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第五十九話 万魔王の怒り

「……っ……」


 ギレンセンの頭部も砂のように崩れるのを理解したのか、しないのか。

 死人そのものの無表情でディランは『扉』へ向き直り……膝をついた。


「がっ!? はあっ! はあっ!」


 『死人化』ともいうべき逆命剣の効果が終わったのか。『死』そのものから反転したディランの肉体には、かろうじて『生』と呼べる程度の力しか残していなかった。


「く、そ……」


 必死で顔をあげれば、闘技場の上空を雲のように覆う魔霊の群れが視界に入った。




「まだだ!」


 貴賓席。

 『星』は停止したが、ディーナは苦く叫んでいた。

 一度起動した『星』の輝きは、すでに十界の彼方にいる『恐ろしいモノ』を惹き寄せていたのだ。


 ズン!

「きゃっ」


 まだ異次元にいるはずの『モノ』の足音が、ついに物理的な音と衝撃を空間に与える。


「……ディラン!」


 ディーナは貴賓席の窓際まで走り、『扉』に最も近いディランを見た。だが、最強の武王は未だ膝をつき、立ち上がれない。

 ディランのすぐそばにたつ『扉』の向こうに、何か巨大な影が確かに映っていた。

 見上げれば、何千という魔霊は結界を破り外へ出ようと荒れ狂っている。いまごろ、魔術師ギルド本部で必死に結界を維持しようとしている魔術師が、次々に倒れているだろう。


 魔霊どもが散らばり、手当たり次第に人間やエルフと融合すれば帝都は地獄になるだろう。『恐ろしいモノ』がこの世に出現したら、大陸そのものがそうなるかも知れない。


「しゃーねぇ!」


 ディーナは覚悟を決めて叫ぶと、窓から飛び出していた。




「ユーリアさん! ユーリアさん!」


 リリアナやゾマー、アイネにブルダンは魔力を消耗しすぎて半ば失神していた。かろうじて意識を保っていたイルゼが、『星』にもたれるように脱力するユーリアの頬を叩く。


「ユーリアさん! こうなってはもう、貴方に頼るしか……」


 皇族としての劣等感と同じほど、使命感と責任感をもつ少女が、恥も外聞もなくユーリアにすがっていた。

 聡明な皇女は、事態がすでに神話レベルの危機であることを理解している。それでも、《ユーリアさんなら大丈夫!》という自分でも不思議に思うほどの信頼が、すでに心に出来上がっていた。


「んぁ……?」


 ユーリアは浅い昼寝から引き戻されたかのように、ぼんやり目を開けた。当然だが、顔色は悪い。さしもの『万魔王』も、(アイネやブルダンを庇ったこともあり)限界以上に魔力を消耗したのだ。頬もけているように見える。


「ふわ……イルゼさん?」

「ユーリアさん!? しっかりしてください! 大変な時です!」

「……んー」


 ユーリアの肩を掴んでガクガク揺さぶるイルゼ。ユーリアは、軽くその手を振り払うと、ふらふらと貴賓席の窓際へ近づいていく。足取りは実に頼りない。

 窓際に立ったユーリアは、一言呟いた。


「お腹、空いた」


 スゥゥゥゥゥ。

 何か恐ろしい、風が吹き抜けていくような音。ユーリアは唇を尖らせ、周囲の空気を吸い込んでいた。


「な、何?」

「ユーリア? どったの……?」


 リリアナやアイネが意識を取り戻し、目を細めてユーリアを見る。

 風が吹き抜ける音は、すぐに轟音になった。


 ゴオォォォ!

 ユーリアが『狙った』のは、闘技場の上空で荒れ狂う魔霊どもだった。無数の魔霊が、ユーリアの尖った唇へと、凄まじい勢いで吸い込まれていく。


「なっ!? なっ……ななな!?」

「なにやってんのぉぉユーリアぁぁぁ!?」


 オオォォォォ!?


 魔霊たちの叫びも、驚愕に震えている。

 見守るイルゼたちの思考も停止していた。

 だが現実として。たった一人の少女の口へ、魔霊の群れが濁流のように次から次へ吸い込まれ、消えていく。


 オォォ……ォォ……。


 たった数十秒で。魔界からようやく現実世界にやってきた魔霊数千体は、ユーリアの内に吸収され尽くしていた。


「嘘だろぉ……?」


 命がけで魔霊に対処しようと飛び出していたディーガナバルは、こめかみに一筋の汗を浮かべ、呟く。




「ユ、ユーリア……さん?」

「ユーリア、大丈夫!?」

「ユーリア殿!


