第五十話 解き放たれた『最強』
帝都衛兵隊の精鋭約二千名は、夜の闇を駆け闘技場にたどり着いた。
石造りの闘技場はかがり火や照明用魔術器の光に照らし出され、巨大な怪物が蹲っているように見える。
「ま、まずはしっかり包囲するんだ!」
司令官の号令のもと、衛兵たちは五つの隊に分かれ円形の闘技場を取り囲む。さらに、対魔術器用に特別に作られた大型の盾を組み上げ、即席の陣地を構築した。良く訓練された動きである。
ディラン以下第六〇一小隊は、即席の司令部となった大盾の壁の内側に居た。
「魔術師ギルドからの応援はまだこないのか!?」
「それがその、今は手が放せないと……」
「こっちより重要なことってあるぅ!?」
本来、魔術師ギルドも冒険者ギルドも、帝都の緊急事態においては政府に協力することが義務付けられている。
当然の応援要請に全く応じようとしない魔術師ギルドの返答に、司令官は丸い顔を赤くする。が。
「文句言わないの! いま、魔術師ギルド総出で闘技場の周囲に結界を張ってんだ!」
「!?」
甘ったるい声の汚い言葉がディランの懐から響いた。衛兵司令部で待機している闇魔術師ディーガナバルの声だった。
「……ディーナさん?」
ディランは首に下げていた、ディーナから贈られた黒い護符を取り出す。黒瑪瑙の首飾りは、ぶるぶると不機嫌そうに震えた。
護符にはいろいろな使いみちがあるとディーナが言っていたが、この通信もその一つだろう。
「臭くなった靴下みたいな持ち方すんな!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう」
実際、気味悪そうに腕を伸ばして護符をぶら下げていたディランは、宥めるように言う。
「いいかい? さっきからそこの闘技場を中心に魔層化が強烈になってきてる。慌てて結界を張って押さえたが、もって数時間ってところだよ」
「もし、結界が破れたら?」
「マジで帝都が魔界に飲まれる」
「ひっ。……そ、それ」
低く掠れたディーナの答えに、司令官が引きつった声を出した。さらに何かを言い募ろうとした瞬間。
ドガッ!
大盾の壁が、巨人に殴られたような音とともに震えた。
「何だ何だ!?」
「司令、お前らも顔を出すな!」
ディランが大声で注意する。こそこそと盾の陰から様子を見れば、闘技場の壁面から無数の火線が飛来し、地面や他の陣地に着弾していくのが分かった。
「火竜槍の攻撃だ!」
ヴィダルが説明するまでもなく、魔術器による攻撃であった。よくよく目を凝らして見れば、闘技場の二階部分のテラスから、何十という人影が槍を構え、火の槍を発射していた。
「……魔装騎士かよっ」
「それも第二大隊、っすね」
ゾマーが苛立たしげに良い、夜目の効くリューリンクが補足した。これで、ギレンセンが黒幕または協力者である疑いはより濃厚となった。
「負けるなぁ! こっちも撃ち返せぇ!」
「司令っ伏せてくださいっ」
無謀にも巨体を大盾から乗り出して衛兵たちに命じた司令官を、副司令が押さえる。ともあれ、その命令は衛兵たちに届いた。
「しゃらくせえ!」
「騎士のぼっちゃんに負けるかよ!」
倉庫から引っ張りだしてきた魔術器を構え、衛兵たちは反撃を開始する。火の槍や風の刃、氷の弾丸が飛び交い、あちこちで破壊音、爆発音が響いた。
衛兵たちの士気は高く、技量も決して低くはなかったが。
「ぐえっ!?」
「ぎゃああっ」
あちらは、一人一人に多くの魔術器を支給された魔装騎士。こちらは、一小隊に一つ魔術器があれば良い方という衛兵。火力の差は圧倒的だった。
「だ、ダメだっ」
「せめて盾がもっとあれば……」
対魔術器の防御魔術を施した大盾は、衛兵隊の目玉装備だ。しかし配備数は少ない。二千人の衛兵全てを守るには到底足りなかった。
大盾に隠れきれない衛兵たちは、身を伏せるか攻撃範囲から逃れるしかない
バンッ!
