No.4 少女の願い
「……という訳だ。解ったな?」
「……なんとなく」
解っているのか解っていないのか、無表情なのでなんともわかりにくい。
俺は今、少女に対して、十数分に渡る講義を行っている最中である。
………数十分前
少女が願いも無く、事故同然に俺を召喚してしまった事実に、頭が真っ白になった俺は、しばらく喋る事も出来ずにいた。
このまま、少女が俺になんの願いも言わずに過ぎれば、魔法陣の外に出られない俺は3日もかからない内に、餓死してしまう事だろう。
しかし、俺を外に出すために少女が願いを言えば、それは遅かれ早かれ、少女が死ぬ事を意味している。恐らく、寿命よりもずっと早くに。
そして、その魂は俺の物になる。
少女はきっと、自分の魂を差し出してまで、俺を外に出すために願いを用意するような事はしてくれないだろう。
少なくとも俺は、逆の立場だとしても、願いを言いはしない。
見知った仲ならまだしも、見ず知らず同然の赤の他人である。なにせ、お互いの名前すら知らないのだ。
そんな奴の為に、自らの魂を差し出すような奴は居ない。居るはずが無い。
だから俺は、もう諦めていた。
死刑の執行を待つ囚人の心持ちで佇んでいたのだ。
少女は、そんな俺をジッと見つめていた。そして、しばらく俺を見ていたかと思うと、おもむろに両手を上げ
「わー」
と言った。例の、ド下手な驚いた振りである。
それを見て、俺は思った。
前にも言ったが、悪魔は弱肉強食を流儀としている。俺だって一介の悪魔として、野垂れ死ぬ覚悟位はいつも持っている。
しかし何故だろう。俺はこう、思ってしまったのだ。
コイツの前でだけは、死んでたまるか……と。
「おい、ガキ」
気がつくと、俺は話し始めていた。
無駄は百も承知だが、やらないよりマシである。
「ん?」
『わー』のポーズのまま、少女の顔がこちらを向いた。
「よく聞け。今から、俺が置かれている状況を説明してやる……」
こうして、史上もっともみっともないであろう、悪魔の説明会が始まった。
そして、今、ようやく一通りの説明が終わった……という訳だ。
俺が少女に教えた事は、主にこのような内容だ
・魔法陣のせいで、俺が少女の願いを叶えなくてはならなくなっている事
・魔法陣のせいで、俺が元居た世界に戻れなくなっている事。
・少女の願いを聞き届けない限り、魔法陣から出れない仕組みになっている事
・願いが叶ったら、魂を俺に差し出さなくてはならない事
・少女は、自分の魂の力が続く限り、俺に願い事をする事が出来る事
などである。
全てが、混じりっけ無しの真実であり、必要と思われる情報はすべて提示したつもりである。
そもそも、下の魔法陣のせいで、俺は少女に対して、嘘をついたり騙したりする事は出来ないようになっている。
悪魔は契約を果たし終えるまでは、主人の不利益に繋がる行動は取らないものなのだ。
「つまり……」
「……つまり」
俺が結論を言おうとすると、少女が割って入るように話し始めた。
「このままだと悪魔さんは死ぬ。けど願いを言えば、今度は私が死ぬ……って事?」
少女は俺と自分を交互に指差しながら、淡々と話す。
なかなかに賢しいものだ。
「まあ……そういう事だ」
言うことのなくなった俺は、魔法陣の上に横になった。
喋る事は喋った。あとは、人事を尽くしてなんとやらだ。
「後はお前が決める事だ。どっちを選ぶのもお前の自由、好きにしろ」
少女は、俺の言葉には答えず、ジッと黙り込んでいる。どうするべきかを、考えているのだろうか?
半ば諦めてはいるが、もしかして、という望みがある状況で待たされる事程辛い事も無い。
下手に絶望出来ないだけ、一層質が悪かった。
「……質問……いい?」
長い沈黙を破って、少女の声が響く。
俺は、ゆっくり体を持ち上げた。
「なんなりと」
俺が答えると、少女は質問を始めた。
「私の魂が続く限り、願い事が言える……んだよね?」
「その通りだ」
「それってどのくらい?」
「そうだな……ピンキリだ。魔力や物質を大量に使う願い事は、それだけ魂の減りも早い。それに、召喚主の魔力や魂によっても増減する。早い奴は数日で空になるし、年単位で魂が持続する奴も居る」
「じゃあ、その魔力とかを使わない願い事なら?」
「あ?」
不意を付かれたような気になって、少し考える。
「ふむ……まあ、そんな願いがあるのかわからないが、恐らく殆ど魂を消費しないだろうな。しかし、全ての願いを完遂した時点で魂を貰うのは変わらないし、悪魔を召喚してるだけで魂の力は消費される……まあ、いずれは尽きるのは変わらんだろうな」
「それでも、長持ちする?」
「まあな、例えば、ただ立ってろって願いなら、カスみたいな魂の持ち主でも、1ヶ月は持つだろうよ」
俺の言葉を聞きながら、少女は床をジッと見つめている。何かをぶつぶつ呟いているようだった。
もしかしたら……何かしら願いがあるのかもな。
俺の中に、淡い期待が膨れ上がっていく。
「うん……うん……」
少女は何度も頷くと、ばっと顔を上げた。
何故か、その顔は上気して真っ赤になっている。ガラにもなく興奮してるのだろうか。
「何でも、叶えてくれるんだよね?」
「まあな。ああ、けど永遠の命とかは止めとけよ、どうせ無駄……」
「そんなんじゃない」
俺の言葉を打ち消すように、少女は大きく頭を振った。
そして、びっと俺の目を見て、こう言った。
いつもと同じ、小さく、抑揚の無い声。
「私の……家族になって」
面喰らった。
確かに、物も、魔力もまるで使わない。
しかし、この願い事は、俺が今まで体験して来た願いの中でも、最高級の大損だ。
「お前……そんなしょうもない願いで……」
「いい」
こちらを見据え、迷いなくそう言い放つ少女。
その深海のような、暗く深い瞳に、微かに光が宿ったような気がした。
「はっ……」
思わず、笑みがこぼれた。
下らん。
下らん願いを持つ奴も居たものだ。
「良いだろう!」
立ち上がり、羽を広げて、浮かび上がる。
「俺の名前は、セシリア=フォル=クラウズ」
魔力が体中を駆け巡る。心地良い。
腕を振ると、俺の周りを拘束していた光が、粉々に砕け散った。
「お前の家族になる者の名だ。覚えておけ、我が主よ」
少女を見下ろしながら、ニヤリと笑う。
家族か。その程度で良いなら、幾らだってやってやろうじゃないか。
少なくとも、魔法陣の中で野垂れ死ぬよりはずっと良い。
少女は、俺が笑ったのを見ると、答えるように、ぎこちなく微笑んだ。
「うん、私はクラリッサ」
少女は、大きく一回頷くと、すっと手をこちらに差し出した。
「よろしく、セシリア」