃんは一緒に行くからさ」

「こんばんは」低めの声とともに初老の男性が扉を開けて入ってきた。

「噂をすれば。トウヤちゃん、待ってました。ここ席、空いてるよ」リョウヘイがその男を手招きして呼んだ。

「えーまたリョウヘイの隣かよぉ」嫌味をいいながらトウヤと呼ばれるその男はリョウヘイの隣の席についた。トウヤは1年程前からこの店の常連になったが、以前は大きな商社の役員をしていたという話だった。会社を辞めてから暇を持て余すので週に3回はこの店に顔を出していた。

「トウヤさん、今日はちょっと遅いじゃない」ユキエが声をかけた。

「うん、今日はちょっと用事ができちゃって」

「あれえ、彼女でもできたぁ?」ユキエがからかった。

「違いますよぉ。ちょっと前の会社の部下から相談を受けちゃって」

「あれ?もうあんな会社は知らないとか言ってなかったっけ」リョウヘイがハイボールをあおりながら横目でトウヤを睨んだ。

「まあ後輩はかわいいからね。なんか産業技術研究所の羽振りがいいみたいだね。注文が増えて供給元の方の数量が足りなくなって困ったもんだから、どうしたらいいか助言を求めてきたよ」

「羽振りいいらしいわね。あそこに勤める人も増えているらしいわよ。周りのマンションの部屋が足りないんだって、うちのお客の不動産屋が言ってた」ユキエが焼き魚をつつきながら言った。

「うん、うちもあそこの清掃を頼まれているじゃない。その仕事も増えてきた。建物も増築したから」

「やっぱりリョウヘイさんとこ景気よさそうじゃない」ユキエが嫌味な口調でからかった。

 産業技術研究所というのは5年前にこの街カリハにできた大きな研究施設だった。次世代の産業を振興するための新しい工業技術を開発しているということで、多くの人が就労してカリハに多大な経済的貢献をしていた。

「あんまりうちの店は関係ないなあ。お客も増えていないし」とケントがぼそっと嘆くように言った。

「ここは街の西の外れで、東にある産業技術研究所とはちょうど反対側だしね。でもこれ以上お客さんが増えたら俺たちが入れなくなっちゃうよ。このままでいい!」とリョウヘイが言い切った。

「ショウタ君は工学部を出たんでしょ。産業技術研究所に就職したら給料もいいんじゃないの?」とユキエがショウタを突いた。

「ダメですよ、俺なんか。二流大学卒業だから」実はショウタは大学を卒業するときに産業技術研究所の就職試験を受けていた。しかし結果は落選。今でも落ちたことに悔しさと、どうせ俺なんか認められないんだというひがむ感情を持っていた。


 そのときまた扉が開きお客が入ってきた。二人の若い男女、男はお笑い芸人をしているハヤト、女はハヤトと最近つきあいだした恋人ルミコだった。ルミコは元々ハヤトを追っかけていたファンだったが、ずっと追い続けたのが功を奏して恋人の座を射止めていた。二人の後ろに隠れるように高校生くらいの少女が付いてきていた。

「マスター、この子が店の前にいたんだけど。マスターに用があるみたい」

ルミコが手を引いて少女を前に出した。その少女はここら辺では見慣れない格好をしていた。布一枚でできているようなベージュ色のシンプルなひざ丈のワンピース。そのワンピースにはオレンジ色や緑色のカラフルな異国風な不思議な模様が描かれていた。黒い髪の毛は頬までと短く、張りのある健康的な肌に大きなどんぐり眼の整った顔立ちをしていた。少し自信なさげにケントを見つめる瞳が美しいとショウタは思った。

「その服装は、もしかして……」ケントが口を開けて何か思い出すような表情をしていた。

「ケントさんですか? 私はライアンの娘でエミリーと言います。イーグサンドのタテリカの里から来ました」

「やっぱり、タテリカの里から来たのか。その服は覚えているよ。そうかライアンさんの娘さんか。遠くからよく来たね。どうぞ奥に入って」少女を招きいれるケントさんの表情に驚きととまどいがあった。エミリーと名乗るその少女は少しおどおどしながら、言われるがままにカウンターの横を通り奥の席に着いた。飲み屋には似合わない可憐な少女、それも変わった衣装を着ていたので、お客全員がその少女に釘付けになった。ケントが調理場から出てきてエミリーの前に座った。エミリーはまだ落ち着かないようで少し俯き加減だった。

「ひとりかい? 何でこんな遠くのカリハまで来たんだい?」

「はい。ひとりで来ました。父と兄を探しているんです。父と兄エドモンドがカリハに行くと言って出て行ったきり1年間、音信不通なんです。ただ私はカリハに他に頼るところもなく、父が困ったらケントさんを頼れと言っていたんで来ました」

