No.10 蒟蒻より弱い……
エルヴィラ曰わく
「家を移すのに準備が必要だから、1日頂戴」
との事で、出発は明日以降、という事になった。
リィズランは、『なんで私がこんな事やらなきゃならないのよ!』と愚痴をこぼしながらも、家の周りや壁に転移陣を描き、時空安定機や空間軸指定鋲などを設置する作業に追われている。
凄いのがリッツの能力で、リィズランが『開門』させると、本当に何でも出て来る。
『コイツ一匹で家が建つわよ』というリィズランの言葉も、あながち嘘では無いかもしれない。
俺はクラリッサに言いつけられて、あちこちから植物をかき集めてきたりしていたのだが、夕日が差し込む頃合いになると何もする事がなくなり、リビングで本を読んで過ごしていた。
本当に、探せば本がどこにでもある家で、読み物には事欠かない。まあもっとも、半数以上が俺の知らない言葉で書かれていた訳だが……
ちなみに、クラリッサは昼過ぎから書斎にこもって出て来ない。俺が召喚された、あの部屋である。
物音一つ聞こえないが、一体何をやっているのか……
「出来た」
夕食が終わり、寛いでいると、リビングにクラリッサが現れた。
手には、赤く分厚い本が一冊抱えられている。
「なんだそりゃ?」
「辞典」
受け取って開いて見ると、確かに辞典である。
「で、この辞典がどうしたのか?」
「私が作ったの」
「はあ?」
もう一度辞典を開いてみる。確かに、紙の作りやインクが妙に真新しい。
今ここで書いた出来映えである。
「凄いな……」
「カイムさんに頼まれてたの。元からある辞典を写しただけだけど」
「いや、それでも凄いだろ」
これには素直に感心する。
ただでさえ結構な技術を要する写本を、辞典クラスまで仕上げてしまうのだから驚きだ。
本来ならば、一人でするような作業量では無い。
「で、これを届けるから付いて来て」
「ああ、解った」
主人の命令である、断る理由は無い。
俺は、辞典を脇に抱えると、外へと歩くクラリッサに着いていった。
◇◆◇◆◇
「って……協会かよ……」
「ん?」
クラリッサに連れられて夜道を歩き、連れられた先は、小さいながらも純度の高い聖気に満ちた協会の前だった。
俺だって腐っても悪魔である、こんな聖気に当てられたら気分が悪くなるし、協会の人間にこの角を見られるのは具合が悪い。
「カイムってのは、協会に居るのか?」
「うん。前までここには誰も居なかったけど、気付いたら住んでたの」
勝手に協会に住んでるのか……
にしては妙に聖気がキツいのが気になるが、協会関係者じゃないだけマシだろうか……
「行こ」
クラリッサは、こっちの葛藤などお構いなしに、協会の扉を開きながら手招きしている。
まあ、ハナからこちらに選ぶ権利なんて無いということか……
仕方ない。俺は諦めて、協会に足を踏み入れた。
「カイムさん、居るー?」
返事も待たず、ずけずけと中に入っていくクラリッサ。俺も黙って、後に従った。
つーか聖気きっつ……晩飯リバースしそう……
「本屋か。それと……」
奥の扉が開き、中から人影が現れる。
黒い服を身に纏った、金髪の長い髪をした細身の男だ。
こいつが件のカイムという奴だろうか、全身から不自然な程の聖気を放っている。
聖職者でも、ここまでの聖気を纏えるものだろうか。正直、冗談抜きで気分が……
「ふむ……」
男は、クラリッサと俺を交互に見つめると、何かを納得したように頷き、軽く会釈をした。
「こんばんは、カイムさん」
クラリッサも応じるように頭を下げる。
やはり、この男がカイムらしい。
「うむ、で、本屋よ。何用だい?」
「頼まれてた本が出来たから持ってきたの」
カイムの質問に、俺の脇にある辞典を指差しながら、クラリッサが答える。
「……随分と早かったね。で、そこの男は?」
カイムの目線が、こちらへと向く。若干の警戒をはらんだ、探るような目つきだ。
「セシリア、私の家族」
「家族?本屋は孤児と伺っているが?」
「うん、昨日から家族になったの」
「…………………」
クラリッサの素っ頓狂な返答に、明らかにカイムが困惑する。
ああ、やっぱり変なんだな、コイツ……
そんな事を考えていると、頭の中に声が聞こえて来た。
《セシリアとやら、どうなっている?》
……………
辺りを見渡して見ても、人影は見当たらない。
と、なると、この声の主は……
《察しの通り、私だ》
カイムだった。
「なっ!おまっ天……」
《黙れ!消すぞ!》
《わ、解った……》
