第四十二話 ユーリア VS ギレンセン
魔装騎士団団長はユーリアに、『ギレンセンと試合をして勝てば、皇女の護衛をすることを認める』といった。実際のところは、自分と息子のセオドールに散々恥をかかせたユーリアを、『軍神』ギレンセンに叩きのめさせるという卑劣な茶番である。
「試合でギレンセンさんに勝てばいいのね」
ユーリアは全く躊躇しなかった。腰に挿していた小剣を抜き放ち、身を屈める。
突然、司令室に満ちた殺気に慌てたのは騎士団長だ。
「ここで暴れるな馬鹿者! 中庭に出ろ! なんて喧嘩っぱやい娘だ!?」
「……」
「ご無礼」
ユーリアは少し頬を膨らませ、ギレンセンは頷いた。
ギレンセン自身、心が逸って斧槍を振ったことに驚いている。それだけ、目の前の少女に本能が警戒したのだ。
仕切り直しで、両者は騎士団本部の中庭に出た。
貴族の屋敷並に手入れの行き届いた、見事な庭園だが。そこはさすがに騎士団の本部。ちょっとした模擬戦ができる程度の空き地は用意されていた。
「なんでギレンセン殿があんな子供と試合を?」
「おいおいおい……死ぬぞあの子」
噂を聞きつけた魔装騎士たちがぐるりと取り囲む中、両者は対峙する。手にするのは木製の小剣と斧槍。
「ディランは息災か?」
「うん。元気だよ。前に、ギレンセンさんのこと言ってた。……凄く強い人だって」
「そうか」
ギレンセンは髭に覆われた口元を少しだけ緩めた。
それから、木製の斧槍をぐるりと旋回させる。
「ギレンセン・ザナだ。いざ、参る」
「……ユーリア・マイクラントです」
ギレンセンは斧槍を腰の高さに構えた。石突(刃とは逆側の金具)が、ぴたりとユーリアの額を向く。巌のような巨体に白銀の鎧姿でその構えをとると、並の剣士からはまるで城塞のように見えるだろう。
一方のユーリアは二本の小剣のうち一本を逆手に握り、やや前傾姿勢で構えた。(今やほとんど読まれなくなった)剣術の教本にもない、ネコ科の獣が獲物に飛びかかる寸前のような姿。
「……これは……」
その奇妙な構えの少女を前に、ギレンセンは内心舌を巻いていた。
ユーリアの『気』は信じられぬほど軽やかだった。自分が大地に根を張った巨木とするならば、少女は風だった。どこにどう打ち込んでも、するりと逃げていくだろう。
だが。いっそ爽やかとすら言える『気』の質であるのに、ユーリアの青い目は――一片の感情も宿っていない。
「しっ!」
「っ」
戦場でも感じたことのない戦慄が身体を縛るより早く、ギレンセンはユーリアを攻撃していた。大振りの、無意味な斬撃ではない。最小限の手首と腰の捻りで石突を突き出す。
正面から、まっすぐ向けられた石突は点にしか見えない。その点がふと目の前に迫った次の瞬間には、額を打ち砕かれる――そういう一撃だ。
「おおっ!?」
「なんだっ!?」
が、石突はユーリアの目の前、指一本ほどの隙間を残して停止していた。……ギレンセンが途中で止めたのではない。ギリギリ、軽く額に当てるはずだった攻撃を、ユーリアはほんの半歩分後退して避けたのだ。
周囲の騎士たちからは、ユーリアの動きが分からない。ギレンセンが寸止めしたようにしか見えなかった。
「一歩も動けてないじゃないか、ただの学生さんだろ?」
「いやでもなんかおかしいぞ……」
「……なるほど、大したものですね」
無言のまま対峙する二人に、騎士たちは勝手な感想を囁きあう。ただし、ごく一部の騎士(もちろん、ギレンセン指揮下にある第二大隊所属の騎士だ)の中には、超高速の攻防がうっすら観えている者もいたようだ。
「……む、ぅ」
「……」
石突をユーリアの眼前に突きつけた姿勢で、ギレンセンは動かなかった。否、動けないのだ。次の攻撃をしかけるためには、斧槍を引かねばならない。だが一瞬でも引けば、それに合わせてユーリアが懐に飛び込んでくる……銀髪の少女の美貌には何の表情も浮かんでいない。
その、空洞めいた目を見ていると、自分が何をしようが斬り裂かれて死ぬ未来しか思い浮かばなかった。