「え? ライアン、カリハに来てるの?知らなかったなあ。特に俺には何にも連絡は来てないけど……」

「そうですか、ケントさんも知らないのですね……」エミリーが肩を落としがっかりした。

「ライアンさんたちは何のためにこの街に来たんだろう?」

「頼まれた仕事があるからって言っていました。ちょっと長引くかもしれないけど何にも心配はいらない、カリハはケントさんがいる街だから安心だからと言っていました。そしてそれっきり何にも連絡がないまま1年が経ちました」

「どこで何の仕事をするかって聞いてないの?」

「はい、何も聞いてないです。二人のことだから危ないことはしていないとは思うのですが、何かちょっと胸騒ぎがして。母も心配しているんですけど、母は足が不自由なので来れなくて、私一人でここまで来てしまいました」

「一人でこんな遠くまで来るなんてすごいな。よくこのお店の場所がわかったね」

「母が住所を教えてくれました」

「そうか、以前、お父さん、お母さんに手紙を送っていたからね」ケントは上目遣いで一生懸命に過去を思い出そうとしているようだった。それは普段見られない真剣な顔つきだった。

「ケントさんが知らないとなると困りました。探す当てがありません」エミリーの顔は眉毛が下がり口もへの字に曲がっていた。

「うーん、カリハも結構広いし、人も多いからなあ」

「何かいい方法はないでしょうか?」

「土地勘がないエミリーちゃん一人じゃ探すのは難しいよ。すぐに当てはないけど俺も協力するよ」ケントの言葉にエミリーの顔が少し明るくなった。

「ありがとうございます。助かります」

「今日はもう遅いから、明日、一緒に探そう。今日は泊まるところはあるの?」

「いえ、どこかホテルとか探そうと思います」

「うちの2階に部屋があるからそこで今日は寝ていきなよ。あんまりきれいな部屋じゃないけど」

「いいんですか?」

「ライアンにはすごく世話になったんだ。遠慮なんかしないで」

「ありがとうございます」

「お腹空いているんじゃない。今何か造るから、食べていきなよ」ケントはカウンターの中に戻り調理を始めた。


「そこで一人じゃ寂しいでしょう、こっちにおいでよ」ユキエが陽気な笑顔で少女を手招きして呼んだ。

「はい」ユキエの人なつっこい雰囲気に安心したようで少女は手招きに応じカウンターのユキエの隣に腰をかけた。

「エミリーちゃん、イーグサンドのタテリカの里って言ったねえ、あなたの国。それってどこにあるの?」

「大陸の端です。ここから西南方向の」

「大陸の端かあ、全然縁がないからわかんないな……遠いなあ」

「はい、飛行機で10時間かかりました」

「えー、10時間!そんなにかかったんだあ。そんなに座っていたら、お尻や腰が痛くなっちゃわない?私はとても行けないわ」

「イーグサンドは農業や牧畜の盛んな国だよね。ここと違って自然が豊かそうでいいなあ」ショウタは強引に会話に入りこんだ。

「はい、いいところです。大きな森もあって自然に囲まれている感じです。私もあそこは離れたくないです」少しエミリーも落ち着いたようで声色が明るくなっていた。

「あれ? ショウタちゃん、自然なんか好きだったの? エンジニアでがちがちのメカ好きかと思ってた」リョウヘイが突っ込んだ。

「え? 失礼な。俺だって自然を愛する心はありますよ」と言うショウタの顔はちょっとはにかんでいた。

「マスター、明日、俺も一緒にこの子のお父さん、お兄さんを探すの手伝ってもいいですか?」ショウタが恥ずかしさを隠すように話題を変えてケントに向かって言った。

「もちろんいいよ。手伝ってくれる人がいるのは助かる」ケントは笑顔で返した。

「でもどうやって探すんだい? 当てはあるの?」とトウヤが言った。

「エミリーちゃん、何かヒントみたいなものはないの?」と言うユキエにエミリーが答えた。

「二人が出る1ヵ月くらい前に、中年の男の人が来たんです。どうもその男の人が仕事の話をもってきたようでした」

「顔とか覚えてないの?」

「私は話には入らなかったので顔は覚えてないです。確か黒縁の眼鏡をかけていました」

「年とか、恰好は?」

「年は40歳くらいで、背恰好も平均的な感じで、ごく普通のカジュアルな服を着ていたと思います」

「それじゃあ探すのは苦労しそうねえ」ユキエはちょっと諦めの声を上げた。

「でもこんなかわいい子をほっとけない。私たちも協力します。ねえ、ハヤト!」とルミコが元気に声を上げた。その威勢のよさに圧倒されたように「オウ」とハヤトも声を上げたが、あまり乗り気ではないようだった。

「そうね、みんなで探してあげましょうよ」と言うユキエの声に皆も同調してうなずいていた。

「まずは明日、警察に行ってみようかと思う」とケントが言った。

「警察ねえ。あんまりあそこもいい噂は聞かないからなあ。警察官の不祥事とかもあったし。威厳が落ちている……」

「トウヤさーん、そんな嫌なこと言わないでよぉ」トウヤの弱気の発言にショウタはイライラした。


エミリーのお父さん、お兄さんはどこに? ショウタたちの探索が始まります。

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