第四十四話 女たちの都合
「ウードって、あの……」
ユーリアもさすがにその名には覚えがあった。
適性検査に立ち会い、自分を『万魔王』だとか呼んだ男だ。筆頭教官、というのは魔術師学院でもかなり高い地位らしく、その後はほとんど会ったことがなかったが。
「あのウード殿がエルフぅ!? あ……そ、それでターバンで耳を隠してたのぉ!?」
何故かこの場にいるリリアナも、素っ頓狂な声で驚いた。要職にあり、魔術師としての実力も高く、男前。若い女性魔術師にとっては憧れの的であったのだろう。
「はい。私が入学してしばらしくたころ、母の形見である『星』を鑑定してもらったのです。母は、ほとんど何も言わずに亡くなったので……」
きめ細かい刺繍のはいった布で丁寧に『詩人ムウの星』を包み直しながら、イルゼが説明する。
「ウード殿は、『これはエルフの血を引くものを助ける守護神を呼び出す護符だ』と仰ったのです。そのためには、持ち主の血を少し捧げるだけで良いと。……すみません、私は」
包んだ『星』を胸に抱き、イルゼはユーリアに深く頭を下げた。
「ユーリアさんの優秀さに嫉妬して、この『星』に願いをかけたのです。ユーリアさんを上回る才能を授けてほしいと……。ですが、現れたのは魔物でした……」
「そ、そういうことだったの……」
「ふうん」
リリアナは愕然と、ユーリアはぼんやりと頷いた。ユーリアの反応の薄さに、イルゼではなくリリアナが目を見開く。
「ちょっとあんた! 何なのその態度は? もうちょっと驚きなさいよ! それにイルゼ殿下が、何か深刻っぽい告白されてるでしょ!? 何か言って差し上げなさい!」
「?」
「い、いえその」
嫉妬という感情に縁遠いユーリアは、きょとんと目を瞬かせた。そもそもユーリア自身は(彼女の感覚では)何の迷惑も被っていないし、他人が何をしようが自由というのが基本的なスタンスだ。
逆に、罵声や軽蔑を覚悟して告白したイルゼが困惑してしまう。
「何でも良いよ。別に気にしてないし」
「そ、そうですか……」
「でも殿下。そこまで分かっているなら、ウード殿のところにいく前にその『星』を破壊してしまえば良いんじゃないですか? 私がやりましょうか?」
リリアナが至極もっともな提案をした。しかしイルゼは首を振る。
「実は一度破壊を試みましたが、無理でした。恐らく強力な魔力による防護がかかっています。それに、すでに『星』は半ば起動してしまっています。停止させる方法をウード殿から聞き出さないと」
「だったらそれを正直に魔装騎士団に……あ」
「……」
『魔装騎士団に相談すればいい』といいかけてリリアナは口を押さえた。魔装騎士団はイルゼに罪を自白させて(結果的にその推測自体は的中していたのだが)、それを自分たちの功績にすることしか考えていない。
罪を犯した人間として自首は当然という考え方もあるが……それは、この十六歳の少女にとって限りなく『死ね』というに等しい。
「無駄だよ。あの人たちじゃ何もできないと思う」
「……あーはい。スイマセン」
騎士団長とセオドール、そして自分のことを頭に描き、リリアナは白目を剥いて頷いた。
「じゃあ、魔術師学院にいこっか。ウードさん居るといいけど」
「はい……あのぅ」
「はい?」
ユーリアが、鞄を背負ったイルゼの手を引いてあるき出そうとすると。イルゼは白いローブ姿のリリアナに目を向けた。
「貴方は魔装騎士団員ですよね? その、セオドール殿に報告するとか、私を捕らえるとか……」
「ああ、それか」
不思議、というより不審そうなイルゼの問いに、リリアナは何故か頭上を見上げた。
イルゼが落ちてきた大樹は大きく枝を広げており、そのうち一本が屋敷の窓まで届いていた。窓は開きっぱなしだ。そこが、皇女の寝室なのだとすぐに分かる。
「イルゼ殿下、実はたまにこの木を使って屋敷を抜け出してたんですね」
「え、あ、はいっ。お、お恥ずかしいです……」
「私も昔、似たようなことしてたんですよ」
リリアナも帝都に住む裕福な男爵家の令嬢である。《何処でも同じなんだなぁ》と、一度思ってしまったら……。
「何か、他人事じゃない気がしちゃって。……私も魔術師学院にご一緒しますよ」
「ほ、本気ですか? ……ありがとう、ございます」
まじまじとリリアナの顔を見つめたイルゼ。その目が真剣であることに気付くと、また深く頭を下げた。
「あははは。セオドールのおぼっちゃんとの婚約もパーかもですけど。そうしたら殿下、もっと良い男紹介してくださいねっ」
「え、それは……すいません、ちょっとそういう方面にはツテがなくて……」
「いや冗談ですからっ! 真顔で考え込まないでくださいよぉー」
「……っ」
イルゼとリリアナの、和らいだやり取りを優しい顔で見つめていたユーリア。その青い目が、ぎらりと輝いた。
ザァッ――。
強い風が、三人の身体を、屋敷を、庭園の木々を叩いて吹き抜けていった。
その瞬間。
世界の色が変わった。
「目を閉じてっ!」
「っ!?」
「ははいぃっ!」
ユーリアは小剣を両手に構え、今まで聞いたことのない鋭い声で命じた。皇女と女魔術師は反射的に従い、瞼を閉じる。お陰で、二人は見ずに済んだ。
空が虹色に染まるのを。庭園の木々が漆黒に染まり捻れるのを。緑の芝生が赤茶けた異形の苔に変じるのを。なにより。『ボトボト』と。
空中から、無数の人体の断片が落下し、変わり果てた地面に転がるのを。
「魔層化……それも、凄く強い」
「さすがに、良い勘と判断だな。お前が、ユーリア――ディランの娘か」
屋敷の正門の側から、渋い男の声が響いた。
魔装騎士の平服に、黒い髪、瞳。大剣を肩に担いだ長身の男。シュレイド・トレーネ。『八武王』の一人にして、ディランの戦友だった男だ。