と爆炎が閃き、衝撃が地を揺らすたびに衛兵たちは悲鳴を上げて倒れていく。
「ちっきしょ! どうにもならねえ!」
「せめて接近できないと、どうしようもないっすよ」
「……」
必死に大盾を押さえ、悔しがる部下たちにディランは言った。
「お前ら、ここを頼むぞ」
「へ?」
驚く部下たちに構わず、ディランは司令官に向けて大声を出す。
「司令官! 単独行動の許可をください!」
「はぁ!?」
「私一人なら、闘技場に突入できます。やらせてください」
「ええええっ……。し、しかしそのぉ……何で私に聞くの!?」
ディランが並の衛兵なら司令官の命令を聞くのは当然だ(いや、並の衛兵ならこんなことは言わないが)。だが、衛兵になってからここまでのディランを見てきた司令官には、それは不自然なことに思えた。
「だって……私なんかただの世間知らずのお飾り司令だよぉ? ディラン君なんか凄いじゃん。私の命令なんか待つことないって」
「いえ」
ディランはきっぱりと首を振った。
「先ほどの陛下とのやりとりでも分かります。貴方は立派な司令官だ。……確かに私は『強い』ということに関しては誰にも負けないと思う。だが、強さに任せて勝手に暴れたら、それは暴力でしかない。私は、あくまで『衛兵』として戦いたいのです」
「ぅ……ふぅー……ごくっ……えへんえへん!」
司令官の顔は赤くなったり青くなったりと、忙しく変わった。大きく深呼吸し、生唾を飲み、咳払いをして。
「わ、分かった! マイクラント少尉! 独自の判断で行動することを許可する! 衛兵の本分を全うせよ!」
「了解!」
「はっ! 所詮、衛兵なんぞ俺たち魔装騎士……それもギレンセン様の訓練に耐え抜いた第二大隊から見れば雑魚だな!」
「ああ。大勢で押し寄せたは良いが、殻にこもって出てこれないようだしな」
闘技場の二階部分。
闘技場全体を一周する廊下には、魔装騎士たちがずらりと並んでいた。廊下の外側はテラス状に開け放たれており、衛兵たちが闘技場を包囲する様子が良く見えた。
騎士たちは全員、白銀の鎧に火竜槍や、その他多くの魔術器を身に着けている。自分たちで言っているように、魔装騎士団第二大隊隊員――ギレンセン子飼いの部下たちだ。
「……おら、そこだっ!」
一人の騎士が、数人で盾を支え前進してきた衛兵たちを火竜槍で撃った。盾で庇いきれなかった足首を正確に撃ち抜き、火だるまにする。
「お見事」
「ふん。帝都の愚民どもに、ギレンセン様の……俺たちの復讐の邪魔をさせるかよ」
たったいま、これまで同じ帝都を守るという仕事をしてきたはずの衛兵を射殺しておきながら、彼らには満足と興奮しかなかった。
その目にあるのも、ただ復讐心だけ。
「おい、また一人馬鹿がきたぞ」
「なんだありゃ? まさか、話し合いでもしようっていうのか?」
「いや……やる気だぞ」
衛兵隊が持ち込んだ照明用魔術器の光に照らされた、一人の男。
衛兵の制服姿だ。抜身の長剣をぶらさげているので、降伏や話し合いの使者ではなさそうだ。であれば。
「……馬鹿め……死ねっ!」
一人の騎士が容赦なく火竜槍の魔力を解放した。燃え盛る炎の槍が超高速で突進し、衛兵を串刺しに――しなかった。
常人では視認することすら難しい炎の槍を、男が長剣で薙ぎ払う。それだけでも信じられないのに。
「なっ……ぎゃああっ!?」
「何だっ!?」
男が長剣で薙いだ炎の槍は、時間を巻き戻すように射手である騎士の元へ飛来し、その胸を貫いたのである。騎士は胸に大穴を開けられてぶったおれ、炎上する。
「火竜槍の炎を……、う、う、打ち返したぁ!?」
「馬鹿なっ! 撃て撃て! 撃ちまくれ!」
「おう!」
廊下に並んでいた魔装騎士たちは、一斉に男に向けて射撃を開始した。その狙いにぶれはなく、確かな訓練の成果が現れている。
衛兵たちを釘付けにしていた炎の槍が、風の刃が、氷の弾丸が男一人に集中していく。
「はやっ!?」
「人間かっ!?」
闘技場に向けて駆け出した男に、炎も風も追いつけなかった。狙って撃った時には、すでに何歩も先に移動している。先読みして撃てば、何故かタイミングを外される。まるで影か幻を相手にしているようだ。
「何してる早く精霊石をよこ……ぐわっ!?」
最新の火竜槍でも、一つの精霊石で撃てる火魔術は三回。素早く精霊石の交換をしようと横を向いた騎士が、顎を蹴り上げられてひっくり返った。
あらゆる魔術器の攻撃を一度も受けずに駆けきった男が、壁を足場に跳躍し二階部分へ踊りこんだのである。
騎士の顎を打ち抜いた蹴りはついでであった。
「投降しろ。今ならまだ、正当な裁判を受ける権利はあるぞ」
男は静かな……どちらかといえば、同情に満ちた声で呟く。もちろん、魔装騎士たちには届かない。
「おいまてこいつはっ」
「貴様ぁ!」
「死ねぇ!」
外からの照明は、男の顔に濃い陰影を作っていた。
『武王』ディラン・マイクラントの顔に見覚えのある騎士もいたようだったが。大半の魔装騎士たちは、怒号をあげて襲いかかっていく。さすがに、味方の列にいるディランに火竜槍などの射撃兵器は使えない。
「しぇぁぁ!」
「だりゃっ!」
広々した廊下だが、それでも一度に戦える人数には限りがある。とっさに前後から挟み撃ちにする魔装騎士の練度は、やはり高いのだ。
それに対しディランは。
「ごぼっっ」
「げっ!?」
真空をまとった剣を、振り向きざまに敵ごと叩き割り。灼熱に燃え盛る戦槌は手首ごと斬り飛ばし、持ち主の首にも後を追わせる。
まるで、三人で入念に打ち合わせをした演武であるかのように、迷いも力みもない動きで、二人の命を奪っていた。
「こ、こいつ……」
「間違いないっ。こいつは、ディランだっ。シュレイドさんと同じ、武王だよっ」
「武王ディラン!?」
「今は一介の衛兵だ」
返り血すら浴びぬまま、ディランは淡々と言った。静かなくせに、魔装騎士たちには心臓が痺れるような恐怖を与える声だった。
「もう一度言う。投降しろ」
「……ふ、ふふふっ!」
騎士の一人が、狂気を感じる顔で笑った。他の連中も似たような表情になる。
「い、いまさら死など恐れない。それに……武王と戦って死ぬなら、先に冥界にいった仲間にいい土産になるっ!」
「おおっ!」
「ギレンセン様のためにっ!」
「……っ」
魔装騎士たち――その大半は、若者だ――の迷いない言葉にディランは凄惨な表情を浮かべた。哀しみ、怒り、諦め……その全てを噛み締めながら。
「わかった。では。衛兵の職権に従い――斬り捨てる」




