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第六十話 闇夜の後で

 結局のところ、ディランはその後寝込んでしまったので後始末にはあまり関わらなかった。


 魔霊たちが闘技場から溢れ出す寸前で止められたため、帝都市民の直接的な被害は想像より大分少なかった。魔層化イヴィライズの影響で出現した怪異に巻き込まれて怪我を負ったり、中には数日間行方不明になるものも居たようだが、幸い死者は確認されていない。


 『詩人ムウの星』を起動するために死鬼に殺された四人の魔術師や、第一大隊の魔装騎士、闘技場での戦いで殉職した衛兵たちは丁重に葬られ、遺族には帝国政府からの補償がなされた。


 団長が殉職、二人の副団長のうち一人は醜態を晒し、一人は当該事件の首謀者だった魔装騎士団は解体となった。

 セオドールは父親である騎士団長の爵位を継ぐことは許されたものの、所領は没収され自宅に謹慎処分となった。リリアナは魔術師ギルドに戻ったが、セオドールとの付き合いはまだ続いているらしい。


 衛兵司令官は、事件の解決に尽力したと評価され新たな領地を得た。衛兵隊の予算も増額された上、各衛兵に臨時の賞与ボーナスも支給されている。ただし、予算増額は、魔装騎士団に代わって貴族地区の治安維持も担うことへの代償でもあり、しばらくの間衛兵隊は大忙しとなった。


 帝国政府は魔層化イヴィライズは数千年に一度の自然現象だと公表した。つまり、事件の真実は隠蔽いんぺいされたのである。


 イルゼ皇女は皇位継承権を剥奪された。彼女の政治的な存在意義は著しく低下したが、さほど混乱は起きなかった。また、公式な処罰こそ受けなかったが、その身柄は以後厳重な監視の元に置かれることになる。




 あの夜から三日後のマイクラント家。

 ディランはまだベッドから起き上がれなかった。ユーリアは付きっきりで看病してくれていたが、今日から無理やり魔術師学院へ行かせている。


 天井を見上げていたディランの元へ、珍しい客があった。


「ちょ、何やってるんですか陛下?」

「見舞いにきて悪いかね?」


 ヴァリアール帝国皇帝その人であった。数人の護衛と、内務卿だけを連れたお忍びである。


「君の活躍はディーナガバルから散々聞いたが。……その代償は大きかったな」

「ほっといてもらえますかな……いだだっ」


 愉快そうな皇帝の言葉に、ディランは顔をしかめた。いや、顔を顰めたのは腰に走った激痛のためだ。

 ……要するに、ディランは張り切りすぎてぎっくり腰になっていた。


「あの武王が腰痛とはなぁ。年は取りたくないものだ」

「それはお互い様でしょう」

「それでな」


 内務卿が勝手にキッチンを使って淹れたお茶を手に、皇帝は本題に入る。


「今度創設する治安維持組織の長に、君を推薦したいのだがどうかね?」

「今のが公式のご命令でないのなら、お断りします」


 ディランは即答した。護衛はざわつき、内務卿も眉を上げるが、皇帝は軽く頷いた。


「まあ、そういうだろうと思った。ギレンセンの二の舞いになりたくはないだろうしな」

「私はギレンセン殿ほど難しいことは考えないですがね」

「ヤツの考えな。うっすらとは感じていた。だが、あれ・・は我ら凡人には理解できん苦しみだ。人の大多数は、いくら鍛えようと竜には勝てぬのだからな」


 直接ではないにせよ、ギレンセンは自分が帝国の未来を危惧していることを伝えたことがあったのだろう。皇帝はため息をついた。


「あれほど過激な手段をとるとはなぁ。全く、年をとろうが、皇帝だろうが、人の心だけは分からん」


 恐らくそれは、ぽろりと漏れた愚痴なのだろうが。快活で知的な老人の表情は、一瞬ひどく歪んで見えた。


「人の心が読める、なんて思い込んでるよりマシですよ」

「では、人の心の読めない余としては、素直に聞くとしよう。ディラン。君はギレンセンやシュレイドのように帝国を憎むかね? もしくは、憎みそう・・・・かな?」

「はぁ」


 皇帝の問いに、顎をさすって考え込むディラン。護衛の間にじわりと殺気が滲んだ。


「帝国の方針に異議はありませんよ。何しろ私は魔境都市から出てきて、この帝都がどれだけ豊かで平和か身に沁みていますから。あの『大戦』から三十年で、多くの人々を笑顔にできたのは陛下の御威光でしょう」

「世辞としても、君にそう言われるのは光栄だな」

「だから私は帝国と陛下の味方ですよ。昔と変わらずね」


 ディランは何の気負いもなく言い切った。護衛たちの殺気など、団扇で涼風を送ってもらっているくらいにしか感じていない。


「しかし、それなら先ほどの話、断るのは何故です?」


 そこに内務卿が口を挟んだ。魔装騎士団の後継である組織の長だ。追放歴のある元騎士、現衛兵からすれば望外の出世である。


「ギレンセン殿もシュレイドも、帝国の悪い部分を見すぎた……んでしょう? 『悪い部分が悪い』と言うほどガキではないですが、そういうことには向き不向きがある。私には、向いていません。それに……」

