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第三十九話 剣鬼、相対する


 闇魔術師ディーガナバルが『収監』された監獄島の獄舎。

 海面から伸びた岩柱に建てられた塔の、さらに最上階である。その天井を突き破り、『女』が落下してきた。


 床まで届く髪も、ゆったりしたローブも、細く鋭い目も全て漆黒。左右に吊り上がり『笑い』の形をつくる口は、真紅。

 その場にいるだけで、その姿を見るだけで、生きる気力をすすり取られるような瘴気を放つ女だった。

 実際、広い部屋のあちこちに置かれていた観葉植物たちは、みるまにしおれ枯れ果てていく。

 心の弱った人間なら、見ただけで自殺しかねない。




「こいつが『死鬼しき』ですかな?」

「さすがにこの状況で、まったく無関係な通りすがりの魔物ワンダリングモンスターだったら嫌だろ」

「確かに」


 その魔物を前に。

 ディランとディーナは、落ち着いて立ち上がり臨戦態勢を整えていた。天気のことでも話すような口ぶりですらある。


「それより何でこんなん・・・・が私の聖域にずかずか入り込んでんだよ。……結界消えてんじゃねーか」


 塔には、帝国の重要人物であるディーガナバルを守るための結界が張り巡らされていたはずだった。その結界が失われていることに気づき、ディーナは口を歪めた。


「九つに……至らん……ことを」

「むっ」


 『女』――死鬼の細い目が、ぬらりと光った。

 命の対極にある冷たい力が、視線を通じてディランとディーナに注ぎ込まれていく。どんな生き物も身動き一つとれなくなり、そのまま放置すれば衰弱死するであろう魔の者の力、『魔眼』だ。

 が。


「ん。――これは確かに強い」

「上級魔術師が殺られるのも、まあ無理ねーか?」


 ディランは軽く息を吐き、全身の『気』を整えることで。ディーナは何度か瞬きしただけで、魔眼の力を無効化していた。


「……シィィィィ……」


 流石に、これまでの相手と格が違うことを感じたのだろう。

 死鬼は小さく唸りながら身を屈めていく。肉食獣が獲物に飛びかかるための姿勢に似ていた。


「ヒヒャァァッ!」


 死鬼は耳が痛くなる金切り声をあげながらディーナに飛びかかった。

 突き出した両手の指先には、ねじれた鉤爪がギラリと輝いている。ローブの足元は動いていない。宙を滑りながら、凄まじい速度の突進だ。


「ギィッ!?」


 爪がディーナに触れるより早く、死鬼は床に叩きつけられていた。その横ではディランが長剣を構えている。彼が空中の死鬼に斬りつけたのだ。

 死鬼は一瞬だけ床に転がったが、すぐさま後退し立ち上がった。立ち上がる前に、床を滑っていったのである。


「……斬れん」

「気合が足りねーんだよ、気合が」


「シィィィ」


 長剣を構え直すディラン。死鬼はさらに慎重になったように、間合いを取って――。


「ガアアッ」


 死鬼の漆黒のローブから、闇を凝縮した何か吐き出された。

 人を無理やり四足獣の型に押し込めたような、異形の獣だ。一体では終わらない。二体目、三体目。


「ガァアルッ!」

「ガアアッ」

「バルッッ」


 三体の闇の獣は、三方からディランに飛びかかる。闇色の牙や爪はどれほどの威力を秘めているのか?


「しっっ」

「ガッ」

「ギャヒッ」


 ディランの長剣は超高速で獣たちを迎え撃った。腹を斬り裂き、首を裂き、爪を弾く。獣の速度は尋常ではないが、ディランはその遥か上を行っていた。


「グルウゥッ」

「ガァアッ!」


 しかし、獣たちの傷はあっさりと再生した。起き上がった獣はすぐさま逆襲に転じる。

 ディランの身体には届かないものの、その爪は大理石のテーブルをあっさり切り裂いていく。

 しかも、切り裂かれたテーブルは、黒く変色し腐食していく。速度、耐久性、そして攻撃力。どれをとっても並の魔物ではない。

 並の剣士や騎士ならすでに十回は殺されているだろう。


「気合が足りねーっていってるだろ!」

「いやちょっと、簡単に言うなっ」


 本体である死鬼を倒さねば、獣は止まらない。それは経験と直感で分かったが、ディーナを庇いながらでは難しい。


「ガアアッッ!」

「貴方の家でしょーが。大体こいつら、闇属性である貴方を狙ってるんですよっ!?」

「ギアッッ」


 首筋と足首を狙って喰らいついてきた二体の獣を、ディランは剣先で円を描く剣技で斬り落とす。背中に飛びかかってきた獣を回し蹴りで吹き飛ばしてから、ディーナに怒鳴った。


