閑話その一 暇を持て余した万魔王の遊び
魔術師学院、『基礎課程教室』。午後の講義中であった。
「えー、三十年前、魔術師ギルドと学院が成立したことによって、魔術師は爆発的に増えました。しかしその結果、魔術師一人あたりが得られる報酬はこのように下がってしまうのですね……なんとも皮肉な話です」
扇形に広がった学生席が囲む教卓には、禿頭の中年教官が立っている。背後の黒板に何枚もの図表を張り出し、その意味を解説していた。基礎過程の必修科目『魔術経済』である。
ユーリアは例によって最後列、もっとも高い席に座っていた。
四人がけの席の左からブルダン、アイネ、ユーリア、そしてイルゼ。皇位継承権を剥奪されたイルゼは、当然のようにこれまでの取り巻きたちから敬遠されるようになった。別段、イルゼ自身が嫌われているわけではないが、生徒たちの親は『皇帝から断罪された』皇女に近づくことを許さなかったのだ。もっともイルゼ自身はわりと清々したようであったが。
で、ユーリアだ。
「三十年前、『魔術師一人の一ヶ月分の給料』から算出された『帝国魔術貨』は当時、交易金貨二百五十枚の価値があると言われていましたが、現在の平均的な魔術師の月給は交易金貨八十枚という統計が……」
「うぐぅ……ぬぬ…………にゅわ……」
絶賛、睡魔と激闘中であった。
引き締めれば鋭く、澄ませば気高く、笑えば愛らしく変わる顔が、目は半眼白目だわ、涎は垂らすわで見られたものではない。
「ユーリア……頑張れ!」
「あと四半刻ですぞ、ユーリア殿!」
「ふにゅにゅ……ぎゃんばる……よ……」
横からアイネとブルダンが励ますが、ユーリアのまぶたは、ぴったりくっつく寸前であった。
「ちょっと! イルゼもユーリアに何かいってあげなよ!」
ユーリアの隣で真面目に帳面をつけていたイルゼに、アイネが苦情を言った。イルゼがユーリアと同居するようになってからしばらくは、アイネもブルダンも堅苦しかったが、最近は大分慣れてきている。
「ふひゅぅ……」
「……一週間、講義中に居眠りせずに過ごせたら、二人きりでディランおじさまと遊びにでかける、でしたねえ」
イルゼは、こっくりしはじめたユーリアを冷たい目で見下ろして呟いた。どうも、ユーリアがディランと交わした約束について思うところがあるようだった。
「そういう『特典』は、自らの手で勝ち取ってこそ意味があると思いますよ」
「……ひぇ」
「容赦ないですな」
以前のイルゼなら、皇女や級長という立場上の責任を重視してユーリアに助けを出していただろう。それがこうなったのを見たアイネとブルダンは、《皇帝陛下はこの人の『枷』を外してしまったのでは……》と身震いしていた。
「そ、そうだ……! お父さんと遊びに……行くんだぁぁ!」
しかしユーリアは蘇った。
イルゼの声が……というより『ディランと遊びにいく』という情報が脳を刺激したのだろう。ぐぎぎ! と歯を食いしばり、自分の太腿をつねりあげながら頭を持ち上げていく。
「おお、良いぞユーリア!」
「もう少しですぞ!」
「んがぁぁぁ!」
無限の重さで視界を閉ざそうとしていたまぶたを、ユーリアは気合で持ち上げた。カッ! と青い目が見開かれ、『万魔王』たる彼女の極彩色の魔力が噴き上がる。
「ユーリアくん」
「はい! 起きてます!」
「よっしゃ!」
教官がユーリアを呼んだ。いつもなら既にユーリアは机に突っ伏し寝息を立てているところだが。今日は、元気よく返事をすることができた。アイネも拳を握りしめる。
「教室は魔力を放出したり騒ぐところではありません。廊下に立ってなさい」
「……スイマセン」
アイネにブルダン、そしてイルゼも連帯責任として廊下に追い出された。
「まったく、いい迷惑でしたね」
「うー……」
講義が終わり、ユーリアたちは学生棟のロビーにいた。
テーブルやソファがいくつも並び、学生たちが思い思いにくつろいでいる。
「まあ、一応寝ないでいられたんだし」
「そうだね……」
ほっぺたを膨らませるユーリアをアイネが宥める。
「ところで今日はどうすんの? おじさん、まだしばらく帰りが遅くなるんでしょ」
