第五十五話 『星』は導く
「……というわけだ。どうだ?」
「うん、分かった! 大丈夫!」
二手に分かれる前に、ディランはユーリアに『死鬼の倒し方』について助言していた。ディランにとっても推論でしかない方法だったが、ユーリアは即座に頷いていた。
「夕食のメニュー決めるみたいに軽いけど……本当に大丈夫なの?」
「失礼な。お父さんの夕食のメニューを決める方がよっぽど難しいよ」
心細気なリリアナの呟きに、ユーリアはほっぺたをぷくっと膨らませて反論する。『知らない人』に対しては文字通り他人行儀になるユーリアとしては、親しげな態度とも言えた。
「君も、大変な任務だがよろしく頼む。魔装騎士団の誇りを見せてくれ。危なくなったらユーリアの言うことを聞いていれば間違いない」
「は、はぁ……」
ディランも、実力はともかくリリアナの感性が『一般人』に近いことに気付いて、励ますように言った。
「お、おじさまも……お気をつけて」
「お父さん頑張ってね! また後で」
ディランは一人、(ぶち破った壁の穴から)抜け道を去り、正規の通路から舞台へ向かった。
ユーリアたち三人は、予定どおり貴賓席へ急ぐ。皇族のみが知る抜け道に、魔装騎士や他の魔物の姿はなかったが念のためリリアナの水魔術で姿を隠していた。
「あ、あの、ユーリアさん」
「何?」
先頭を進むユーリアにイルゼが声をかけた。
「あの時は、本当にありがとうございました。そして今、こうして協力してくださっていること。生涯、忘れません」
「あの時? ……そんなに気にしなくてもいいけど。だってほら、アレ?」
「アレ?」
「アレだよ」
ユーリアは『友達』と言いたかったようだが。アイネたちの時と違って、照れくささがあるのか口の中でもにょもにょとしか言えなかった。イルゼも、なにせ取り巻きは多かったといえ精神的には立派なぼっちである。『アレ』の見当が付かず首を傾げる。
「殿下! ユーリア……さん? そろそろみたいですよ」
闘技場の客席最上階に位置する貴賓席。
ギレンセンは、シュレイドに続いて出ていった。闘技場の舞台へ降りている。
貴賓席から見下ろせば、石製の舞台には一面に不気味な魔法陣が描きこまれていた。その中央には、あの『オステオの涙』で使用された大道具である『十界の扉』が置かれている。本来ただのハリボテで十分なところを、反帝国思想を持つ貴族を唆しこの大儀式に使用できるほどに作り込ませたのだ。
ギレンセンは、『扉』の前に仁王立ちしていた。
すでに、大儀式はある程度進んでいる。開け放たれた『扉』の向こうは、極彩色に渦巻く異界と接続されていた。
時折、異界から迷い込んできたように、漆黒の瘴気の塊が『扉』を通って『こちら側』へ飛び込んでくる。ウードが『魔霊』と呼んでいる塊は、本来の意味の魔界の住民だ。物質世界に定着するための融合対象を探して飛び回るが、闘技場全体を包む結界によって外に出ることができない。
舞台のまわりには、そんな魔霊がすでに数十、うろうろと旋回している。
貴賓席に居残っているのは、黒いローブの魔術師ウードと、瀕死の魔装騎士セオドール……として、片隅に蹲る『死鬼』。
ウードは流麗な黒髪を揺らし、広い部屋の中央、『詩人ムウの星』に近づいた。台座に載せられた護符の六つの宝石は、輝きを増している。
最も輝きが弱いのは『光』のダイヤモンド。『闇』の黒瑪瑙は、床に倒れたセオドールから魔力を吸い上げ、残り四つに負けぬほど輝きを強めていた。
「……やれやれ。まさか、『彼ら』をああまで圧倒する存在が帝都に残っていたとは。そろそろ、『次善の手段』を考えないと」
『彼ら』と言いながら、ウードの青い目は蹲る黒い影、死鬼を見ていた。古代エルフの伝説に伝わる、『星』の復活のために働く魔物だが……それがあのように『怯え』を見せるとは。
軽くため息をついたウードは、蒼白な顔で呻くセオドールを見下ろし、片手を上げた。
「っ!?」
その手の甲を、一筋の光条が貫く。
穴の空いた手を押さえ、ウードが視線を向けたのは貴賓席の壁。皇帝の肖像画が掛けられたあたり。そこに、二つの細い人影があった。
「逆賊ウード・シュライ! 今すぐ、儀式を中断し帝都を元に戻しなさい!」
「セオドール!」
『光輝の指輪』を構えたイルゼ皇女が、鞭のように鋭い声で命じる。リリアナは駆け出し、ウードの足元のセオドールに覆いかぶさる。即座に、水魔術の回復術を発動させた。
「……イルゼ殿下。そちらから来てくれるとは、都合が良い。……と、言いたいところだが……」
数歩後ずさりながら、ウードは顔を顰めた。
『星』を完全に発動させるために必要な最後の『光属性の魔術師』が自らやってきたというのに、死鬼は全く反応していない。
少し肩をすくめて、ウードはイルゼに向き直る。
「しかし意外だね。何故、私が君を騙したのかとか、そういうことをまず聞かれるかと思ったが」
そもそも、イルゼが『星』を発動させてしまったのは、ウードに嘘を吹き込まれていたからだ。それを追求するでも、非難するでもなくいきなり本題に入るとは。
「侮られたものですね。末席とはいえ、皇族。陛下と臣民を守ることとを私情より優先することなどありません」
