No.2 怖がられない怖がらない
俺は今、最高に不機嫌だ。
そして、最高に腹が立っている。
誰に? 自分にだ。
突き刺さるような寒さも和らぎはじめた春先、俺は人間界に召喚された。
『人間界』に『召喚』されるという事は、勿論俺は人間では無い。
俺は悪魔だ。名前はセシリア=フォル=クラウズという。
長くて覚えづらいと良く言われる、面倒な名だ。周囲からは専らセシルと呼ばれている。
まあ、悪魔と一口に言っても色々な種類があるが、俺は頭からは黒い角が生え、背中に羽が生えている。魔界ではラプアと呼ばれている種だ。
その俺が、人間界に召喚された。
まあ、人間によって召喚されたのは仕方ない。俺を召喚したの人間が、俺を召喚するに足る力の持ち主だったってだけの事だ。
弱肉強食を流儀とする悪魔にとって、これは受け入れざるを得ない現実だ。
しかし、しかしである。
何故、俺の前に居るのが、こんな親離れも出来て無さそうな、ちんまいガキなのだろう……
俺を召喚したのは、人間の少女だった。
本の中で尻餅をついて、こちらを見上げている。
歳は十代前半といったところだろう、長い栗色の髪に、小柄で細身の体躯、白い透き通るような肌。
顔はけっして悪くないのだが、どこか、日陰で生きて来たような不健康さを感じさせる少女だった。
「……悪魔……」
こちらを眺めていた少女が、呟くようにそう言った。
音が小さいのに、不思議と聞き取りやすい声だ。だからこそその声に、抑揚がなく、感情がまったく感じられないのが気にかかる。
表情も、まるで変化がなく、喜怒哀楽というものが根本的に欠落したような無表情さをしている。
目尻の下がった深海のような藍色の瞳が、じっとこちらを眺めているだけだ。
「ああ、確かに俺は悪魔だが……お前、もう少しなんか無いのか?」
「何が?」
本当に解らない、といった感じで、少女が首を傾げる。
「いや、悪魔だぞ……? 驚くなり、恐れるなり、興奮するなり、何かあるだろう」
「何が?」
少女の首が、さっきとは逆の方向へと傾く。どうやら本当に、驚いても、怖がっても、興奮してもいないらしい。
「ちっ……可愛げの無い……」
そう言って、魔法陣の上であぐらをかく。
子供に召喚された挙げ句、ここまで淡白な反応をされるとは思っても見なかった。
もしかしたら、今日は厄日というやつなのかもしれない。
少女は、俺が拗ねたのを見て、何かしなきゃならないとでも思ったのだろうか、しばらく考え込んでいたかと思うと、おもむろに両手をあげ
「わー」
と、棒読みで言った。
もしかしてこれ、驚いてるつもりなんだろうか?
「おちょくってんのか?」
『わ−』のポーズのまま、ふるふると、首を振る少女。
なんだか、本当におちょくられてる気がしてきた……
「はあ、もういい……手、下ろせよ」
この少女に、マトモなリアクションを期待するのは止めよう。
ゆっくりと上げた両手を下ろす少女を見ながら、俺は何故か、脳の奥が痺れていくような感覚に襲われたのだった。