第四十七話 『扉』の在り処
「ちょっと、状況を整理させていただきたい」
「そ、そうですね」
イルゼとリリアナ、アイネとブルダンは物陰に隠れ座り込んだ。
まずはブルダンが筆頭教官ウード・シュライの研究室を見張っていた事情を説明する。
昨日、イルゼの屋敷から戻ったブルダンは自室(魔術師学院の学生寮)で、あることを思い出したのである。
ウードが以前、『魔層化』に関する特別講義を行っていたことを。見舞いの帰り道で、帝都では極めて珍しい魔層化に遭遇したブルダンは、ウードに意見を求めようと思ったのである。翌日(つまり今日だ)学院にやってきたアイネも同行すると言い出したのは、自然な流れだった。
「ところが、ウード先生ってば、家に戻ってないみたいなんですよね」
「戻っていない?」
「然り。学院に連絡もないそうで。それで、この研究所まできてみたというわけですな」
他の多くの教官と同じく、ウードも研究所を自宅兼用にしている。筆頭教官の研究所に、基礎課程生である自分たちが訪問することに少し気後れして立ち止まっていたところで、イルゼたちと鉢合わせたというわけだった。
「そうでしたか。私たちは……」
イルゼは手短に屋敷での出来事を語った。本来、一臣民であるアイネたちに話すような内容ではないが、下手な誤魔化しをして騒がれたり、通報されると面倒だと思ったのである。一応、アイネとブルダンの人柄を信用しているということもあるが。
「ユーリアが!?」
「……うむむむ」
一介の学生には衝撃的過ぎる話だった。中でも、友人であるユーリアが魔装騎士と魔物から皇女をかばって行方不明になった、と聞いては。
「……じゃ、じゃあさじゃあさ! やっぱりウード先生に話聞かなくっちゃじゃん! も、もしこの馬鹿騒ぎに関係してるってんなら、とっちめてユーリアの居場所を吐かせなくっちゃ!」
「ど、同意。ユーリア殿を、助けねば」
アイネはいきり立った。恐怖よりも、ユーリアを傷つけたものたちへの怒りが勝っているようだ。ブルダンも冷や汗を浮かべながら頷く。
「……巻き込むことになって申し訳ありません。もし危険な兆候があれば、すぐに逃げてください」
イルゼはウードの研究所の玄関前に立った。リリアナ、アイネ、ブルダンも続いている。
外見は、普通の上流階級の屋敷と大差ない。
獅子の顔をしたドアノブを鳴らす。
「……」
何の反応もなかった。二度ほど繰り返しても、返事どころか人がいる気配すらない。
「どうします、殿下?」
「是非もありませんね」
リリアナの問いに、イルゼは決然と答えた。右手の甲、すなわち魔術器『光輝の指輪』をドアノブへ向ける。
「ちょ、ちょっと殿下ぁ!?」
「時間がありません……えいっ」
指輪のダイヤから眩い光線が伸びてドアノブに直撃し、『ジュゥッ』という音とともに黒い穴が開いた。鍵を焼き切られた扉を皇女は蹴り開ける。
「さあ、参りましょう」
「ひぇっ」
「……こ、皇族の魔術器は一味違いますな……」
やけに攻撃的なイルゼにドン引きしながら、リリアナと学生二人もイルゼに続いて研究所内へ侵入する。
「……やっぱりウード先生もいないですねぇー」
半刻後。
結局、無人だった研究所内をイルゼたちは探索していた。現役の高位魔術師であるリリアナをはじめ、イルゼたち学生も熱心に調べたが今のところ成果はない。
壁一面を埋める古書や、床にまで散らばった巻物、棚から溢れ出す収集物。そこから望む情報を手に入れるにはあまりに時間がなかった。
リリアナが、書きかけの論文をぺらぺらめくりながら呟く。
「『魔層化が物質界の生物に与える影響』かぁ。こんな研究してるって、確かに怪しいわ」
「そうなのです?」
「だって! 魔層化なんて滅多に起きないのに。調べるのも大変な上に、あんまり実用的じゃないですよね。そういう研究にはあまり資金が出ないんですよ」
「世知辛い世の中だねぇー」
帝国政府は魔術、魔工学の発展を大いに奨励しているが、それはあくまで国家を富ませるためだ。『趣味的』と思われるような分野には冷淡である。
「こっちは、『古代エルフの信仰』に『亜人大論』だって。見てるだけで頭痛くなってくるわー」
