第三十七話 『詩人ムウの星』
「うぅ~、ディラン君といえば凛々しくも可愛らしい少年剣士だったのにぃ~っ!」
「そりゃあ、最後に会った時から二十五年も経ってるんですよ?」
懐かしい記憶のままのディーガナバルの姿とテンションに、苦笑しながらディランは言った。《いや、記憶のまま?》
「ディーガナバルさんは変わりませんね。もう今年で……っ!?」
その台詞は最後まで口にできなかった。ディーガナバルがディランの胸ぐらをつかみあげ、左胸に長い指先を押し付けたのだ。
美女は目と口を三日月みたいに吊り上げて、掠れた声を出した。
「それ以上ぉ、口にしたらぁ、私は、お前を……殺すぅぅぅぅ」
「……りょ、了解」
三十代後半くらいにしか見えないディーガナバルだったが、実は三十年前にも同じような姿だった。とりあえず、それを口にはしないほうが良いことを悟ったディランは、がくがくと頷いた。
「ったく。男はほんとアホだよねぇー。女がどんだけ苦労して時間とバトっとると思ってんだ? あんたが私を助けたあの時に結婚してりゃー私はねぇ……」
「はいはい」
ぶつくさ言いながらも、ディーガナバルはディランを塔内へ入れてくれた。
短い通路を過ぎると、塔の一階層をまるごと使ったロビーになっている。全周囲の窓から海と島が覗ける展望台でもある。
「なかなか良い場所ですね。ここで『研究』を?」
「まーね。研究施設はこの下だけどさ」
ロビーにはいくつものソファやテーブル、観葉植物などが並んでいた。バーカウンターなども完備しており、とても獄舎には見えない。
それも道理。
闇魔術師ディーガナバルは表向き罪人として監獄島に『隔離』されつつ、いまもなお帝国のための魔術器研究に励んでいるのだった。
なお主な研究テーマは、『不老長寿化』である。
「よぉ。お前もこいつの話を聞きにきたのか?」
ソファに寝そべり背もたれの陰になっていた男が上体を起こした。騎士の平服に、大剣を携えた男は――。
「シュレイド!」
『武王』の一人にして、魔装騎士団員、シュレイド・トレーネであった。
「一杯飲る前にまた仕事で会うとはな」
「……やはり『魔術師殺し』について?」
「まあな」
がっちり握手を交わす二人の中年男を横目に、ディーガナバルはカウンターに入った。
「イルゼ皇女のことは知っているか?」
「それはこっちの台詞だが……そうか、ユーリアってのがお前の娘か」
皇女の護衛バオルから、昨日の屋敷での出来事は聞いているのだろう。シュレイドは頷く。
「『魔術師殺し』はどうも魔物の仕業で間違いないな。それで、ディーガナバルさんに話を聞こうと思ったんだが」
「俺はこいつが犯人かと思ったんだがな」
「ざっけんなガキ!」
ソファに座った二人の前に、ダン!とトレイが置かれた。トレイの上には湯気をあげる茶器とクッキーが載っている。
「あーまったく! 私の聖域にこんなむさい親父が二人もいるなんて……悪夢だわ」
心底嫌そうに言いながら、ディーガナバルもどさっとソファに座った。ローブのスリットから肉感的な太腿がちらつくが、それに惑わされるような人間はその場にいなかった。
「……一応、念のために聞くが貴方の仕業じゃないんだよな?」
「あったりめえだろ!? 私にそんな暇ねーっつうの。もうすぐ星辰が丁度良い感じになるってのに」
「なるほど」
外見や性格や言動や能力や研究テーマからいって、かなり『悪の闇魔術師』に近いディーガナバルではある。が、昔の彼女と、今の彼女の目を比べたディランは、頷いていた。
「よく納得できるな! ま、俺は研究室やら倉庫やらを調べたからな。『ディーナ姉さん』は無実だぜ」
「うわ。懐いな、その呼び方。しょーがない、昔の可愛かった時代に免じて、この私様を再度ディーナ姉さんと呼ぶ許可をやろう」
「……ディーナさん? それで、何か心当たりはないですか? 四人の魔術師を殺した魔物について」
「うーんー……」
ディーガナバル――ディーナは腕組みして天井を見上げた。贅沢なことに天井のあちこちには丸く大きなガラスがはめ込まれ、陽光を取り入れている。
「……どうやら魔物は黒ずくめの女の姿で、犠牲者の血を啜っているらしい」
「むー……よくいるからねぇーそういうの……」
「四人の犠牲者は、それぞれ基本四属性の上級魔術師だった」
「ほむ。ちょっとは絞れてきたわ」
組んだ腕の上に大きく膨らんだ胸を乗せ、ディーナは口をへの字にした。考え込む時のクセだと、ディランは思い出す。もう一息か。
「そして、そいつが呟いていた言葉がある。『九つに至らんことを』」
「何ぃ!?」
ディーナはテーブルを蹴飛ばすような勢いで立ち上がった。ディランとシュレイドが口を挟む間もなく、凄い勢いで階段を駆け下りていってしまう。
「……ったく、あの女をあてにした俺が馬鹿だったぜ」
「ん? もう行くのか? ディーナさんは何かに気付いたんじゃ」
「どうせ、適当に誤魔化すためのネタでも思いついたんだろ。俺はいくぜ。ギレンセンにどやされる」
「そ、そうか」
シュレイドは大剣を担いで、塔の出口へ歩き出す。その背に、ディランは声をかけた。
「そういえばギレンセン殿のところへ、ユーリアをやったんだ。もし会ったらよろしく頼む」
「はぁ? ま、いいがな。養子とはいえ、お前の娘ってんならそれなりにできるんだろ?」
「それなりどころか……」
振り向いたシュレイドが、昔の悪童の目になっていたのでディランは慌てた。
「言っておくが、ユーリアを試したりするなよ」
「何だよ、過保護だな」
「いや、お前のために言ってるんだ。あの子は天才だ。俺たち凡才が見ると目が潰れる」
「……ま、そういうことにしといてやるよ。じゃあな」
手をひらひらさせながら、シュレイドは立ち去った。
「……」
シュレイドが出ていった扉を、なんとも言えない顔で見つめるディラン。しばらく立ち尽くしていると、ばたばたという足音とともにディーナが戻ってくる。
「思い出したぞこの野郎!」
「魔物の正体が分かったのか!?」
「まあ概ね。……シュレイドは?」
「帰った」
「はぁ!?」
大型の書物を脇に抱えて戻ってきたディーナは、露骨に顔を顰めた。
「あのクソガキ。せっかく帰りの土産も見繕ってやったってのに」
「ま、まぁあいつも忙しいみたいですし。また一緒に遊びにきますよ」
「はっ。べーつーにー? 寂しくなんかないもんねー」
「いや本当に。今度は娘も連れてきますし」
すねまくって唇を尖らせるディーナを、ディランは苦労して宥めた。
やっと機嫌を直しソファに座る闇魔術師に、改めて聞く。
「そ、それで。魔物の正体が分かったんですね?」
「魔物じゃねえ!」
ダン!
埃まみれの書物をテーブルに叩きつけ、乱暴にページをめくるディーナ。やがて、目当てのページを見つけ、指差した。
そのページには、六つの宝石で飾られた六芒星型の護符の詳細な絵図が描き込まれている。
「事件の元凶はこいつだ。『詩人ムウの星』。六人の魔術師の魂と引き換えに、『十界の扉』を開く。かつてエルフが人間の国を一つ滅ぼすのに使った、呪われし『神器』さ」