「わーっとるわ! ……出てこい『影の騎士シャドウナイト』!」


 ディーナは高いヒールの靴で、ガッと床を蹴る。すると。


「……おめしにより、御前に」


 ディーナの影が床で三つに分かれ、立ち上がった。ディーナと全く別の姿……黒髪に黒い鎧、剣を携えた青年騎士。しかも三人とも、恐ろしいほどの美形だ。


「うひょー! いつ見ても美しぃー! そこの不細工どもをギタギタにしちまえ!」

「御意のままに」


 帝国最高の闇魔術師であるディーナが編み出した、最高度の闇魔術である。擬似的な生命と人格を与えた『影』を使役する。


「はあっ!」

「ガルウッ!」


 影の騎士たちは闇の獣へ剣を振るう。

 同じ超常的な存在ゆえに、彼らの剣は獣に痛撃を与えていた。しかしその姿は。


「……確かに、影だ」


 正面や真後ろから見れば、確かに彼らは美形の青年騎士だった。しかし、角度がずれるごとにその姿は薄く、細くなっていき、真横からは全く視認できない。

 『影の騎士シャドウナイト』。文字通りの『影』だった。


「我が主のため、滅せよ!」

「ギャウッ」


 影の騎士と闇の獣の動きは互角だった。影の剣は闇の肉を斬り裂き、闇の牙は影の鎧を貫く。


「いやーさすが私様だけのことはあるな。影(二次元)さいこー!」

「……」


 はしゃぐディーナを尻目に、ディランは静かに深く息をしていた。体内の『気』を整えている。ディランの目には、広い塔内を荒れ狂う粒……魔力や、気の流れが見えてきた。


 さすがはディーナの『自宅』だけあって、魔力の濃さは格別だった。

 しかしそれよりもなお濃い魔力、そして憎悪と呪いに満ちた気が、目の前の黒ずくめの女を中心に渦巻いている。


「自分のことは自分でやってくださいよっ」

「腰を壊すなよおっさん!」


 死鬼の様子を観察し、影の騎士たちの奮戦を確認したディランはディーナに声をかけた。

 恐らく、ディランがこんな台詞を言う女性はユーリア以外ではディーナだけだっただろう。三十年近く会っていないが、その程度の信頼を抱くくらいの修羅場はともに越えてきていた。


「はっ!」


 影と闇の隙間を縫って、ディランが駆けた。死鬼の懐へ飛び込む。長剣は、下段。


「シャアッ!」

「ぬんっ!」


 振り下ろされる五本の鉤爪。身を捻ってそれをかわしながら長剣を跳ね上げ、死鬼の胸元を斬り裂く。


「ヒァァッ」


 長剣から伝わる感触は軽かった。死鬼は斬撃の力に逆らわず、高く跳躍したのだ。

 出現した時とは逆に、天井の窓を突き破り塔の屋根の上へ逃れる。


「逃さんっ」


 ディランは間髪入れずに追った。

 壁を蹴って跳躍し、破れた天窓の縁に指先を引っ掛け――全身のバネを使って天窓から飛び出す。



「シャッ!」

「ぬおっ」


 ディーガナバルの獄舎の屋上。

 片膝をついて着地したディランの背中に悪寒おかんが走った。反射的に前方に転がると、一瞬前まで居た場所へ漆黒の剣が振り下ろされた。


 ガッ。

 漆黒の剣は石の床をたやすく斬り裂く。


「むっ!?」


 振り向き、構えたディランの前に居たのは確かに死鬼ではあったが、『女』ではなかった。


「九つに……至らんことを……」


 黒く床に届く髪、黒いローブは同じだったが。両手に黒い刀身の剣を構えるのは、血走った目の『男』だった。


「シィアァッ!」

「くおっ」


 驚く間もない。

 『男』――死鬼は両手の剣を嵐のように旋回させ、襲い掛かってくる。その鋭さ、激しさよ。


 双剣による隙きのない斬撃。上から右から下から、真正面から突き。

 ディランは払い、受け流し、躱して斬り返す。


「……やるっ」


 ディランと死鬼。

 正邪二人の剣士の間に数え切れない剣筋が閃き、ぶつかりあって火花を飛ばす。

 ディランは思わず感嘆かんたんの声を上げていた。たとえ魔物であろうとも、優れた技量には自然と敬意が湧く。


「ジャッ!」


 死鬼は右剣を上段、左剣を下段に構え突っ込んできた。上下からディランを鋏斬はさみきるつもりだ。例えがら空きの胴を斬られようとも、滅びはしない。不死身だからこそできる剣法だ。

 対する生身のディランは。


「なんとっ」


 片足のかかとで下方から跳ね上がる漆黒の剣の柄を踏みつけ、上段からの斬りつけは長剣で受けた。そのまま大きく仰け反って――。


「だりゃっ!」

 ガツンッ!


 死鬼の怨念に凝り固まった顔面に、自分の額を全力で叩きつけた。


「ギシイッ!?」


 伝説の魔物も、頭突きをされたのは初めてだったのかもしれない。

 痛みより、驚きで数歩後退あとじさった。


「喝っ!」


 その一瞬、一つの呼吸でディランの『気』は整った。

 死鬼の瘴気の中心、鳩尾に向けて渾身の突きを放つ。剣先はズブリと漆黒のローブと身体を貫いた。


「シ……ギヒィッ!?」


 初めて苦痛の声をあげてさらに下がった死鬼の身体に、床から飛び出した黒い槍が突き刺さる。

 一本ではない、二本、三本と、魔物の身体を串刺しにしていく。

 闇の獣を『片付けた』ディーナが下から闇魔術で攻撃したのだ。


「一対二で悪いな」


 普通の魔物ならこれで勝負ありだが。

 既に死鬼とその背後にある『詩人ムウの星』の危険性は十分知っている。ディランは躊躇ちゅうちょなく首をねようと構え。


「ィィィイヒィィィ!」


 振り抜いた剣は、死鬼の首を素通りする。

 甲高く、むせび泣くような声とともに死鬼の身体は実体を失い、宙に溶けるように消え去っていった。




「『お互いを見つけるまでは不死なり』だったか? やはり、『星』を破壊するのが一番てっとり早いか」


 エルフたちが伝えた警告の書を思い出す。

 厄介なことだ、と続けて呟くものの。ディランの口元は、久しぶりの強敵との激闘に、少しばかり緩んでいた。


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