伝統を書いてゴミと読む
『それでは、Bブロック最終試合は、一五分後に行います。皆様、しばらくお待ちください』
「じゃあ社長。俺ちょっと行ってきます」
羅刹はVIP席から立ち上がり、華奈達に背を向ける。
「あら、どこへ行くの羅刹君?」
「ええ、ちょっと隆雄さんのところに」
礼奈が思い出す。
「ああ、隆雄ってあのレストランで会った挙動不審の」
「そうそう挙動不審の」
好美が渋い顔をする。
「いや、あれは全部せっちゃんのせいだと思うんだけど……」
「じゃあ、激励に行ってきますね」
羅刹は席を離れて、選手控室へと向かった。
◆
稲峰流古武術の門下生、大原隆雄の控室。
そこでは、若い隆雄が先輩の教えを受けていた。
隆雄がゆっくりと先輩の顔に蹴り込む。
「いいか隆雄、このまま敵の蹴りをギリギリまで引きつけて……ここだ!」
鷹の上段蹴りが先輩の顔に当たるギリギリのところで止まる。
止まった足首を、先輩が両手でつかむ。
「このギリギリまで引きつけたタイミングで敵の足首と足先をつかみ、相手の回転力を加えて内側へと捻じり巻き込む」
隆雄は足を捻じられて、うつぶせに倒れる。
「膝を破壊しつつ、うつぶせに転倒した相手の腰の中央をカカトで打ち抜けば、もう相手は立ち上がれない。相手は蹴り技主体だ、効くぞぉ」
「はい」
隆雄は、ただ黙って頷いた。
そこへ、羅刹の声が割って入る。
「マックススピードの蹴りが一センチ詰める前に、そんなにあれこれできるかよ」
「誰だ?」
先輩はムッとした表情で、羅刹へ振り返った。
「旗大路フーズ代表の天城羅刹ですよ。それより、そんなお約束の演武でしか使えない技を教えてどうするんですか?」
「何!? 稲峰流を侮辱するのか!?」
先輩は顔を真っ赤にして怒るが、羅刹は怯まず、距離を詰めながら。
「うちの流派は知ってますよね? 他流派の技を積極的に吸収し完成させる天城流が、なんで稲峰流の技を吸収しないか解ります?」
先輩は、偉そうに胸を張った。
「我らの技が高等過ぎて、見ただけでは再現できないのだろう?」
羅刹は鼻で笑う。
「吸収する価値もない寒天だからだよ」
「ぬぬぬ、貴様無礼にもほどが――」
羅刹が繰り出した、神速の上段蹴りが先輩のアゴ先をかすめる。
まったく反応できず、先輩は崩れるようにして倒れ、意識を失った。
「この人の言う通り、無礼ですが無礼を承知で隆雄さんに言いたい」
羅刹は心配そうな顔で、隆雄と向き合う。
「貴方は稲峰流に収まる器じゃない」
「…………」
隆雄は答えない。
「隆雄さん……貴方は瞬発力、柔軟性、運動神経、動体視力、反射神経、戦闘センス、どれをとっても一流の格闘家だ。素晴らしい武術の、天賦の才がある。実戦的な空手や柔術、キックボクシングをやればきっとNVTのトップ選手になれる逸材だ。なのにどうしてまだ稲峰流を続けているんですか? 去年も言いましたよね? 同じ組み技のある柔術や合気道、少林寺拳法に転向すべきだって」
隆雄は、申し訳なさそうな顔でうつむく。
「羅刹君の言う事はわかるよ。稲峰流古武術は……ただの演武用だって。あらかじめ相手の動きと自分の動きを決めておいて、これから彼が右上段突きをするから、その返し技のアレを見せますってしておいて、そうして成功するのが現実。マスコミは相手を華麗にさばきながら投げ飛ばす僕の技を喜んでくれるけど、こんなの実戦じゃ使えないよ……」
「その通りです。それでも隆雄さんがNVTの選手として、山洋堂の代表選手でいられるのは、ひとえに隆雄さん自身の実力。使用者自身の圧倒的な技量で、流派のハンデをカバーしているだけです!」
「無理だよ」
隆雄は、うつむかせた顔を上げて、羅刹と視線を交える。
「君も知っているだろ? 僕はね、いじめられっ子だったんだ。町一番の弱虫で臆病で泣き虫でヘタレの根性無し。そんな僕を救ってくれたのが稲峰流だった」
大原隆雄はわかりやすいいじめられっ子だった。
いつも馬鹿にされて、いつもなぐられた。
長い修業と経験値が必要な古武術は、子供が習ってすぐに使えるものじゃない。でも、武術をやっているという事実が、隆雄少年に強い勇気を与えた。
いじめに、いじめっこに立ち向かう勇気を持った隆雄少年は、いつしか誰からも馬鹿にされなくなっていた。
「僕は稲峰流に助けられたからね、今度は、僕が稲峰流を助けるんだ。稲峰流に準じたいんだ」
隆雄は優しく笑う。
「だからね羅刹君。僕は稲峰流を捨てないよ。稲峰流が、僕の勇気そのものだから……」
自分の胸に手を当てるその姿に、羅刹はもう何も言えなくなった。
「解りましたよ隆雄さん、もう何も言いません。そのかわり、絶対に勝って下さいよ」
羅刹が歯を見せて笑うと、隆雄も歯を見せて笑った。
「うん」




