素敵な歌声
あの香水に混入していたと考えられるものを練る前に書き出してみました。とはいえ、研究していた内容に今日の発見を書き加えるだけですが。
「姉上、母上から禁止されているのに」
「テオ、メモは早く書かなければ忘れてしまうこともあるのですよ?今日は書くだけにして残りの作業は禁止令が解けてからやるので安心してください」
そう、我が家でお母様の号令は絶対なのです。普段のお母様はお優しい笑みを浮かべていらっしゃりますが、いざ怒りを露わにするととても恐ろしいのです。私は実際にその怒りを向けられたことはありませんが、昔、怒られたことのあるお兄様はとても恐ろしかったと教えてくださりました。
とはいえ、家族に対してその怒りをぶつけることは少ないのです。最近ですと一度、社交界にて私の悪口を仰った夫人に制裁を加えたくらいだと耳にしました。
それだけ家族愛に満ち溢れている方でありながら、魔術の腕はピカイチ。魔力量もさることながら、国内においてお母様に太刀打ちできる方がいらっしゃるのかは疑問です。
「テオ、食事をとりに行きましょうか」
「はい。父上も兄上もお仕事が忙しいのですね」
「そうですね。食事を終えたらお母様に歌を習いましょうね」
「はい!僕、お歌が大好きなので嬉しいです」
食堂にはすでにお母様はいらっしゃりました。私達のことを待ってくださったようです。
「母上、後でお歌を教えてください」
「ふふ、テオは本当にお歌が好きね」
「僕も姉上や母上のように上手になりたいです」
「学園に入学したらアレックスと同じ黄色になるのかしら」
「そうかもしれませんわね」
食事中、テオは泉での発見について話していました。テオのお気に入りの場所になったのでしょうね。それにしても、あの場にあの花が咲くだなんて、なにかおかしなことが起きるのでしょうか。急いで帰宅したため、魔獣と遭遇することはありませんでしたが、
「アレックス?どうしたの?」
「あ、久しぶりにあの場所に行きましたので景色を思い出していました」
「姉上も初めてはピクニックでしたか?」
「いえ、お散歩をしている時に偶然見つけたのです。あの場所は私とオスクリタが初めてお会いした場所でもありますから」
「そうなのですか?」
今は結界を張り、清浄な空気で満たされていますが、私が初めて訪れた時は空気がとても澱んでいました。お母様が定期的に浄化を行っていたそうですが、それでも全てを浄化しきることは難しかったようです。
「本当に見違えるようにきれいになって良かったわ。今度は家族みんなで出かけましょうね」
その一言にテオは嬉しそうに返事を返します。香水のことを今は考えてはいけないのにまた考えてしまいそうになります。私も精神統一がまだまだのようです・
「さあ、食事を終えたら音の間へ行きましょうか。もちろん、アレックスもよ?」
「あ、はい」
やはり、ぼんやりしてしまう癖は直した方が良いのかもしれません。いつの間にか食事も終わっています。一度自室へ戻り、いくつかの楽譜を持っていきます。それからお母様にいただいた本も。
音の間からは微かにピアノの音が聞こえました。お母様が先に弾いているようです。うっとりするほどに美しい音色です。昔の人は音にも魔法が宿っていると考えられていたことがあると聞いたことがございますが、この音色を聞くと間違いではないように感じられてしまうので不思議です。
「アレックス、立ったままでいないで入ってきてはくれないの?」
「お邪魔をしてはいけないと思いまして」
「邪魔じゃないわよ。さあ、入って」
この部屋に入るのも久しいです。音楽祭の練習をしたい時は使っていましたが、それ以来一度も入っていません。
「アレックスも来たことだし始めましょうか」
「はい!姉上、歌ってください」
「い、いきなりですね。何が良いですか?」
テオは1枚の楽譜を手渡しました。これはお母様がテオを身ごもられたときに作られたものです。『天からの贈り物』という曲名で、生まれる前も生まれた後も良く歌っていました。私が歌っても良いのでしょうか?ちらりとお母様を見ると優しく微笑まれました。
「わかりました」
私は大きく息を吸ってお母様の伴奏に合わせて歌います。歌詞やメロディーから愛情を感じられる素敵な曲です。
実は、お母様は私やお兄様が身ごもった時にも曲を作られています。必ず誕生日になるとお母様は歌ってくださるのですが、お兄様は最近は少しお恥ずかしいようで、必ずお母様と2人の時にお願いされるか、防音の魔術を使われています。傍から見るとお母様の歌声を独り占めしたいように写るのですが、そのことはまだ秘密です。
「姉上、すごいです!姉上が歌い始めるとどうして周囲がキラキラし始めるのでしょうか?」
「キラキラ、ですか?」
「はい!姉上が歌い始めるといつもキラキラするんです。魔法みたいですね」
「きっと精霊たちが喜んでいるのね。さあ、次はテオの番よ」
お母様に促され、私は座ります。テオの澄んだ歌声を聞きつつ、私は持って生きた本を開きました。そして、吸い寄せられるようにとあるページを開きます。
音による物体の変質について。背筋を冷たいものが伝った気がしました。この話はどの文献にも載っていなかったはずです。...いえ、今考えるのはやめましょう。
私は本を閉じ、再びテオの歌声に集中しました。歌うことが大好きだとまっすぐに伝えてくるような素敵な歌声です。きっとテオはこれからも上達し続けるのでしょう。
弟の成長を喜びつつも、やはり例のページが気になったまま私は歌の練習に戻りました。
今日のお母様の指導はいつになく熱が入っていたように感じられます。