第三話 追放
古びた道場内に、音が響く。
ビュンと空を斬る音を鳴らすのは一人の少年。白い手に木剣を握り締め、ひたすらにそれを振り下ろす。
少年の手からは汗と血が滲み、床板を濡らしていた。
「ぐ…ふぅ……」
何百、いや何千ともいえる素振りを終え、ロアはその身体を地べたへと投げ出す。
何時間もの鍛錬の後、締めに千回以上の素振りを行う。これがいつものルーティンだ。
次は勝つために、次こそ負けないために。泥臭いと言われそうなルーティンを今日まで続けて来た。
もっとも、今居る場所は廃墟と化した道場。この努力を見ている者など誰も居ないのだから、泥臭いなどとは言われないが。
(鍛錬……父様にも見てもらいたかった…)
本当は、家の庭園で鍛錬したかった。
父に、この努力を見て欲しかった。
そして、できることなら────父に、この努力を誉めて欲しかった。
数日前のあの一件から、庭園での鍛錬がし難くなった。父の、凍てつくようなあの視線、槍の様に心を抉る言葉。
(最後に褒められたのは、いつだったかな)
思えばかなり長い間、褒められた記憶が無い。
もともと離れていた父との仲は、ここ数日でもっと遠くなったような気がする。
遠くなったと同時に、父の失望も更に深まった。これで次負けてしまったら、もう取り返しのつかないところまで行ってしまうだろう。
「───また……」
また、負けたら────否定的な単語が一瞬過ったが、口には出せなかった。
口に出してしまえば、今までの努力が無駄になってしまうように感じた。
「…大丈夫、だいじょうぶだから……」
これまでの自分は良くやってきた。限界まで追い込んで、ここまで来た。
幾らマイナスからのスタートだったとしても、そうだとしても、前に進んでいるはず。積み重ねてきた事には、必ず意味がある。
「勝てる……次こそは勝てる…」
うわ言のように、あるいは自分に言い聞かせるように呟く。
「……よし」
明日の戦いを想いながら、ロアは身体を洗い、しばらくして眠りについた。明日、自身にどんな運命が待ち受けているかも知らずに。
♦︎♦︎♦︎
「────おい…見ろ、アイツだ…」
「……最低、才能が無いだけじゃなくて、あんなことまで……」
「…さっさと死ねばいいのに…」
「───?……」
教室の空気が重い。
いつもの無能を蔑む時の空気感よりも更にひどい。
これは一体どういうことだろう。
なぜ誰もが俺を見る。
なぜ誰もが、敵意と憎悪と、あらゆる負の感情がこもった目線を向ける。
(なんだよ!?コイツらの目は……)
理由の分からない悪意ほど気味の悪いものは無い。ロアの困惑が次第に怒りへと変わっていくのは当然のこと。
「────なんだよ!お前らっ!」
半ば衝動的に放った一言。
「────分からないのか、ロア」
それに答える者が一人、忽然と教室に現れる。
その人物はロアにとって幼馴染の次に親しいと言える存在。
「あっ!!───セイルっ……!」
普段はライバル意識を燃やしている存在ではあるが、ありがたい。
セイル・マーレンは剣才だけでなく人格も優れた熱血漢だ、彼ならこの現状を変えてくれる。
「何がどうなっている!俺は、何もしていない…!」
周囲からの視線の理由を、自らに向けられている悪感情を収めてくれる!
「何もしていないだとっ!!ふざけんなぁ!」
瞬間、そんな怒声と共に、顔に酷い衝撃が走った。
「───あがっ!?」
少し遅れて感じる激痛、視界が揺れて、世界が横へと滑り落ちる。
ここでようやく、自身は殴られたのだと理解した。かなり強めに殴られたらしく、唇からは血が滲む。
「は、は……?」
「お前っ!!自分が何をやったのか分かってんのか!!分かっていて、そんなふざけた口が聞けたのか!!」
殴られたのだと理解できたが、理由までは理解できない。なぜ自分は殴られた。"何をやったか"って、なんのことだ。
向けられる悪意に対する困惑。セイルに、殴られたことに対する困惑。
困惑に次いでの困惑で、もう訳が分からない。
「────お前がぁ!!聖女様を!フィニアさんを辱めたからだッ!!」
セイルが一層怒気を込めて言い捨てる。ロアにとってその言葉は想像すらしなかった一言だった。
聖女『フィニア・マクリウス』
その女子生徒の名を学園内で知らない者は居ない。
容姿端麗、博学多才。白桃を思わせる色味をした長く、美しい頭髪に、見る者全ての目を奪う美貌。それだけではなく座学も優秀。
極め付けは、女神様から与えられた『権能』。
あれは救世の勇者と同じ類の力だ。その力はただの回復魔法とは比べものにならないほど強力で強大だ。
いずれは勇者一行と共に、"原初たる邪悪"から魔王が生まれた際に救世のために戦うことになっている。そんな、未来の英雄だ。
そんな彼女を、辱めただと。
他の誰でも無い、俺が?
