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第四十五話 魔剣

 ヴァリアール帝国第十三皇女イルゼ、魔装騎士団付き魔術師リリアナ、そしてユーリア。

 経歴も立場もまるで違う三人の女性が、一つの目標に向けて気持ちを一つにした瞬間。いままでにない強烈な『魔層化イヴィライズ』が屋敷を覆う。


 異界と化した屋敷の裏庭で、三人の前に現れた男は、シュレイド・トレーネ。魔装騎士団であり、武王であった男だった。


 長身痩躯だが、弱々しい印象は一切ない。人型に削り出した鋼のような身体に、魔装騎士の派手な平服。肩に担いだ大剣には複数の精霊石がはめこまれ、重量級の魔術器アークであることを示していた。


「その声はシュレイド? シュレイド・トレーネですか?」

「シュレイド? なんであんたがここにいるの!?」


 イルゼとリリアナが疑問と不審に満ちた声をあげた。魔層化イヴィライズに巻き込まれる寸前、ユーリアの指示で硬く目を閉じたため、シュレイドの姿は見えていない。


 二人とも、魔層化イヴィライズした裏庭の様子を見ることもできない。だが、耳が鼻が肌が、異常を伝えてくる。硫黄のような異臭や風の生温さ、足裏から伝わる無数の蟲を踏んでいるような感覚。お互いの手を痛いほどに掴み合って正気を保とうとしていた。


「ええ、シュレイドですよ。皇女殿下。殿下をお迎えにきたのです」

「迎え?」

「そ、それは第一大隊の任務でしょう?」


 シュレイドはギレンセン率いる第二大隊所属だ。第二大隊の騎士たちはつい先程引き上げたばかりだし、そもそも最初から屋敷の護衛にシュレイドは含まれていなかった。

 イルゼとリリアナが律儀に目を閉じたままなのも無理はない。


「これは特別任務ってやつでしてね。『詩人ムウの星』ともども、皇女には俺たちの手伝いをしてほしい」

「!? 『星』を知っている? ……貴方は一体……」


 シュレイドは鞘に収めたままの大剣を肩から下ろす。

 目をきつく閉じたまま、リリアナと手を取り合うイルゼ。その姿を見つめるシュレイドの黒い瞳には、焼け付くような憎悪と哀しみが入り混じっていた。


「申し訳ないが、ゆっくり話をしている暇はない。分かりやすく言いましょう。……殿下、貴方を拉致させていただく」

「っ!?」

「シュッ、シュレイドッ!? どういう意味よっ」


 半ば想像していたとおりの返答。イルゼは身をすくめ、リリアナは皇女を背に庇う。

 イルゼはともかく、リリアナは同じ魔装騎士所属としてシュレイドの強さ――と恐ろしさを良く知っている。反帝国組織が占拠した貴族の屋敷に一人で突入し、犯人の亜人たちを皆殺しにしたのも見た。血まみれで屋敷から出てきた時のシュレイドの酷薄こくはくな笑みは、しばらく頭から離れなかった。


「殿下には、あとで説明させてもらうさ」

「……ダメだよ。イルゼさんは私と魔術師学院に行くんだから。えっと、リリアナも」


 その二人をさらに庇うのは、両手に小剣をぶらさげたユーリア。銀の目は、静かにシュレイドを見据えている。父の親友、に向ける目ではない。


「ユーリア……。ディランの娘なら、俺にとっても娘みたいなもんだ。俺とお前が喧嘩したら、ディランも悲しむぞ?」


 シュレイドは、かなり真剣な声でユーリアに言った。イルゼには、裏切り者の魔装騎士の声に、一片の良心の呵責が感じられた。

 しかし、ユーリアは眉一筋動かさない。


「私のお父さんはそんな馬鹿じゃない。私が貴方を斬っても、良くやったって褒めてくれる」

「……あの馬鹿、娘にどういう教育してる」


 実際のところ、ユーリアの台詞はディランの心情を勝手に決めつけているだけである。が、三十年前の堅物だった少年を思い起こしたシュレイドは……『それもあいつらしいか』と納得してしまう。