イルゼはきっぱりと言い切った。黄金の瞳には、強烈なまでの自負が輝く。
イルゼの劣等感を煽ることで『星』を使うよう誘導したウードにしてみれば、土壇場で予想を越えられたことになる。
「セオドールっ! 死なないでよぉ……」
水魔術による治療を施しながら、リリアナがウードの足元からセオドルーの身体を引きずっていく。ウードは全く興味がないかのように、視線すら向けない。
「ま、確かに。ここで私が過去の恨み辛みを涙ながらに訴えたところで、三文芝居にもならんだろう」
ウードは一瞬だけ天井を見上げて呟いた。
『大戦』後から始まった帝国によるエルフ領への圧迫と侵攻、併呑。その過程で自分や家族、エルフ全体がどれほどの暴虐と屈辱に曝されてきたか。こんなところの立ち話で伝えられるはずもない。
「大人しく儀式を中断し魔層化を止めれば、命まではとりません。さあ、早く!」
イルゼは額に汗を浮かべて再度命令した。
ウードはもう一度肩をすくめた。そのまま、護符に片手を置いて。
「嫌だね。少々下品だが、最後だ。皇帝の代わりに君に言っておくが……」
ここで初めて、ウードの端正な顔に露骨な怒りと憎しみが浮かんだ。口元を不気味に歪め。
「貴様たち、帝国に連なる人間は誰も彼も、絶望して死ぬがいい。……闇よ!」
「!?」
叫びながら、ウードは細い指をイルゼに向けた。漆黒のエネルギーが刃となって皇女に射出される。反撃を予想していたのだろう、イルゼは間一髪で床に伏せる。
「……逆賊!」
イルゼは伏せた床から顔を上げ、光輝の指輪から光条を発射した。輝く光はウードの胸を貫く。
「ヒィ……」
戦闘の気配を感じたのか、ようやく死鬼が顔をあげた。女の姿だ。その頭上から、銀の髪をなびかせてユーリアが落下してくる。
「やっ!」
「シギィィ!?
問答無用で死鬼の頭を蹴り飛ばし着地するユーリア。死鬼は床に転がり、ユーリアに背中を向けて這いつくばる。
ユーリアは躊躇なく一瞬で間合いを詰めた。
糸で吊り上げられるように立ち上がった死鬼。ユーリアに背中を向けている。その、後頭部を隠す黒髪が左右に分かれ……憎悪に満ちた男の顔が表れた。
「……ギアッ!」
「!?」
両手にはいつの間にか二振りの凶剣が握られている。『男女両面』。それがこの魔物の正体なのだった。
今や男面をユーリアに向けた凶器は、少女の胴を輪切りにしようと二刀で挟み込む。
「はいっ」
死の輪が閉じる寸前、ユーリアは跳躍した。予備動作ほぼゼロ。恐るべき瞬発力で飛び上がると、身体を小さく折りたたみ前方宙返りで死鬼を飛び越える。瞬間、きらり、と刃が閃いていた。
猫のようにユーリアが着地……死鬼の女面側に……するのに一瞬遅れて、何かが落ちる音がした。
「ヒ、ヒィィィ……」
女面の死鬼は恐怖に震えるように、ユーリアから一歩、二歩、と後退る。三歩下がったところで、死鬼は床に目を向けた。
「!?」
床に落ちていたのは、死鬼の男面。ユーリアは死鬼を飛び越えざまに、その頭部を横に両断していたのだ。
「あ……あ……ぁぁ……」
死鬼は呻きながら、床に膝をついた。震える白い手を伸ばし、自らの後頭部から切り離された男面を拾い上げる。
「……ぅ……」
魔物ゆえの理不尽さか。男面はうっすらと目をあけ、自らの半身を見つめた。女面の表情が、信じられなぬほどに柔らかくなる。
「う、う……ああ……あああ……」
死鬼は男面を優しく抱きしめ、両眼からぽたぽたと涙を零す。その漆黒の身体が、ぼんやりと輪郭を実体を失い、ぼやけていく。
「あぁ……至った……。九つではなかった……」
男とも、女ともつかぬ声を残し、古代の呪いに縛られた魔物は消滅した。
「……まさか死鬼を滅ぼす、とは……まあ、もう、どうでもいい」
ウードは胸を押さえ、切れ切れに言った。
「く……」
「イルゼさん? 大丈夫? どうしよう? とどめをさす?」
立ち上がったイルゼは、唇を噛み締めて恩師の蒼白な顔を見つめる。ユーリアは皇女に寄り添い、元気づけようと声をかけた。
「心臓を貫きましたから。……それより早く、『星』の破壊を……」
「いや、儀式はこれで完成だ!」
ウードは高らかに叫び、自らの喉に手を当てた。指先に『光』のエネルギーが集中し刃を作り出すと、それで自分の喉を大きく斬り裂く。鮮血が噴き出し、『星』を染め……。
「あっ!? まさか……教官は『二重属性』!?」
イルゼは愕然と叫んだ。
ウードの喉からは血液だけでなく大量の魔力が流出し、『星』のダイヤモンドに吸引されていったのだ。
「えっ? あ、これっ、ヤバっ」
セオドールの治療が一段落したらしい、リリアナが青ざめて顔をあげた。
「?」
ユーリアはきょとりと『星』を見る。
『詩人ムウの星』は、六つの宝石全てに極大の光を灯し……ドオ! と、莫大な魔力と極彩色の光線を噴き上げた。
光と魔力は結界も突き破って高く伸びていく。
ゴオォォ!
まだ三人の視界には入っていなかったが、舞台に置かれた『扉』から雪崩のように大量の魔霊が溢れ出す。
そして。
ズズンッ……。
物理的な音や、震動ではない。だが、高い魔力を有する三人にははっきりと感じられた。
『何か、恐ろしいモノ』の足音が近づいてくる、と。