 仲間たちが恐る恐るユーリアに声をかけ、その肩に触れる。人間が魔族に変化するシステムは知らないが、どう見たって魔霊は身体に良い食べ物ではない。


「なんつー悪食! お腹痛くない?」

「は、吐き出した方が……」

「けふっ」


 しかしユーリアは、幸せ一杯という顔で可愛らしいげっぷをした。

 あれほどの魔霊どもが、小さい体の内の何処に消えたのか? 闇魔術師ディーガナバルですら想像もできなかった。

 だがとにかく、ユーリアはすっかり元気を回復し、肌の色艶も良くなっている。


「あ、お父さんは? ……!!」


 記憶の混乱があるのか。ユーリアは呑気な声で呟き、何気なく舞台の方を見て――凍りついた。


 舞台の上では、膝をついたディランの向こう、『扉』から巨大な何かが滲みだしてきていた。そいつは、ディランを覆い潰そうと……。


「ごらあああああ!!」


 ユーリアはとんでもない怒声を上げながら、貴賓席から飛び降りた。


「ユーリアさん!」

「ユーリア殿!」


 イルゼたちは窓から身を乗り出しす。少年少女は見た。ユーリアの全身から極彩色の魔力が噴出し包み込んでいるのを。

 羽でも生えているかのように重力を無視し、ユーリアは宙を駆ける。客席の背を二度踏んだだけで舞台まで到達し、三歩目でさらに高く跳躍。


「私のお父さんをぉぉぉ……」


 片足を鋭く突き出し、きりの如くぎゅるぎゅると回転しながら、『扉』めがけて急降下していく。


「やっちまえユーリアァァァ!!」

「アレはまだ実体化してねぇ! 今しかチャンスはない!」


 アイネは心の底から叫び、ディーナも全てをユーリアに託した。


「いじめるなあぁあぁぁぁ!!」


 ドガアァッ!!

 ユーリアは『恐ろしいモノ』に凄まじい飛び蹴りをぶち込む。


 ゴッ! ドゴゴォッ!

 全身のねじりを加えた蹴りは『恐ろしいモノ』を容易く貫通し、『扉』そのものをも粉々に粉砕する。




「『万魔王アルメイダス』……」


 闇魔術師ディーガナバルは呆然と呟いた。




「……」


 ディランの目の前で、『扉』が崩れ去っていく。

 『恐ろしいモノ』の気配も、扉が繋いでいた異界の気配もすみやかに遠ざかり、消えていった。ついでに言うと、ディランは最後に、『恐ろしいモノ』から明らかな怯えの気配を感じている。


「ユ、ユーリア……参ったな」


 秘剣中の秘剣を使い、限界まで生命力を削ったディラン。その自分を間一髪で救ったのが、愛する娘だと知って苦笑していた。

 不甲斐ない自分を恥じる気持ちもあるし、ギレンセンの不吉な予言も頭をよぎった。一方、娘に対する誇らしさもあった。ユーリアがこれだけの『力』を発揮した理由が、友達や父親であることに気付いたからだ。


「お父さあぁんっ!」


 剣を杖代わりに立ち上がろうとしたディランの首っ玉に、ユーリアが抱きついた。顔を思い切りディランの肩口に押し付け、全身を密着させていく。まるで、薄れた父親の生命力を自らのそれで補おうというかのような必死さだった。


「お父さん! お父さん! 大丈夫!? やだよ! 死なないで! 死なないでお父さん! うわぁぁ!」

「ああ、ユーリア。大丈夫だ。大丈夫だよ」


 ユーリアは幼子おさなごのように泣き叫んだ。

 ディランはその身体をしっかり抱きしめ、何度も頭や背中を撫でてやる。

 実際、活気に満ち溢れたユーリアの体温と声はディランに力を与えていた。少しだけよろけながらもしっかり立ち上がる。


「ううっ……。ぐすっ……死なない? ほんとに? どこも痛くない?」

「本当さ。お前が助けてくれたからな」


 ユーリアはまだディランの肩や首筋に顔をごりごり擦り付けていた。足もディランの胴を挟み込み、ほとんど駄々っ子状態である。


「よ、良かったぁ……。もー! お父さん、びっくりさせないでよ! もー!」


 ディランの鼓動が力強くなってきたのを感じたのだろう、ユーリアは涙で赤くなった目を見開き、唇を尖らせた。ディランの身体にしがみつく両手両足の力は、まったく緩まない。


「はは。すまんな。……ユーリア、良く頑張ったな。お父さん、助かったぞ」

「うにゃ!? …………」


 ユーリアがまだ赤ん坊だったころを思い出すように、軽く揺すってやりながらディランは心からの言葉を囁いた。ユーリアは弾かれたように顔を離し、まじまじとディランを見詰める。


「どうした?」

「全く! お父さん全く! 不意打ちとか! もっと言え! 好き! イルゼさんたちも頑張ったんだから! もー! お父さん大好き!」


 感情が暴走オーバーロードしたのか。ユーリアは瞳をぐるぐる回しながら、支離滅裂なことを口走っていた。

 ディランはそれを、笑って聞いている。



「ディラン坊ー! 生きてるかー!」

「ユーリアー! おじさーん!」

「ユーリアさん! おじさまぁ! ご無事ですか!?」

「た、隊長ぉ!」


「ディーナさんも、こっちに来ていたのか。イルゼ殿下もリリアナも無事か。……なんでゾマーや、アイネさんたちも?」


 貴賓席からこちらを覗くイルゼたち、何故か客席にいたディーナを見てディランはほっとしていた。


 それから、荒れ果てた闘技場内をぐるりと見渡す。まだ外で戦っているかもしれない衛兵たちや司令官、そして皇帝へこの事態をどう説明するか……?

 それを考えて、ディランはため息をついた。

 無論、娘に悟られぬよう、こっそりと。


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