「まあ、仕方ない、か。ディランには後で詫びるし……それに、すぐまた会えるかも知れんしな」

「……」


 シュレイドは大剣の鞘を取り外す。ユーリアは両手に構えた小剣を目の前でクロスさせる構え。


「ユ、ユーリアさん……」

「目を開けないで。二人でしっかり手を繋いで。……それと、私を信じて」

「は、はいっ!」


 少女と男。二十歩ほどの間合いで対峙する剣士二人の間に殺気が凝縮していく。


「九つに……至らんことを……」


 突如、瘴気の塊が出現した。

 シュレイドの背後から、ぬらりと姿を現したのは黒ずくめの『女』。ディランがいれば、『死鬼』と呼んだだろう。『詩人ムウの星』に取り憑く魔物だ。


「!? この声は……シュレイド! 貴方は魔物と……!?」

「俺が用のあるのは、八つ目なんですがね」


 独り言のように呟いたシュレイドは、よろめくように前に崩れ――弾かれるようにユーリアへ踏み込んだ。


「あっ」

「しゃあっ!」


 ゴウ。

 普通の男なら持ち上げることもできないだろう。巨大な鉄の塊が横殴りにユーリアを襲った。直感にかけては並ぶもののないユーリアすら虚をつかれ、横っ飛びに転げて避けることしかできなかった。

 ただはやいだけではない。その間合い、呼吸、『気配』の殺し方。全てが極まった瞬撃である。


「しいぃぃぃっ」

「わっ! っっ!?」


 二撃、三撃、四撃。

 鋼鉄の暴風は渦を巻いてユーリアを追いかけていく。ユーリアは身を沈め、跳ね跳び、転がり、なんとか回避するので精一杯だった。

 ただの高速連撃であれば、すぐさまカウンターを決めていただろう。だが、シュレイドの大剣は絶妙にユーリアの予測を外したタイミングで、角度で襲ってくる。少女の人生よりも遥かに長い時間をかけて磨かれた『武術』の技だった。

 それでも。


「ちっ!」


 鋭く舌打ちして停止したのはシュレイドだった。まだ、うっすら汗を浮かべる程度だが、その目には驚愕がある。


 百戦錬磨のシュレイドから見れば、ユーリアの動きはあまりにも素直だった。時折、理解不能な部分もあったが、ほとんどの回避運動は先読みしていた。ユーリアは避けるであろうその先へ大剣を叩きつけている、はずなのに。


「これでも秘術の限りを尽くしてるんだが。なあ、なんで避けられるんだ?」


 どういうわけか、ユーリアは紙一重で全ての斬撃を回避している。有り得ない。


「……何でっていわれても。凄く避けずらいよ。だから、よく見て、剣より早く動いてるだけ」


 つまり、技も読みも関係なく、大剣の動きを見切って身体能力だけで避けているのだと、少女は言った。

 武術も修行も『台無し』にするようなユーリアの答えに、シュレイドは呆然と質問を重ねる。


「何でそんなことができる?」

「……悪いんだけど」


 あまり悪いと思ってなさそうに、ユーリアは言った。


「貴方が『何でできないのか』が、分からない」

「……ふう……ちっ」


 シュレイドは大きく目を広げ、ため息をついて、つばを吐いた。何か、大事なものを失ったような。その代わり、別の何かを守ろうというような、顔。


「ディランの言ったとおり、か。……だが」


 シュレイドは大剣を肩に担いだ。


「絶対に『十界の扉』は開かせてもらおう」

「それは知らないけど、イルゼさんは守るよ」


 お互いの距離は五歩。大剣のリーチを考えれば、シュレイドは一歩踏み込めば殺傷圏内にユーリアを捉える。ユーリアの側から見れば、その距離は絶望的に遠い。


「……」


 シュレイドの懐に飛び込もうというのか。ユーリアは大きく前傾する。

 最初に出没した地点から一歩も動いていない死鬼へ注意を向けるのは、さすがに無理だった。


「じゃっっ!」


 シュレイドは大剣を横殴りに振るった。

 ただし、一歩も踏み込まずに。大剣を『縦』にして。


「あっ」


 踏み込まない斬撃は避ける必要もない。ユーリアは冷静に大剣が通り過ぎるのを待った。

 が。

 縦になった大剣が振り抜かれた瞬間、小さな身体が『ぐん』と何かに吸い込まれるように前方へ傾く。超高速で空間を薙いだ大剣が大気を抉り取った結果、そこに生まれた真空が周囲の大気や物体――ユーリアを吸引したのである。


 シュレイドの魔剣、『からの口』。風属性の魔術器アークの能力と組み合わせた技である。


「けいっ」

「っ!?」


 思いもよらぬ力で前に引きずり出されたユーリアの身体へ、旋回してきた大剣が襲いかかる。

 小さな悲鳴。

 鮮血が飛び散った。


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