No.3 無欲な少女と絶望の悪魔
「さて、そろそろ本題に入るか」
俺は、魔法陣の上にすっと立ち上がると、こう言った。
なんだか、とてもどうでも良いことで、変に時間を喰ってしまった気がする。
良く考えたら、俺はお化けかなんかじゃないのだから、何も無理して少女を怖がらせる必要は無い。
さっきは、我ながら大人気なかったと思う。
こんな子供に無駄な時間を費やす必要は無いのだ。とっとと願いを叶えて、魂を奪い取って、おさらばしてしまえば良いだけの事だ。
人間が悪魔を召喚するのは、叶えて貰いたい願いがある時と相場が決まっている。
人の短い命と、限りある力では、どうしても叶えられない願い事。分不相応にも、そんな願い事を持った奴らが行き着く先の一つが、悪魔召喚である。
悪魔を召喚し、その悪魔に願いを叶えて貰う。
己の、魂を代償にして。
女、金、権力、力、自由。願いは人によって様々だ。
自分の魂を代償にしている以上、手に入れた所で一夜の幻のようなものなのに、何故か人は、悪魔に魂を売り渡してまで、願いを叶えようとする。
その姿は何時も滑稽であり、哀れだ。
魂を得る悪魔の方が得をしている事に、人間は何時も気がつかない。
いや、違う。気がつけない人間が、悪魔を呼ぶのだ。
「……本題?」
少女は、俺の言葉に対して、人差し指を下唇に当て、考えるような仕草をした。
しかし、こんな子供が、魂を売り渡してまで叶えたい願い事なんて持ってんのかね?
世の中ってのは、解らんものである。
「ああ、そうだ。俺が召喚された役目を果たさせて貰おう。さあ、願いを言え」
「…………?」
少女からの反応は無い。
まるで、ダンスパーティで大道芸を披露してしまった時のような、気まずい空気が流れる。
「……願いだよ、願い。さっさと言え」
沈黙に耐えきれず、少女を急かす。
しかし少女は、困ったように眉を歪める。
「……願い……?」
「そう。願いだよ。殺して欲しい奴が居るとか、うなる程金が欲しいとか、何かあって俺を呼んだんだろ?」
しかし、少女はさらに眉を歪めるばかりで、その口からは、『願い事』のねの字も出て来ない。
「…………無い」
ややあって、少女の口から出た言葉はこれである。
俺の中で、少しだけ、だが確実に、嫌な予感が胸に広がった。
「無い? 願いが無いって事か?」
恐る恐る、聞いてみる。
少女は、また少し考えていたが、今度はさっきよりはっきりとこう言った。
「うん、無い」
「無い、じゃねーよっ!」
狭い室内に、俺の怒号が響き渡る。
「いきなり他人様呼びつけといて、願いが無いって! 願いが無いってどういうことだ! 俺はお前の描いた魔法陣のせいで、この陣の中から出る事すら出来ないんだぞ! お前の願いを叶えなきゃ元の世界に帰る事も出来ん。こんな嫌らしい仕組みの術式組み上げておいて、『願い事はありませーん』ってどんな嫌がらせだよ! お前、俺に何か恨みでもあんのかよ! えぇ!?」
頭に血が昇り、一気にまくし立てる。
しかし少女は、ちゃっかり手で耳を塞いでいた。
「き・け・よ!」
ほっぺの一つでも、引っ張ってやろうかと手を伸ばすが、陣から伸びた光が俺の手を遮った。
ああ、全くもって忌々しい!
「違うの」
「あぁ? 何が違うんだ」
少女が、俺の下にある机から、紙を一枚手に取った。
どうやら、俺の下にある陣の元らしい。古めかしい紙の上に、俺の周囲に展開しているものと全く同じ図式が書き込まれている。
少女は俺に見やすいように紙を持った。
そして次の瞬間、彼女はとんでもない事を口走ったのである。
「……これに触ったら、悪魔さんが出てきたの」
俺の耳がおかしくなっていなかったら、その言葉は、確かにそう聞こえた。
いや、いっそ俺の耳がおかしくなっている事を祈りたかった。
だが、悔しい事に俺の耳はけして悪くない。
そして、少女は一呼吸置いた。
俺には、永遠に感じられる程の一瞬だった。
そして、トドメの一撃。
「だから、召喚なんてしてない」
「………………うそだろ?」
少女の言葉が、俺の耳をガンガンと響き渡っていく。
苦い絶望感が、胸一杯に広がった。
俺は……
俺は一体、どうなるのだろう……
もちろん、その俺の問いに答えてくれる人は、誰も居ないのであった。