第三十八話 死鬼が来たりて
詩人ムウは優しい妻が死んでしまい、泣いていました。
哀れに思った創造神は、ムウに『星』をお与えになりました。
創造神はムウに言いました。
『星』に六人の魔術師の血を捧げよ、と。
ムウは世界中を旅して六つの属性の魔術師と会い、血を分けてもらいました。
最後の光の魔術師の血を『星』に捧げると、ムウの前に『十界の扉』が現れたのです。
光の魔術師は言いました。
この扉を八度くぐれば、貴方は死者の館へ行き妻に会うことができます。
しかし絶対に、九つ目の扉を開けてはなりません。
ムウは光の魔術師に礼を言うと、『十界の扉』をくぐりました。
扉を一つ潜る度に、ムウは大地から離れ、冥界へ近づきます。
そしてハつ目の扉を開けると、そこには確かに亡くなった妻がおりました。
ムウはさっそく妻を連れて大地に帰ろうとしました。
しかし、九つ目の扉の向こうが気になって仕方ありません。
少しくらい良いだろう、と、ムウは九つ目の扉を開こうとします。
妻は驚いて止めましたが、ムウは『星』を使って九つ目の扉を開けてしまいました。
九つ目の扉の向こうには恐ろしいモノがおりました。
可哀想なムウと妻は、恐ろしいモノによって九つ目の扉の向こうに連れていかれてしまい、二度と会うことができなくなってしまいました。
「つーのはまぁ、エルフに伝わる伝承なんだけどね」
ソファにどっかりと座り脚を組んだディーナは、そういって昔語りを終えた。
「……『九つに至らんことを』、というのは、その『九つ目の扉』のこと、なんです?」
真面目に話を聞いていたディランだが、『ちょっとよく分からない』という顔だ。ディーナは、「まったく、アホなガキ相手に話すと疲れるわー」などと言いながら、詳しく説明し始める。
確かなことは、『星』は古代のエルフが所持していた『神器』であり、次元の境界を操る能力を持っている、ということだ。
ごく大人しい使い方として、異次元に隠れ里を作るということもできる。あるいは、伝承のムウのように冥界を訪問することも。
「んで、歴史上一度だけ、『星』が実際に使われたことがあんのよ」
百数十年前、帝国もまだないころに人間のとある王国とエルフの部族が争いになった。エルフは復讐に取り憑かれ、禁を破って『星』を戦いに使ってしまう。
六人の魔術師を生贄に『星』は発動し――人間の王国もエルフの部族もともに滅ぼした。
生き残ったエルフは、二度と『星』が使われぬよう封印し、エルフと人間双方に警告の書を残した。
「これが、その書、ですか?」
「写本だけどな」
ディーナはぼろぼろの書物をぽんと叩いて言った。
「『九つに至らんことを』ってのが何を示しているのか、正確には分からん。まあ、安直に考えりゃ、『恐ろしいモノ』とやらを物質界に呼び出すとか、そのあたりなんだろうが」
「なるほど」
ディランは腕組みして、ソファにもたれた。
「魔術師を殺した魔物ってのは、多分『星』に取り憑いてるんだろうな」
闇魔術師は古びたページを慎重にめくった。あるページを開くと、そこには黒ずくめの女が、首のない死体の上に蹲っている絵画があった。
「ほれ、こいつだ。『死鬼』。……なになに? 『異界を渡り、魂を集める者。ひと目にて肉を凍えさせ一振りにて斬り裂くもの。お互いを見つけるまでは不死なり』だとさ」
古代のエルフの言語でページに描き込まれた注釈を、ディーナはすらすらと読み上げた。
「この手の古書というのはどうしてこう、曖昧な言い方するんだ。簡単に弱点でも書いておいてくれれば良いものを」
魔境都市でも、古代の魔物や神器絡みの事件に何度も遭遇したディランは憮然として呟く。
「お前らのような、先人の知恵に敬意を持たない野郎どもに対する嫌がらせかもな」
ディランの茶碗に、遥か東の国の香草茶を注ぎ足しながらディーナは言った。さらに、「一度『星』が起動したら、この死鬼とやらが勝手に魔術師の血だか、魂を集めてくれるって親切設計だ」と付け加える。
「……と、いうことは」
ようやく、具体的な話が見えてきた。ディランは再び身を乗り出す。
「まず、『星』を。『詩人ムウの星』を探せ。ぶっ壊すのが一番はやい」
「で、しょうな」
話を聞きながら、ディランは次に取るべき行動を考えていた。
ディーナの情報が正しければ、エルフの血を引くイルゼ皇女が『詩人ムウの星』を所持していたと考えるのがもっとも自然だ。
皇女に悪意があったかどうかは不明だが、『星』はまだ屋敷にある可能性が高い。もしなくても、行方は皇女が知っているだろう。
《ユーリアに屋敷に行ってもらっていて正解だったな。……行けているよな?》
「いま、魔層化が起きてるってなら。『星』はすでにある程度力を発揮していると見て良いだろうな。使い方によっちゃ、マジで物質界そのものを魔界化しちまいかねん」
「……それは、阻止せんと」
ディランは香草茶を飲み干すと立ち上がった。
「ディーナさん。裏でとはいえ、政府に雇われてる貴方なんだ。今の情報は貴方からしっかり帝国上層部に上げてください」
「……めんどくせーけど、分かったよ」
「私は『星』を破壊しに行ってきます」
天井のガラス窓から差し込む光は大分傾いていた。今から帝都に戻って、イルゼ皇女の屋敷に到着するころには夜になってしまうだろう。
「あーちょっと」
『待て』とディーナが言い切る前に。
ガシャン!
天井のガラスが外から破壊され、床に何か黒い塊が落下した。
うぞり。と、塊は蠢き、縦に伸びて――『女』の姿になる。
「九つに……至らんことを」
『女』の赤い口から、空気が腐り、ただれるような暗い声が漏れた。




