良く知られる『時の祝福』
本日最後の授業は音楽です。
声楽と器楽に分かれて実技の能力を磨きます。とはいえ、誰でもある程度は習得しているため、自身が最も力を入れたいことや、先生の推薦によって分けられます。
私は声楽を選択しています。声楽の先生は私が声楽を選んだことをとても喜んでおられました。反対に器楽の先生からはぜひとも器楽にしてほしいとお願いされましたが、定員を見ても私は声楽を選んだ方がよいと思い、今に至ります。
「それでは、本日は音楽祭で発表する楽曲を決めたいと思います。皆様には合唱とそして、選ばれた方は独唱も行っていただきます。独唱は次回のテストの結果を加味して選びますのでそのおつもりで」
芸術科目を教えてらっしゃる先生方は普通科目よりも軽く見られていることに関してとても残念だとおっしゃっていました。
音楽も大切な嗜みの1つであると認識している我がクラスの姿勢は評価してくださっているようで、多くの技術や知識を授けようとしてくださっております。
「課題曲は毎年恒例ですが、芸術の女神への讃美歌です。自由曲は最も希望が多かったものの中から投票を行います」
選ばれた2曲は、『時の祝福』『月の詩人』という曲でした。どちらも人気の高い曲ですが、難しい曲でもあります。
投票用紙に記入して提出するとすぐさま票が数えられます。
「では、このクラスの自由曲を発表いたします。投票の結果、『時の祝福』に致します」
楽譜に改めて目を通すと、歌い切れるかと不安になる気持ちと楽しみというワクワクした気持ちが湧いてきました。周囲を見ると、皆同じ気持ちのようです。
続いて、伴奏をする学生の発表がされました。伴奏は器楽選択の生徒が選ばれます。
「伴奏は、アメリア・ターナー様です」
名前を呼ばれたターナー様は嬉しそうに瞳を潤ませていました。ミッチェル様もご自身のことのように喜ばれています。
「皆様のお歌をサポートできるよう、心を込めて伴奏を務めさせていただきます」
誇らしげにそう仰ったターナー様には溢れんばかりの拍手が送られました。
そこから、パート分けも行われ、パート練習へと移行することとなりました。
「同じパートですね、コリン様」
「そうですね、ミッチェル様、伴奏をしてくださるターナー様のためにも頑張りましょう」
まずは軽く歌ってみます。各々綺麗な歌声ですが、なかなか嚙み合いません。
それはどこのパートも同じようです。
「時の祝福、とはどのようなものなのでしょう」
話し合いの過程でふと、どなたかが呟きました。
時の祝福、それは恐らく古代文学に出てくる一節のことでしょう。
「確か、この楽曲は古代文学をモチーフにしていると聞いたことがございます。コリン様は何かご存じですか?」
ミッチェル様がそう言うと同じパートの方々が一斉に私を見ました。
落ち着くのよ、アレクサンドラ、淑女らしく振る舞うのよ。
「そうですね、時の祝福は古代文学の一節に登場します。少しだけ切ないお話なのですが」
「切ないお話、ですか?」
「ええ。この祝福は時をつかさどる女神様がとある1人の旅人に贈ったものなのです」
旅人は道中で1匹の狼を助けます。その狼はその昔、旅人の家族を食べてしまった狼でした。そのことを悔いていた狼は時の女神様に願います。せめて時を戻すことができずとも彼に復讐の機会を与えてほしいと。
そこで女神様は旅人に狼の過去を見せ、復讐するように語り掛けます。
「復讐、なさったのですか?」
「いいえ、彼は狼を手にかけることをなさいませんでした」
「どうして、ですの?」
「これは、私の考えですが、彼は狼を殺めても家族が戻って来ないことを知っていたからだと思います。最初は憎しみを抱いていたのかもしれませんが、旅を続ける中で多くのものを見て知ることで憎しみは薄れ、慈しみの気持ちが強くなったのではないでしょうか」
「慈しみの気持ち、ですか」
「ええ。生活する中で私たちは様々な命をいただいております。狼が家族を食べたのは悲しいことですが、生きるための選択として受け入れ、そんな狼を復讐のためとはいえ、不必要に殺める必要がないと思ったのだと思います」
「命をいただいている、ですか」
「そんなこと考えもしなかったわ」
「女神様も旅人のその姿勢に感服し、祝福を与えられたそうです」
皆様はこのお話に感動しておられるようです。
ですが、私には腑に落ちない部分がいくつかございます、しかし、ここで話すのも野暮なことでしょう。
「コリン様、このお話は他のパートの方とのイメージの共有のために話してもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。お役に立てたようで良かったですわ」