2.第一種変性怪異
彩葉は床に腰をおろしたまま首をのばして、電車が駅を無事に出発したことを確認する。
そして隣に立つ、半袖短パンに黄色い帽子の少年へ声をかけようとして、思わず声をあげた。
「あなた昼間の! えっと……」
「翔だよ。名前くらい覚えてよ……もう!」
少年は冗談っぽく怒ってみせながら、荒い息を整える彩葉へ自分の名をつげる。
「そうそう、翔くんね。助かったわ、ありがとう。でも、なんでこんなところに? それに、いま何時だと……子供がひとりでこんな時間に……」
異常事態の連続に、思考の整理が追いつかない彩葉。
「ちょっとね、やり残したことがあるんだ」
──少年との出会いは半日ほどまえにさかのぼる。
その日、憂の『未練』をおって街へ繰りだした彩葉は、早くも後悔をはじめていた。
「アイスの次はクレープ!? 本当に身体を見つける気あんの?」
「そんなこと言ったってわたしも、わたしの未練が何につながってるかなんて、知らないよぉ!」
「それはそうだけど……。そもそも多すぎなのよあんたの未練、いったい、いくつ繋がってるのよ……」
クレープの移動販売車のまえで、押し問答をつづける彩葉とリュックの中のぬいぐるみ。
気がつけばまえに並んでいた客がすべてはけ、彩葉ひとりになっていた。
「お嬢ちゃん、どれにする?」
クレープ屋より、たこ焼き屋が似合いそうなゴツい顔の中年男性。ハチマキをした店主が彩葉に注文を確認すると、購入するつもりのなかった彼女は、あからさまに”しまった”という表情をして見せる。
仕方なくまえに進み、車にたてかけられたメニューボードに目を落とした。
「あんたはぬいぐるみなんだから、食べられないわよ」
「えーそんなー!」
「……え?」
彩葉が突然、間の抜けた声をあげる。
ふと気がつけば、ひとりの少年が彼女のスカートの裾を握りしめていた。
半袖短パンにつばのついた目立つ黄色い帽子。見た目から、五、六才といったところだろうか?
「ママ! 僕もそれ食べたい!」
「まっ、ママ!?」
突然現れた少年は彩葉のことを『ママ』と呼び、当然のようにクレープをねだる。もちろん彼女に少年との面識はない。
「ぇ゛、彩葉ちゃんに隠し子!?」
「中二の乙女になんてこと言うのよ、名誉毀損で訴えるわよ!」
彩葉は自分の頭越しに、背中のリュックへ拳を振りおろした。
そのまま腰をかがめ、少年に話しかける。
「ねぇ僕。お姉さんは、見ず知らずの子どもに食べ物を恵んであげるほど、人間できてないのよ。意味わかるかなー?」
「彩葉ちゃん、それ胸を張っていうことじゃないよ……」
「うるさいわね。人生の先輩として、世間の厳しさを教えてあげてるのよ!」
リュックの中身と会話しつつ、少年に苦言を呈する彩葉。
「あとママじゃないのは言わなくてもわかるわよね?」
それを聞いた少年の目に、大粒の涙が浮かぶ。
「クレープ……クレープが食べたいよぉ」
しゃくりあげながら、泣きだす少年。
「ちょっとちょっと泣かないで、わかった、わかったから!」
彩葉は周囲の視線を気にしつつ、財布をとりだしクレープを二つ注文する。
「はい、バナナストロベリー二つね。こんなに食べ切れるお嬢ちゃん?」
「余計なお世話よ。育ち盛りを甘く見ないでほしいわ」
「……はい、すいません」
中学二年生女子の辛辣な言葉に、店主はぐぅの音もでない。
彩葉は叩きつけるようにお金を置いて、クレープ屋のまえから立ちさった。
「あんた、名前は?」
「翔」
「ママはどうしたの? はぐれた?」
彩葉の問いに、うつむいてただ首をふる少年。
「だまってちゃわからないでしょ?」
「だって……あ、僕、ゲームセンター行きたい!」
クレープを頬張りつつ、ちょうど通りかかったゲームセンターに走っていく少年。
「お姉ちゃん! 早くはやく!」
困り果てた彩葉が降参を告げるかのように、肩をすくめ首を横にふった。
結局、ゲームセンターでぬいぐるみをとったり――実際のところは一つもとれず――、水族館であちこち引っ張り回されたりと、散々少年のわがままにつきあわされた彩葉は、再びの遭遇に悪い予感しかしない。
「まぁいいわ。とにかく早くお家へ帰りなさい。お母さんが心配してるわよ」
「ママ……」
急にしゅんとして口を閉ざす少年。
――母親の話をすると、とたんに元気なくすわね……。
彩葉はその様子に気がかりを覚えながらも一旦、話を憂に振りなおす。
「一応聞くけど、さっきの女性に心当たりは?」
「ううん、ぜんぜん知らない人……」
「あれは怪異。第一種変性怪異っていってね、亡くなった人の霊魂が怨念や恨みで怪異化したものよ」
「だいいっしゅう……???」
難解な単語の登場に固まる憂へ、彩葉が助け船をだす。
「第一種変性怪異よ。意味合い的には『悪霊』と変わらないわ。あんたのことよ憂?」
「えーもう、悪霊じゃないってば、彩葉ちゃんひどい!」
ポカポカと、彩葉のわき腹あたりを叩く憂。
「ちょっと、くすぐったい」
ひとしきり笑いあう二人。
不意に真顔になって彩葉がつぶやく。
「子供をかえせ、って言ってたわね……」
――あのどす黒い未練。彼女の中に渦巻く怨念は、明らかに憂へとむけられていた。それだけのことを憂は本当にしたんだろうか……?
