第六話 万魔王
一方、こちらは魔術師学院。
魔術。
魔術そのものは、遥か古代から伝わってきた技術だ。魔術師は自分の属性に合った精霊と契約し、魔力を捧げることで精霊の力を利用することができる。
ただし、技術といってもそれはとてつもなく抽象的、直感的な体系だ。しかも魔術適正という、生来の才能がなければ習得自体が不可能ときた。
そのため千年の間、魔術師たちは師から弟子へほそぼそと技術を継承していくしかなかった。
魔界からの大侵攻に、帝国をはじめ人類種族が立ち向かった『大戦』。その過酷な戦場において、魔術師は強力な切り札ではあったものの――少なすぎた。
それを教訓として、魔術師たちは大戦後、魔術師ギルド及び魔術師学院を設立した。
目的は三つ。
可能な限り魔術師を増やすこと。大戦後に確立された魔術器を作成する技術、『魔工学』を研究すること。最後は魔術の悪用を防ぐこと。
これらの目的を達成するため、それまでの小規模な徒弟制度は否定され、広く人材を集め教育を施す機関として設立されたのが、魔術師学院である。
教育施設だけでなく、一流の魔術師のための研究室なども設置されている。魔術師ギルド本部そのものに次ぐ、帝都第二の魔術の聖地だ。
「……それは分かってるんだけど……」
男爵家の使用人に魔術師学院まで案内してもらった、ユーリアがぼやいた。正面ホールである。お揃いの制服を着た学生が忙しく行き来していた。
ホールの壁に刻まれた、学院設立の経緯、理念を暇つぶしに読んでいたのである。
警戒厳重な正門をくぐるだけで、ずいぶん手間がかかった。ボーネン男爵が、父の昔のコネも使った数枚の紹介状を用意してくれなければ、門前払いだっただろう。
「なにも、私が魔術師だかにならなくても……」
《お父さんと一緒のお仕事が良かったなぁ……。勉強とか苦手だし……》
しかしそれでも、彼女は不満面である。
相変わらず、黒いぴったりしたズボンとショートコート、ブーツにマフラーという姿だ。腰のニ小剣もそのまま。当然、学生たちからは不審と好奇の視線を向けられている。
いや、それが嫌だというわけではない。
ユーリアは赤子のころディランに拾われ、魔境都市で育った。幼い頃から武術と魔術、両方の才能を認められていた彼女は、ここ数年は冒険者として生活していた。詳細は省くが、それはもう、屍の山をもりもり築き血の河をがんがん渡るような経験を何度もしている。
なので。
「ちょっと、何よあの子……」
「汚いわねぇ」
「誰かの家の護衛かしら」
などと、無遠慮な感想が聞こえてこようが、露骨にじろじろ見られようが全く気にならなかった。ユーリアにしてみれば、ひな鳥のさえずりのようなものだからだ。
「すいません、お待たせしました!」
見る目のある者が見れば、ひな鳥の中に若竜が混じっているような状況だ。それに本能的に気付いていたのか、慌ててユーリアに駆け寄った事務員の背中にはじっとりと汗が滲んでいた。
「ボーネン男爵様からのご紹介ですよね? 今から筆頭教官がお会いになります。どうぞこちらへ」
「ええ。ありがとうございます」
ユーリアが案内された応接室は、落ち着いた色合いながら高級品を惜しげなく詰め込まれていた。
「ユーリア・マイクラントさん。入学ご希望ですとか?」
「はい。今日はお時間を割いていただき、ありがとうございます」
筆頭教官は、丁寧に整えられた黒髭もダンディな中年魔術師だった。異国風のターバンが異常に様になっている。対面に座っているのが普通の乙女であれば、恋の一つや二つしてもまったくおかしくもない。
もっとも、涼やかな所作で一礼を返したユーリアの脳内では《お父さんもあんなお髭生やしたらどうかな? いまいちかなぁ……でもお父さんなら何でも似合うかも!》などという検討会が開かれているのだが。
「これまで、魔術を学んだことはありますか?」
「冒険者をやっていた時に、パーティの魔術師に少し教えてもらったことはあります」
「ほう。では、精霊との契約は?」
「ええと、契約はしてません」
「ふむ……」
普通、この台詞は『契約できません』という意味にとれる。精霊と契約できなかったということは、魔術適性が低いということだ。筆頭教官もそう受け取った。
