プロローグ(1)
「リューディア・コンラット。私との婚約を解消してもらいたい」
突然王城に呼び出され、さらに呼び出された先が第一王子モーゼフ・デル・リンゼイの私室で、何事かと思ったら、そういうことだった。
リューディアは何かを言わなければと口を開けるのだが、言葉が出てこない。何かしら言葉を紡ぎ出そうと唇を動かしても、出てくるのはハクハクとした息遣いのみ。
「まあ、お茶でも飲んで落ち着きたまえ」
涼しい顔をしているモーゼフは、テーブルの上に置かれているお茶を差し出した。淹れたてのお茶は、ふんわりと柔らかい白い湯気を立てている。つまり、彼女がこの部屋に来てから侍女がお茶を淹れ、一礼した侍女が部屋を出て行ってすぐに、彼はそんなことを口にしたというわけだ。
リューディアはけしてモーゼフの言葉に従ったわけではない。お茶を飲みたくなったから手を伸ばしただけ。
紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。相変わらず良い葉を使っている。こくんと一口飲めば、紅茶の香りと温かさが全身に行き渡るような感じがした。と同時に、冷静になる。
カチャリとカップをテーブルに戻してからリューディアは尋ねる。
「理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」
ああ、と腕を組んで足を組んでいるモーゼフは大げさに顔を縦に振る。
「君が、不細工だからだ。いつも眼鏡をかけていて、私の隣に相応しい女性であるとは思えない。パーティでも舞踏会でも。そのような醜い眼鏡をかけた女性が私に相応しいと、本当に思っているのか?」
リューディアは答えることができなかった。まさか、眼鏡をかけていることを指摘されるとは思っていなかったからだ。
「でしたら。パーティのときに眼鏡を外せば、モーゼフさまは満足されるのでしょうか?」
少し震える声で、リューディアは尋ねた。声が震えたのは、眼鏡を外さなければならない状況を想像したから。
「いや。わざわざそのようなことをする必要は無い。もう、君と私は婚約者同士ではないのだから。共にパーティに参加することも無くなるだろう。君は好きなだけその醜い眼鏡姿を晒すがいい」
「そうですか……」
眼鏡を外さずに済むのであれば、それにこしたことはない。
「この話は承諾してもらえた、と解釈していいのだろうか?」
「わたくしに拒否権は無いと思っております」
「可愛げもない。その眼鏡をはずし、涙でも見せて、お許しくださいと一言叫んでくれれば、考えなおす余地もあったのだが。やはり君は不細工だ。いつの間にか、その心の中まで不細工になってしまったようだな」
――ブス。
突然、あの時に言われた言葉が、頭の中に鳴り響いた。それはモーゼフと初めて出会った日。彼はリューディアを一目見た瞬間、そう言ったのだ。
「それは、わたくしの立場を踏まえての発言です。殿下が決められたことに、わたくしが反論できるとお思いですか?」
「私が聞きたいのは君自身の本心だよ」
そこで組んでいた足を戻したモーゼフは、紅茶に手を伸ばして、それを二口飲んだ。
「まあ、いい。幼い頃から親によって勝手に決められた婚約だ。これを機に考えなおしてもらおうと思ってだな。これから一生、君の辛気臭い顔を見て暮らすだなんて、私には耐えられない。私にだって、好きな女性と生涯を共にする権利があると思わないかい?」
好きな女性、という言葉が彼から出てくることが意外だった。
「はい、そうですね。殿下には思いを寄せている女性がいらっしゃるのですか?」
よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりの笑顔をモーゼフは浮かべた。緑色の瞳が嬉しそうに揺れている。目が隠れるくらいの長ったらしい紺色の前髪をわざとらしくかき上げた。
「そうだ。私は運命の出会いを果たした。彼女を一目見た瞬間、私の全身が痺れたのだ。君と初めて出会ったときは、動悸が酷くて嫌な思いをしたというのに。たが、今回は違う。彼女から目が離せない、そんな気持ちだ」
興奮しているのか、いささか頬も赤く染まり始めている。
「そう、でしたか……。殿下が素敵な女性と巡り会うことができて、何よりです」
「そうか。君ならわかってくれると思っていたよ。婚約解消に必要な書類は、後日、コンラット家の屋敷に届ける」
「承知しました」
リューディアは事務的に深く頭を下げる。
「お話は以上でしょうか?」
「ああ、そうだ。もう、帰ってかまわない」
リューディアは飲みかけの紅茶が気になったが、婚約解消を望む男性といつまでも同じ部屋で同じ空気を吸いたいとも思わなかった。
「では、失礼します」
すっと立ち上がり、堂々とした面持ちで部屋を出た。バタンと扉が閉まり、やっと空間が分断された。
眼鏡のテンプルに手を当て、眼鏡の位置を調整する。しっかりと顔を隠すように、と。