ここで戦っても俺に勝ち目は無い、俺は黙って、カイムのテレパシーに応じた。
目の前に居るカイムという人物は、信じがたい事であるが、正真正銘の天使のようだ。
天使を初めとする天界の連中は、天声というテレパシー能力を持っている。
そのテレパシー能力が使えると言うことは、少なくともカイムは、天使か神か、天界の連中だと言うことである。
《で、悪魔よ。どういう事だ》
何故か、カイムは天使という身分を隠したいらしく、俺とのテレパシーでの対話がお望みらしい。
いきなり襲いかかられたら困るのはこちらだ、こういう展開はありがたい。かくして、天使と悪魔の密談が始まった。
《どういう事も何も、こういう事だよ》
《見たところ相当の力を持った悪魔のようだが、何故こんな状況に陥ってるのだ。本当に本屋の家族をしているだけなのか?》
《ああ、俺も信じられんがな》
《本屋は悪魔の力を悪用しようとしてないのだな》
《するように見えるか?》
《見えんな》
《だろ?》
《……悪魔。取引だ》
《取引……黒いなお前。本当に天使か?》
《黙れ。私も天使という身分を隠す身だ。ここで事を構えるのは私も避けたいのだ》
《そりゃ、俺だってこんな事で死にたくは無いが……》
《よし、良いな。これから私が提示する条件を受け入れろ。そうすればこの場は見逃してやる》
《何だよ?条件って》
《今に解る》
というやり取りを、俺とカイムは数秒の間に交わした。
天使とは思えない程強引な奴である。
いや、いきなり襲いかかって来ないだけ物わかりが良いのだろうか。
いずれにしても、条件というのを受け入れるしかない。
「セシリアといったな」
白々しく、カイムが話しかけて来る。
その手には、いつの間に用意したのか、白い布の塊が握られている。
「これをやろう」
白い布を剥ぐと、中から現れたのは、鞘に収まった、一振りの剣だった。
「わー」
クラリッサが、脇から興味深そうに覗き込む。
「抜いてみて」
言われるがまま、鞘から刀身を抜き放つ。
「これは……」
一言で言えば、奇妙な形の剣である。
刀身は短く、刃渡りは40cmも無い。短剣にしては大きめだが、剣というには少しばかり小振り過ぎる。
更に特徴的なのは、その形である。
四角いのだ。
切っ先と呼ばれる、先の尖った部分が完全に切り取られ、刃全体が均一の太さの、長方形の形になっている。
刀身に刻まれた模様もどこか特色的で、刃の下半分は普通の剣と大差ないのに対し、上半分は剣の腹に四本、縦の溝が彫られている。
「……なんだこりゃ?」
果たしてこれを剣と呼んで良いものか、果てしなく疑問である。
「刃戒剣ウィナケア、と名付けた。正直言ってノリで作った失敗作の部類なのだが……」
「ちょっと待て、ノリ?失敗作?」
「そうだ。ちょっとそれで、私を切ってみろ」
そう言いながら、自身の胸をトントンと小突くカイム。
「良いの?セシリア、やろ」
何故か、クラリッサが目を輝かせている。
「まあ良いか……」
切れと言うなら切ってやるさ。
剣を構え、一閃。ウィナケアの刃は、カイムの体に当たり……
くんにゃり
と、思いっきりカイムの体の上を滑って通り過ぎた。そして、プルプルと震えながら、何事も無かったように元の形に戻る。
「どうだ?」
「『どうだ?』じゃねーよ!何だ?何だこれ!?蒟蒻かなんかか?」
あり得ねー!
あんなにくんにゃり曲がったら、何も切れねえだろ!
「凄い凄い」
クラリッサは、一人楽しそうである。
手品かなんかを見せられたみたいに、はしゃいでいる。
「ふふふ、これは持ち主の心情に反応する剣でな、持ち主の心が邪であるならば、この剣は驚く程弱くなり、持ち主の心が正しければ、この剣は驚く程強くなる」
カイムは上機嫌で何かを説明している。
「ね、ね、私も」
「ああ、やってみるか」
クラリッサが俺の服を引っ張ってねだってくるので、俺はウィナケアをクラリッサに渡す。
クラリッサは剣を引き抜き、こんこんと刀身を叩いたりしていた。
「いや、しかしこの調整が極端過ぎてな。弱い時が本当に弱い。それこそ蒟蒻なんか比較にならない程柔らかくなってしまってな、私としても使いどころに困っていた所なのだが、お前のような脅威に対する抑止力としては丁度良いと思っ……」
「たー」
ノリノリで講釈を垂れるカイムに、クラリッサがウィナケアを振り下ろす。
すると、ウィナケアはカイムの体に吸い込まれる様に入り
さっくりと
切れた
「あ」
「切れた」
「う、うおおおおおおおおおおおお!」
夜の街に、カイムの絶叫がこだました。