「ボーネン男爵からは学院に寄付もいただいておりますし、無下にはできませんね。ただし、他の入学希望者と同じように適正試験は受けていただきます」
「ええ。もちろんです」
今や、魔術は人類が自然と超自然に立ち向かうための至宝である。その至宝を担う人材を育成する巨大組織だ。本来、男爵程度の権威ではびくともしない。
筆頭教官の対応はむしろ、学院の組織としての懐の深さを物語っていた。
昔ながらのやり方では、魔術適正を知るだけでも何日もかかった。
今では学院が開発した専用の魔術器を使い数分で検査できるようになっている。
ユーリアは筆頭教官に連れられて、適性検査を行う部屋へとやってきた。
「ここに立てば良いんですね?」
「ええ。痛みはないはずですが、異常があればすぐに言ってください」
床に描かれた六芒星の中心にユーリアは立たされる。六芒星の六つの角には、台座に乗った六属性の精霊石が設置されていた。
精霊石。魔術器の要であり魔工学の原点である。
「では検査を開始します」
「検査開始」
数名の係官が台座に触れ、魔力を充填していく。その魔力によって精霊石が起動し、プログラムに従って精霊の力を解放する。
「……」
床の六芒星がぼんやりと輝き、六つの精霊石からそれぞの精霊が象徴する元素の力がユーリアに流れ込んできた。
火精、風魔、水妖、地霊。そして光の騎士に闇の王子。
対象者の属性に応じた精霊が、台座の上に具現化する仕組みである。等級は、具現化の度合いを八段階で判定する。
「……田舎っぽい子だけど、雰囲気はあるよね」
「結構、いい線いくかも」
数名の係官がひそひそと囁き合う。
普通ならこの場に立つと誰でも緊張でがちがちになるのだが、銀髪の少女は悠然としたものだった。
「賭けるか? 俺は風魔のニ」
「ニはないんじゃない? うーん……水妖の四!」
「集中したまえ」
「も、申し訳ありませんっ」
不謹慎な会話を、ターバンの筆頭教官がたしなめた。顎髭をさすり、不愉快そうに。係官たちは冷や汗を浮かべ押し黙った。
数分後。
六芒星の光がさらに強まり、一つの頂点に集中する。光の精霊石がまばゆく輝き、神々しい女性騎士の姿を形作っていった。
「我は暁をもたらす者。光の騎士」
白銀の髪の騎士が、歌うようにいった。
「……まあ、よろしく」
正面に立つユーリアは、あまり興味なさそうに頷く。そもそも魔術自体に熱心ではない。
「ひ、光の騎士!」
「学院二人目の光の騎士だ!」
「それより、しゃ、喋った!? もうほとんど物質化してるじゃないか……特級だ!」
係官たちの反応は激しかった。口と目をあんぐりあけて驚愕している。光と闇の属性持ちは、他の四精霊に比べ極端に少ない。その上、『ぼんやり姿が見える』三級で、もう十分希少なのだ。大抵の魔術師の等級は三か四である。
「じゃあ、私は光の属性ってことですね……あれ?」
ユーリアは振り向いた。背後の台座……闇の精霊石が置かれた台座がぐにゃりと歪んで見えたのだ。
実際は、歪んだのは台座ではなくその周囲の空間だった。粘土のように形を変える台座の上に、漆黒のマントに身を包んだ青年が出現する。
「我は黄昏を呼ぶ者。闇の王子」
「ふーん?」
よく分かっていないユーリアに反比例して、係官たちの驚愕と混乱は増していく。
「闇の王子!? いやこれって! 二重属性ってこと!?」
「しかも、闇も特級って……ありえん……」
係官たちには不幸であったが、精霊の出現はさらに続いた。
「我は土の王。固定し、持続する者。地霊」
「我は水の司。流れ、包む者。水妖」
「我は風の娘。渡り、変える者。風魔」
「我は炎の戦士。砕き、放つ者。火精」
残り四つの台座に、それぞれの精霊が完全な実体を現していた。係官たちは言葉もなく立ちすくむ。中には腰を抜かした者もいた。無理もない。全ての属性を持ち、全ての属性が特級。学院どころか、魔術師ギルド全体を見回してもそんな人間は存在しない。
つまり才能だけでいえば、目の前の少女は地上最高の魔術師ということだった。
「……万魔王」
ただ一人、超然と検査を見守っていた筆頭教官が、厳かに言った。