「そんな!?そんなはず無い!俺は…」
「見苦しい、他ならぬフィニアさん自身からの証言があるんだぞっ!」
矢継ぎ早に発せられた言葉は信じられない物。ただの噂なんかでは無く本人からの証言。
「……剣を抜け、ロア────その口ぶりからして、罪を認めないのが分かった、大怪我させてでも連れていく」
「っ!」
セイルは剣を抜き、その鋒を向ける。ロアの目の前に映る幼馴染に迷いは無い。向けた剣どころか身体すら震えていない。
間違いない。本気だ。
「今までの遊びとは違うぞ、ロア」
遊び、か。そうか、そう思っていたのか。
文字通りの血が滲むほどの努力。今まで積み重ねてきたすべて。
(セイルにとっては遊びだったのか、俺は敵ですらなかったのか)
ロアの思考から戦闘以外の事柄が消え失せる。ただ目の前だけに集中を向ける。
既にロアは剣の柄に手をかけ────瞬間。息をのむような鍔迫り合いが始まった。
「きゃあああ!?」
「あいつら!?ここで斬り合いを始めたぞ!」
「───いや、まて……丁度良い!やれセイル!聖女様を辱めたクズ野郎をぶった斬ってやれぇー!」
「ちっ……」
一瞬にして数十回にも及ぶ剣撃が飛び交う。斬り刻まれるのは当然、ロア。才能も膂力も、ロア程度ではセイルに届かない。
「────なぁ!?」
「やっと斬れたぞ、少しだけぇ……」
その差を埋めるはロア自身の経験と鍛錬により積み上げた実力。不断の努力によって磨かれた剣技。それらが今、セイルの頬を斬り裂いた。
目の前の天才に油断があった、ロアを甘く見ていた。要因はいくらでもあるだろう。だがしかし、確かにセイルは傷を負わされたのだ。
(攻撃が通じた!このまま…)
ロアが鍔迫り合いの速度を上げる。いつも笑いながら技を受けていたセイルに初めて攻撃が当たったのだ、それがどれほど嬉しいことか。ロアの目に光が宿る。身体が軽い、相手の動きも良く追えている、行ける。
「がっ!?」
「───見たことない技だったから、真似させて貰った、案外簡単なんだな、コレ」
ロアが上手く行けていたのは、そこまでだった。
憎らしいまでの天才は、ロアの技を見ただけでそれを真似た。そして本物よりも凄まじい威力でロアの意識を刈り取った。
落ちる、落ちる。
ロアの意識が闇へと沈む。最後にロアが抱いたのは、これまで感じたことの無い怨嗟。
俺の努力は、こんなに弱い物だったのか?
積み上げた努力も、技術も、こんなに薄っぺらい物だったのか?
認められない、認めたく無い。
そうしてロアは、暗闇に落ちた。
♦︎♦︎♦︎
「被告人、ロア・リアバルトに罪人迷宮への追放処分を言い渡す」。
そうして気づいた頃には罪人となっていた。セイルに負けた後にはもう、何も考えられなくなっていた。まるで魂が抜けた様な感覚だった。
周囲からの侮蔑、怒り、聖女本人から向けられる激しい恐怖。それらを見た時、自分は罪人になったのだと自覚した。
聖女のあの目は本物、明らかな恐怖と絶望を感じる眼差しだった、演技だとは到底思えない。
「お前はもう、リアバルト家の人間では無い、二度と家名を名乗るな」
目の前の罪人を見つめる父には、何の感情も籠もっていない。あの目は、そう、道端の石ころを見つめるような感じ。
冷たさすら、ロアは失った。
「ロア・リアバルト────転移紋に立ちなさい」
言われるがままに、転移紋の中心に立つ。転移の魔法が刻まれたそれは、罪人迷宮内部へと通じているのだろう。
複雑怪奇な文様が、青白く光る。転移が始まる。
「……ああ…」
思わず天を仰ぐ。涙は溢れない、だが、悲しい。
積み重ねた結果がこれか。
母の優しさに報いたくて、父に認めて欲しくて、幼馴染に勝ちたくて、努力して、そして────こうなった。
自らの加護の力すら、扱うことができなかった。
「────最低」
転移する直前。リナがそう小さく、しかしはっきりと口にする。
そうだ、最低だ。最低最悪だ。
何もできなかった。
何も、叶えられなかった。
こうしてロア・リアバルトは追放された。
絶望と失意を、色濃く残して。