「ユーリアさんのことかね」


 皇帝の先回りの言葉に、ディランは頷く。


「ディーガナバル殿から聞いてるでしょうが、あの子は特別です。もし、あの子がうっかり・・・・帝国を潰しそうになったら、私はあの子を引っ張って何処かに行かなきゃなりません。身軽な方が良いんです」

「帝国が彼女を潰すのではなく、逆の心配か」


 皇帝は口をへの字にした。ディランは冗談を言っているようには見えない。ディーガナバルやイルゼからの報告を聞いても、彼の心配はもっともに思えた。


「しかしできれば、私はユーリアにこの帝都でたくさんのことを学んでほしい。そして、幸せになってほしい。帝国を守る一番の理由はそれですね」

「見事に、忠誠とか義務とかいう言葉がでてきませんねぇ」


 シンプルなディランの理由を聞いて、内務卿がからかうように言った。口調は軽いが頬が少しひくついているので、彼自身は『忠誠』や『義務』に重きを置く性格らしい。

 これにはディランも皇帝も苦笑した。


「口先だけの忠誠などより、よほど信頼できるさ。……ただし、ディランよ」

「は」


 皇帝の表情が変わった。それまでの気軽さは消え、冷酷は統治者の目をディランに向ける。ディランも表情を引き締めた。


「伝説の武王が復活し、その魔術器アーク以上の技で帝都を救った。……そこまでは良い。だが、世界を動かせるのは一部の超人の特権であり、そうでない者は大人しく超人に従えば良い。などと人々が思い込むのは認められない。それを忘れるな」

「それは、私も同じ考えです」

「うむ。……ところで」


 頷いた皇帝が、ふと思い出したように言った時。


「お父さん、ただいまー!」


 勢い良くドアをあけ、制服姿のユーリアが寝室に飛び込んできた。その勢いのままディランに抱きつこうとして、ベッド脇の椅子に座る皇帝や内務卿、護衛たちに気付く。


「お客さん?」

「……皇帝陛下であられる」


 額に手をあてながらディランが紹介すると、ユーリアはピンと背筋を伸ばした。


「ご無礼いたしました。ディラン・マイクラントが娘、ユーリアと申します。拙宅へお越しいただき、光栄の至りにございます」


 制服のスカートの裾を摘み、優雅に一礼するユーリアはそこらの貴族令嬢に負けない気品があった。内務卿や護衛たちも『ほう』という顔をする。


「此度は忍びゆえ、直答を許す。……というより、気楽にしたまえ。ディランのことは古い友人のように思っている」

「そうなの? じゃあ……よろしくお願いします!」


 皇帝の言葉を実に素直に受け取ったユーリアは、『やり直し』とばかりに、ぴょこんと元気よく頭を下げた。冷酷だった皇帝の顔も、これには苦笑が浮かぶ。


「ああ。よしなにな。ユーリアさん?」

「よいしょ……はい?」


 ユーリアはベッドの縁に座り、ディランの腹の上に頭を乗せながら答えた。流石に内務卿や護衛が目を剥くが、皇帝は気にしないようだった。


「君はこの帝都が好きかね?」

「はい! 綺麗だし美味しいものが一杯あるし……友達もいます!」

「そうか。その友達というのは……」

「あの……」


 頭を抱えるディランと側近を余所に意外とはずんだ皇帝とユーリアの会話。その二人に、遠慮がちな声がかかった。


「お、お父様……?」


 ドアの陰から寝室を覗き込む、金髪に金の瞳の少女。イルゼだった。


「イルゼか。……今日はディランの見舞いにきたのだが。……息災かな」

「っ!? は、はいっ」


 イルゼは皇位継承権剥奪の上、当局の監視下におかれることになった。……一体どのような政治的な力が働いたのか、彼女はディランに押し付けられたのだった。

 ディランにも本人にも説明はなかったが、この措置に関する調整を担当させられた内務卿に皇帝は『あれ・・にはディランとその娘に対する枷になってもらう』と言ったのだ。


「おじさまにも、ユーリアにも本当に良くしてもらって……何一つ不自由はしておりません。これもお父様……陛下の恩寵です」

「……ふむ」


 イルゼは皇帝が見たこともないほど穏やかな笑顔で言った。皇帝は、しばらく呆然とその美貌を見つめていたが、やがてゆっくりとディランを見た。


「ディラン君」

「は」

「君、おじさまとか呼ばせてるのかね? うちの娘なんだが?」

「え? は? いえ、それは……」


六十話で第一部最終回と散々いっておいてアレなのですが、エピソードが長くなり過ぎたので、本日(14日)12時を目安にもう一話だけ投下します。それで本当に第一部完となります。

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