「そうなんです。衛兵隊の新しい巡回経路の確認をしてまわっているとか」
「またどこかのクラブを体験されますかな?」
「もう運動はいいや……」
ディランが忙しいため、この一週間ほどユーリアとイルゼは放課後の時間を持て余していた。それで、昨日は学院生徒たちのクラブ活動に参加してみたのだが……。
「凄ぇよねえ。ボールをバットで粉砕するわ、一人で十二人のスクラムぶち抜くわ……」
アイネは、昨日のユーリアの活躍とその結果を思い出しながら呟いた。
ユーリアの身体能力があまりにも高すぎて、集団競技にはまったく適応できなかったのだ。
「魔境都市で流行ってた『魔球技』なら得意なんだけど」
「へぇ、魔境都市でもそういうのあるんだ」
「どんな競技なんです?」
「えっと、基本的には野球と同じなんだけど。ボールといっしょに魔術で打者を攻撃したり、バットで投手を殴っても良いんだよ」
「危ねーわ!」
「さすが魔境都市……」
アイネとブルダンが突っ込むが、ユーリアには何が問題なのか理解できていないようだった。
「あ、では。ゲームならどうでしょう?」
「なるほど。頭を使う遊びの方が良いかもね」
「私もその方が得意かな」
「……」
イルゼの提案に皆賛成した。ユーリアの謎の自信にはみな一抹の不安を感じたが。
「えっと、これで『皇帝五種』かな」
「うぇー!? またユーリア!?」
「これで五連勝ですな」
「本当に初めてなんです?」
ロビーの丸テーブルに陣取ったユーリアたちは、カードゲームに興じていた。
たった今、ユーリアが役を揃えてトップをとったのはポーカーと似たゲームである。
「うん、初めてだよ」
「それにしちゃ強いよね! こっちのハッタリ全部見抜くし、ユーリアのところにばっかり良いカードいくし……」
「これが天の運に選ばれたものということでしょうか……」
「運?」
ユーリアの『読み』と『強運』に感嘆する友人たち。だがユーリアは不思議そうに首を傾げた。
「別に運じゃなくて、普通に見て分かってるだけだよ」
「?」
「……まさか、ユーリア」
「貴方、山札の中にどんなカードがあるか分かるんです?」
「え、そういうゲームじゃないの?」
そう、ユーリアは驚異的な動体視力で、シャッフル中のカードの並びを全て記憶していたのだった。最初から、相手の手札も、山札に積まれているカードの中身も全て分かっていたのである。
「そういうゲームじゃねーから!」
「えー」
アイネは思わずユーリアの額にチョップを叩き込んでいた。痛くも痒くもないそれを、ユーリアは瞬きすらせずに額で受け止めた。
「これなら純粋に頭脳の勝負ができますぞ」
ブルダンの発案で次に準備されたのは、木製の遊技盤と駒だった。『軍盤』と呼ばれるゲームだ。
「あ、見たことある! 前にお父さんがお友達と遊んでた!」
お互いに数十枚の駒を操り、相手の『皇帝』を先に詰ませることを競うこのゲームは、この世界でかなり普及している。
「これが『武人』。一番数が多く弱い駒ですが、重要な駒ですな」
「武人? お父さんのことだね! でも一番弱いってどういうこと!?」
などと多少の混乱はあったものの、ルールを理解したユーリア。さっそく一局勝負したいと言い出した。相手はイルゼである。
「お願いします! さっき意地悪されたお返しするよ!」
「よろしくお願いします。返り討ちにして差し上げましょう」
意気込んで対局を始めた二人であったが。
「……ぎゃー負けた! もう一回!」
「ええ、あと一回勝てば私の勝ち越しになりますからね!」
ユーリアもイルゼもド下手であった。
しかも、お互いに勝ち越すまで終われないと、ムキになって勝負を続けている。
「もう暗くなってきたよー帰ろうよー」
「拙者、空腹なのですが」
結局、二人が帰宅したのは夜更けになった。
揃ってディランにお説教されたのは、言うまでもない。
たくさんの評価、ブックマーク、感想ありがとうございます。
第二部のプロットができるまでは、不定期でこんな感じの閑話を投下してくつもりです。
今後とも宜しくお願いします。




