3.大悪霊、ユウ
「第一種変性怪異。やはり、あなたも……」
彩葉は翔の正体に薄々気づいていた。
思いかえせば、クレープ屋の店主がこう彼女に問いかけていた――二つ注文したクレープを食べ切れるのか、と。それは「一人で食べ切れるか?」という意味。つまり店主には少年の姿が見えていなかったのだ。
彼女の言葉を聞いた翔が笑ってかえす。
「怪異はひどいよ、彩葉お姉ちゃん。僕はだれも憎んだり、恨んだりしてない。ただママを救うためにむこうから来たんだよ」
「ママって……なら、あの人が探している坊やって……?」
彩葉は怪異と翔を交互に見やる。
「僕がママをとめているから、その間に二人は逃げて」
「そんな、無理よ!」
そう言っている間にも、怪異は出刃包丁を目にもとまらぬ速さで突きだしつづけ、光の盾を削りとっていく。
「ママ、もうやめて! 僕がわからないの?」
しばし耐え忍ぶ時間がつづく。
不意に怪異の攻撃が停止した。車両内を静寂が支配する。
キシャーーーーッ!!
あきらめたのか、彩葉がそう思った矢先、怪異が突然、身の毛がよだつような叫び声をあげる。
そして、全身を半回転させて勢いをつけ、体当たりするような横殴りの一撃をくりだした。
翔は瞬間的に盾でガードするものの、そのまま吹き飛ばされ、車両の側面に激突。
「翔!」
「翔くん!」
気を失ったのか、床に倒れた翔は二人の呼びかけに応えようともしない。
あわてて駆けよる彩葉。
「翔、大丈夫?」
「お姉ちゃん、へへ、油断しちゃった……」
片目をつむったまま、ひきつった笑みで答える少年。瞳の色は少し不気味に変わったものの、あどけない少年の表情はいまも変わらない。
「よかった……。あとはお姉さんたちに任せなさい!」
「うん、ママをお願い」
彼女は、すっくと立ちあがる。
そのするどい眼差しは、怒りの色に燃えていた。
「あなたも母親なら、子供の声に耳を傾けなさいよ!」
怪異をにらみつけたまま胸のまえに印を組んで、憂に指示を飛ばす。
「憂! 少しでいい、時間をかせいで!」
「そんなぁ、無理だよー」
「無理でもなんでも、とにかくやる!」
「はぁい……」
怪異のまえにトコトコと歩みでる憂。
「そぅれっと!」
気の抜けた掛け声とともに、ぬいぐるみの腕部のみが巨大化。瞬く間に車両の三分の一近くを隙間なく埋めつくし、怪異の行く手を完全に塞ぐ。
怪異は触手のように髪をのばして、モフモフとした柔らかな壁に数回触れる。
そして再び巨大な毛の塊と化した怪異が無数の包丁を突きだし、横回転をはじめた。
再度、シールドマシンと化した怪異が憂の腕をゆっくりと削りとっていく。
憂はとくに痛みを感じているわけではないようだった。
しかし、いくら巨大化しようが所詮はぬいぐるみ。布と綿でできた腕部を削りきるのに、さして時間は必要としない。
持って、数秒。
「彩葉ちゃん、早くぅ! 長くはもたないよぉぉぉ!」
「ありがとう! 手はあとで直してあげるから!」
彩葉は目をつむり、深呼吸。怪異の魂に接続を試みる。
自身の意識を深く沈め、相手の意識を慎重にたぐりよせる。
しだいに光の断片が脳裏で像を結び、映像として再生されはじめた――。
彼女の子ども、翔はあるときから、死者や精霊、神々といった見えない者たちの声が聞こえるようになった。
それらの存在たちから得た予言のほとんどが的中。息子の能力に気づいた彼女は、知人の言葉にそそのかされ宗教まがいの組織をたちあげる。
芸能人や政治家までも顧客に抱えるほど、その能力は信頼され、それゆえに巨額の金を生みだしていった。
そんな顧客の中に、女癖の悪さが原因で芸能界を追放されると翔に予言された人気俳優がいた。
その予言は、ほどなくして的中。
しかし、あろうことか、逆恨みした俳優が少年を襲い、殺害してしまったのだ。
母親は悲しむまえに途方にくれた。
すでに何をするにも息子の予言に頼り切りだったから。
結局、彼女がすがったのはとある霊能者。
十分に彼女の信心を得られたと確信したころ、霊能者は告げる。
霊能力の高さゆえ、あなたの息子は大悪霊『ユウ』に魅入られ、その身体を奪われた。その魂は成仏できずに、現世を彷徨っている――と。
霊能者を崇拝しきっていた彼女は、ユウを探して息子の身体を取りかえそうと躍起になった。
ユウの情報を得るため、霊能者のいうがままに稼いだ金を貢ぐ彼女。やがて金は底をつき、違法な闇金に手をだした彼女は、借金取りに追いつめられ最後は自らの手で命を絶った。
出刃包丁でその喉を突いて。
――子供と霊能力を金儲けの道具にするなんて、最低な親ね。でも……まだなにか肝心なとこを隠している?