書棚から手当たり次第に古書を引っ張りだしていたアイネが肩をすくめる。
「今回の事件に繋がる情報を探すには、時間が足りないですね……」
「っすわー」
「ですねぇ」
ため息をつき、顔を見合わせる三人の女性。
そこへ、ドタドタと階段を踏み鳴らし、ブルダンが飛び込んできた。
「で、殿下っ。……み、見つけましたぞっ」
「ええっ?!」
研究所は一階と地下が研究施設となっており、二階はウードの生活スペースだった。探索を分担する時、女性陣がみな『殿方の寝室を調べるなんて……』と拒否したので、ブルダンが一人で二階を調べていたのである。
ブルダンが三人を連れて戻ったのはやはり寝室だった。
「し、失礼いたします」
「ちゃ、ちゃーす……」
「……うぅ」
扉の鍵を焼き切って突入してきたとは思えない、三人娘(?)の態度をブルダンは不思議に思った。が、それを口にしないだけの分別はあった。
必要最低限のベッドとキャビネットだけの室内。唯一の彩りが壁一面に飾られたタペストリーだった。
「特に何もないようですが……」
「これをご覧あれ」
キャビネットは既に乱雑に中身を放り出されており、怪しいところはなさそうだった。ブルダンは天井から床まで届く大きなタペストリーを引きずり下ろす。
「おげっ」
「これは!?」
「ひぃぃ……」
現れた壁面には、赤黒い文字で大きく『九つに至らんことを』と書かれていた。
「これはやはり……」
「ウード先生は、『星』ってやつがヤバイもんだと知っててイルゼ様に嘘を教えたってことやね」
「これだけではござらん。ここを」
ブルダンは壁の一角を指差す。金属製の小さな扉があった。どうやら隠し金庫だ。
「殿下、お願いします!」
「はいっ!」
リリアナがお辞儀をすると、イルゼは気合一発、指輪の光線で金庫の鍵を破壊した。
「……なんかノリノリじゃん」
「しー! これくらいテンションを上げねば、やっとれんのですよ」
「言われてみれば、これってマジモンの犯罪だもんね……」
一歩間違えれば、社会的にも物理的にも抹殺されかねない暴挙ではある。それを今更指摘するブルダンの言葉に耳を貸さず、イルゼとリリアナは金庫の中身を改めた。
「……エルフの工芸品ですね」
「あれ、奥の方に何か……」
金庫はほぼ空だった。中にあったのは、いくつかの木製の人形や玩具。特に怪しげな物品ではないようだったが。
リリアナは手を金庫に突っ込み、中から数枚の羊皮紙の切れ端を摘みだした。羊皮紙には、細かい文字でびっしりと何かが描き込まれている。切れ切れなその文字をリリアナがなんとか拾い読みしていくと。
「何なに?」
「……詩人ムウの伝説……? 『十界の扉』を開く儀式は『星』に血を捧げた後……『扉の依代』……にて……とともに……行うべし……」
「儀式を行う場所についての説明? 覚え書き? でしょうか。扉の依代……とは?」
「ふむう」
ブルダンは眼鏡を押しあげて唸った。
「儀式の場所に見当が付きましたぞ」
「マジで!?」
「本当ですか!?」
「早く教えなさいよ!」
「は、はひ」
ブルダンは、冷や汗をタラリと滴らせて一歩下がった。彼の人生において、三人の美(少)女に詰め寄られることなど初めてである。
「魔術には、『似た存在同士にはより強く魔力が働く』という法則がありまする。ゴーレムは実際の生き物に近いほど魔力を通し易く、守りの魔術は剣より盾にかけた方が効果が高くなるなど。『十界の扉』を開く儀式であれば、実際に何らかの『扉』を使うのが効果的でありますな」
「そうだけど、扉なんてどこにでもあるじゃん」
「いやいや。そのものズバリ、魔界へ続く扉と――を模した存在を拙者たちは見ておりますぞ」
男にとって、美人に向けて自分の理論を説明する(それも、興味津々で聞いてくれる)瞬間ほど楽しい時間はそうない。ブルダンも、鼻の穴を広げて楽しそうであった。もっとも、彼はヘンに勿体つけたり、聴衆を見下すような下品さは持ち合わせていなかったが。
「あっ! もしかして――」
「左様」
ブルダンとアイネは声を揃えた。
「闘技場!」