「……ん?」
ユーリアは無表情のまま、首を傾げた。ギレンセンが動けない理由が分からないようだった。そして。
「じゃ」
初めて表情を見せた。いたずらっ子のように舌先を出して、目の前の石突を片手の指先で『ひょい』と摘んだのだ。
「っ!?」
突如、斧槍の石突に凄まじい圧力がかかった。ギレンセンは、それがユーリアに摘まれたためだと理解し、瞬間。
「ぐぬっ!」
石突を上に跳ね上げる。そのまま回転させ、石突の逆側である斧槍の刃で斬り上げるつもりだ。
「はいっ」
「!?」
ユーリアは剛力で跳ね上がる石突を離さなかった。普通なら、どこかで限界に達し指が外れる。だが、ユーリアは石突に『釣り上げられる』ように跳躍し、ギレンセンの頭上へ舞い上がった。
「おおおお!?」
舞い上がった制服姿の少女に、騎士たちの驚愕の声が轟く。
ユーリアは落下しざま、逆手の小剣でギレンセンの首を狙う。ギレンセンの重心はすでに崩れている。軍神の本能と経験は、ここで斧槍に拘るという選択肢を消した。
「くあっ!」
斧槍を手放して拳を作り、勘に任せて頭上へ突き出す。腹の奥に凝縮した気が全身の筋肉をバネに変え、岩すら砕く拳撃とする。
「あっ?」
拳には、柔らかいものが掠った感覚が残った。ユーリアは空中で身を捻り、拳を躱したのだ。
ガン! と、金属鎧の肩装甲に衝撃。ユーリアの小剣の仕業だった。
「……むーっ」
「ふぅ……」
ユーリアは軽やかに受け身をとって、ぴょんと立ち上がった。悔しそうに口をへの字に結んでいる。
ギレンセンも追撃に移ることなく、大きく息を吐いた。
「こ、これは?」
「ギレンセン殿の拳があたったんだし、ギレンセン殿の勝ちでは?」
「でも斧槍を落としてるし、小剣は当たってるし」
「装甲に当たってるし有効打じゃないだろ」
二人の動きに目を奪われていた騎士団長を始めとする騎士たちも、困惑していた。
「ワシの負けですな。ユーリア……ユーリア殿、お見事」
「うーん……なんかちょっと納得できないけど……」
ギレンセンは額の汗を拭って一礼した。
ユーリアの小剣が当たった肩は、装甲の下で冷たく痺れている。もしあれが真剣であれば、鎧ごと斬り裂かれていたのではないか……そんな気すらしていた。
反撃を受けたことが気に入らないのか、ユーリアは不満そうだったが。
「ええいっ! だらしないですぞギレンセン殿! そんな子供相手に……!」
「ふむ……しかし約束は約束だ。ギレンセン、その娘をイルザ皇女護衛に協力者として同行させよ」
「……は」
自分のことを完全に棚にあげて怒鳴りだしたセオドール。だが、騎士団長は息子を制して、ギレンセンとユーリアに告げた。
「父上……よろしいのですか!?」
「まあ落ち着け」
騎士団長は息子に耳打ちする。
「凄まじい使い手だが、所詮は小娘だ。利用できるなら、利用しようではないか。もしも魔物でもでたら、相手をさせてやればいい。相打ちにでもなってくれれば、儲けものではないか」
「父上……さすがにセコ過ぎませんか?」
「使えるものは何でも使え! そうだ、セオドール。お前、ちょっとあの小娘に甘い言葉でも囁いてやれ。喜んで言うことを聞くだろう」
「……私にはリリアナがおりますから、そういうのはナシにしていただきたい」
「お前へんなところで真面目だな……」
周囲からなんとなく冷たい視線を浴びながら、騎士団長と副団長親子はしばらく密談を続けた。やがて、息子であるセオドールはしぶしぶと頷いて。
「で、ではユーリア……殿。さっそく、イルゼ皇女様の屋敷へ向かいましょう」
「……うん」
ユーリアは頷いた。ギレンセンを振り向き、ぺこりと頭を下げる。
「ギレンセンさん、ご指導ありがとうございました。楽しかったんで、またお願いします」
「うむ……。ディランは恐ろしい使い手を育てたものだな。……できればもう少し後にしてもらいたいが」
ギレンセンは心の底から言った。
そう。次は、もう少し後にしてほしかった。