彩葉が一層深い瞑想状態に入ろうとした、そのときだった。
憂のつくった壁の隙間から髪の束がするりと伸び、その先端に握られた出刃包丁が無防備な彼女の頭上めがけて振りおろされる。
「あぶない!」
瞬間、床に横たわったままの翔が手をのばし、彩葉の頭上に小さな光の盾を形成。
間一髪、弾かれた包丁がクルクルと空中で回ってそのまま落下する。
しかし、その刃先が彼女の肩口を切り裂いた。
「痛っ!」
瞑想状態から強制的に覚醒させられた彩葉が、肩をおさえてうずくまる。
抑えた手のしたからうっすらと血が滲み、それが衣服に染み広がっていく。
「彩葉ちゃん!! こんのー! もう許さないんだから!!」
「だめよ憂! 私は大丈夫だから!」
憂の全身の毛が総毛立ち、巨大化した腕を波のように伝わっていく。
両の腕がビリビリと震え、内部で巨大なヘビが蠢くようにボコボコと肥大化。車両の窓が内圧に耐えきれず、内側から弾けるように割れて粉々に砕け散った。
それは津波のような勢いで後方へ押しよせ、毛だるまと化した怪異を巻きこんで、車両奥の壁へと叩きつける。
うめき声をあげる怪異。
中央に再び現れた女性の顔が牙をむき、憂を睨みつける。
その顔の周囲から複数の出刃包丁が出現し、再び憂を切り刻もうと包丁をつかんだ髪が襲いかかった。
しかし、その複数の髪の束を包丁ごと憂の巨大な手が鷲掴み。
左右の手で半分づつを掴むとそれぞれを逆方向に引っ張り、躊躇なく引きちぎった。
ブチブチと髪が切れ、また引き抜かれる嫌な音が響き、怪異が悲鳴にも似た叫び声をあげる。
それでもなお、恨みの念をその眼光に宿したままの怪異。
おもむろに開いた口から一際大きな出刃包丁が飛びだし、憂の片手を真っ二つに切り裂いた。
憂は構わずもう一方の手で怪異の頭を抑えこみ、そのまま万力のように締めあげる。
苦しみに、首をふってもがく怪異。
「暴走――」
突然の事態にただただ、呆然とする彩葉。
憂にはひとつの疑惑があった。
その正体が遥か昔から転生をくりかえし、時代を渡りあるく悪霊『ユウ』であると。それはあまねく大地で数々の悪事を重ね、大災害の引き金となった災厄の源。人類の宿敵。
『時をかける大悪霊、ユウ』
それが彼女にかけられた嫌疑、そしてそれを象徴する二つ名だ。
しかし、記憶を失った憂にその自覚はない。
「本当の身体をとりもどして、カワイイお嫁さんになる!」
それは憂がたったひとつ、心に秘めた想いだった。