ぬいぐるみを見つめて物思いにふける彩葉。
その頭上で突然、ガキンッという音がして反射的に上を見あげる。
ドアの隙間から出刃包丁が突きだしていた。
ガキンッ!
ガキンッ!
ガキンッ!
それが見る間に一本、また一本と増えていく。
「ぜんぜんセーフじゃなかった、逃げるわよ!」
電車の中をがむしゃらに走って逃げる彩葉と翔。憂は彩葉の手に掴まれて、またしても前後左右に振り回されている。
「彩葉ちゃん、目がまわるー」
なぜか他に乗客はいない。
電車の行き先表示は『フメイ』。
「行き先不明ってこと? どういうことよ! なんで乗客がひとりもいないの!?」
ギィィィィィィィィン!
背後から響くけたたましい金切り音に、彩葉は思わず振りかえる。
それはもはや人の形を保ってはいなかった。
車両内を天井まで埋めつくすように広がった黒い毛の塊。それが、横方向に回転しながらすぐそこまで迫ってきている。
怪異の進行とともに天井の蛍光灯が次々に破壊され、砕け散る音が響いた。そして車両内は後部から順に暗闇へとつつまれていく。
――暗闇がせまってくる。車両が虚無の空間に侵食され、跡形もなく消えさっていくようだわ。
見れば、毛の塊から無数の出刃包丁が突きだし、流れるように渦巻いていた。座席、中吊り、つり革、ありとあらゆるものを切り刻みながら怪異は突きすすむ。
それはまるでトンネル掘削用のシールドマシンのようだった。
「あっ!」
突然、足を強く後方へ引っ張られて、彩葉は突っ伏すように倒れこむ。
彼女の足首に長い毛が絡みついていた。
衝撃で手を離れ、投げだされる憂。
「彩葉ちゃん!」
彩葉はすぐに起きあがり、足にからみついた髪を必死にほどこうとする。
しかし、意思を持ったようなその髪は、ほどいてもほどいても繰りかえし絡みつき、どうにも取りさることができない。
そうこうしているうちに、第二、第三の髪が彩葉の腕、首にからみつき次第に彼女の自由を奪っていく。
「息が……印が結べない!」
そして鋭利な刃物の一撃が、彩葉の頭部へむけて狙いすましたようにうち降ろされた。
キーン!
しかし刃は彩葉に届く数センチ手前で、見えない壁に衝突したかのように弾かれる。空中でクルクルと回転し、その勢いで彼女を拘束していた髪の束の大部分を切断。派手な音をたてて床に転がり落ちた。
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
「ゲホッ、ゲホッ」
彩葉の目のまえに、手の平を怪異にむけて突きだした翔の姿があった。
振りかえった少年の横顔に、咳きこむ彩葉が異変を見つけて叫ぶ。
「そ、その目は……。それに、左耳から血が!?」
翔の瞳が禍々しく暗緑色に輝いていた。左耳には出血のあとが見える。
「これね、いつものことだよ。『力』を使うとこうなるんだ」
少年の手を中心に黄金に輝く光の円盤──巨大な盾が見えた。
翔が集中するように目をとじると、首筋や目の周りに無数の血管が浮きあがる。
光の盾はさらに大きくなり、そして輝きを増していく。それと同時に左耳からほほをつたって流れ落ちる鮮血。
「霊導術――ではないわね。第一種変性怪異。やはりあなたも……」
光の眩しさに目を細める彩葉の唇から、重苦しく言葉が漏れた。