第四十六話 ユーリアのいない道
「ユーリアさんっ!」
魔剣『空の口』からユーリアを救ったのはイルゼだった。
目を閉じ、魔層化の影響を防いでいたが、我慢できず飛び出していたのだ。シュレイドの大剣が直撃する寸前、ユーリアの身体を地面に押し倒すことができたのは奇跡に近い。
「イルゼ、さん」
「うくっ」
黄金の髪の少女に仰向けに押し倒された形の銀髪の少女は、呆然と呟いた。ユーリアの手には鮮血がべったりと張り付いている。それは斬り裂かれたイルゼの二の腕から流れる血だ。
「……すまんが」
イルゼの行動に一瞬驚いたシュレイドだったが、すぐに冷静に呟き大剣を持ち上げる。彼の技量ならばイルゼの身体を避けてユーリアの喉を貫くことなど容易い。
「水妖よ凍れる指で我が敵を討て!」
「むっ」
リリアナの声が響き、シュレイドを無数の氷柱が襲った。その全てを大剣で打ち落としながらも、数歩後退せざるをえなくなる。
「シュレイド!」
イルゼは上体を持ち上げ、手の甲をシュレイドに向けた。人差し指の指輪が輝く。
「うおっ!?」
指輪にはめられたダイヤモンドから、強烈に輝く光線が放たれた。反射的に身を捻ったシュレイドの肩を光線が貫く。
「……ヒィィィアァッッ!」
シュレイドとどういう関係なのか。彼がダメージを受けたのを見て、『死鬼』が絶叫した。叫びながら、獣のように四肢を使って駆け寄ってくる。
一直線にイルゼとユーリアを目指す、その女面の凄まじさよ。
ユーリアは死鬼そのものを見るのは初めてだったが、尋常ではないない魔物であることはすぐ分かった。プラス、シュレイド。二人を相手に、イルゼを守りきるには……。
「イルゼ! 『星』を投げて!」
「え? ……は、はいっ」
ユーリアは片膝をついて死鬼とシュレイドを見据えながら言った。その声の鋭さに、イルゼは反射的に『星』を取り出し、空中に投げる。
「ヒアアァァッ!」
「……ぬぅっ」
死鬼は目標を『星』に変え、飛びついた。シュレイドは、流血しながらも大剣を構え、地を蹴っている。
「すー」
ユーリアは静かに深く息を吸い込む。目は半眼。《イルゼさんは命をかけて私を守ってくれた。だったら私も命をかけなきゃだ》
『(父以外の)人間に庇われる』という稀有な体験が、ユーリアの心に火をつけていた。その熱を、腹に溜め込み、凝縮し、喉から撃ち出す。
「阿!!!!」
「うぉっ!?」
「きゃぁぁっ!?」
莫大な、魔力とも気とも呼ばれる奔流が、ユーリアの声にのって空間に広がった。
それは物理的な衝撃となって荒れ狂い、死鬼とシュレイドを吹き飛ばし、魔層化された世界に罅を入れていく。
衝撃はイルゼも巻き込み、皇女の身体は地面を転がっていった。
「殿下! イルゼ殿下ぁ!」
「う、ううん……」
イルゼはリリアナに抱き起こされ、意識を取り戻した。
魔層化は破れたのか、屋敷の裏庭は元の姿を取り戻していた。
「……うっ」
ただし、空から落ちてきた分断された人体……見れば魔装騎士団第一大隊の面々だ……はそのままだった。イルゼはあまりに凄惨な光景に、口元を覆う。
「よ、良かった。殿下だけでも無事で……」
「ユーリア、さんは!?」
リリアナがやったのだろう、イルゼの腕には応急処置が施されていた。その傷を押さえながら聞けば、リリアナは表情を曇らせる。
「分かりません。私もあの凄い衝撃で気を失って……気がついたら、このありさまでした。シュレイドも、あの魔物もいなくって」
「そう、ですか……」
イルゼは立ち上がった。地に落ちた鞄を拾い上げ、背中に負う。
「みんな、殺られちゃった……。でも、セオドールはいないんです。もしかして……」
「ユーリアさんともども、連れ去られてしまったのでしょうか」
魔層化された世界に取り残されたユーリアがどうなったのか? イルゼは唇を噛んだ。
散らばった遺体に祈りを捧げたイルゼ。ぎり、と奥歯を食いしばると、正門へ向けて歩き出す。
「イ、イルゼ殿下? どうするんですか?」
「同じです」
慌てて追いかけてくるリリアナにイルゼは短く告げた。
「魔装騎士団に報告しても、的確に判断してくれるとは思えません。かといって、お父様……皇帝陛下におすがりするにも、会うだけで何日もかかるでしょう。ユーリアさんをお救いするため、魔術師学院にいって、ウード殿を問い詰めます」
イルゼは右手の指輪に触れながら言った。父親である皇帝から贈られた最新鋭の魔術器、『光矢の指輪』。ことと次第によっては、鋼鉄も焼き切るこの兵器に物を言わすのも辞さぬ覚悟だった。
「で、でもですよ!? あいつら……いや何でシュレイドが魔物と一緒にいるのか全然分かりませんけどぉ。もう『星』はあいつらの手に渡ってしまってるんですよぉ?」
「それでも、何らかの情報は手に入るはずです」
「も、もしまたあの魔物やシュレイドが殿下をさらいにきたらどうするんですか!?」
「この指輪で、力の限り手向かいします。貴方もいますし。しかし万が一、むざむざ囚われるようなことがあれば……」
歩きながら、イルゼは指輪を自分の顎の下にあてた。
「自害して果てる所存です」
半刻後。
「……まだ普通に授業してるんですね」
「ここは帝都でも特別厳重な結界で守られていますからね」
「知ってますよ。私もここの卒業生ですし」
イルゼとリリアナは魔術師学院へ辿り着いていた。帝都の異常はみな感じているのだろうが、表面上、いつもの学院風景である。
イルゼはもちろん、リリアナも卒業生であり魔装騎士団であるということで、顔パスで学院の門をくぐっている。
学生たちが行き交う中庭や講堂を離れ、教官や教授がそれぞれ預かっている研究所の建物の間をぬって歩く。
「ウード殿の研究室はこちらです。この角を曲がったところで、きゃっ!?」
急ぎ足で角を曲がったイルゼの鼻っ面が、何か柔らかい壁のようなものに激突した。『壁』はぶるりと震える。
「うおぉっとぉ……て、イルゼ殿下ぁ!?」
「ええぇ!? 何やってんですかぁ!?」
イルゼがぶつかったのはブルダンの背中。その隣のアイネもブルダンも、昨日見舞ったばかりの皇女の姿を見て、素っ頓狂な声を上げた。




