第三十六話 闇魔術師ディーガナバル
翌日。
ユーリアはディランが徹夜で書いた紹介状を手に、魔装騎士団本部へ向かった。魔術師学院の制服に愛用の小剣二本を装備している。
ディランはいつものように衛兵司令部へ向かい、まずは昨夜の巡回担当からの報告を確認した。ささいな喧嘩や盗みなどはあったが、『魔術師殺し』の仕業と思われる殺人の報告はなかった。
続いて、司令官へ調査結果の報告へ向う。
「……む、むむぅ」
「まさか、皇族の屋敷が魔物に襲われるとは」
司令官と副司令は唸った。ユーリア経由で聞いたイルゼ皇女の話も、ディランは伝えている。もちろん、「これは娘が個人的な信頼関係をもとに皇女様から聞いた情報です。取扱には十分ご注意ください」と釘を刺してはいる。
「さらに、魔層化だってぇ? そりゃあ君ぃ」
「はい。魔層化は他世界との境界が曖昧になっていることを意味します。つまり……」
「最悪、魔界と接触する可能性もある。そんなことになれば、大戦の再来だ!」
「あくまで最悪の事態ということですが……」
『魔層化』という超常現象は、帝都での実例こそ皆無だが魔物や呪いが引き起こす怪事件・災害として認知されている。
今まで遠い国の災害程度に思っていた現象が、つい昨日起こっていたというのだ。いつもやる気なく眠そうな司令官も、冷静な副司令も顔を青くした。
「ど、ど、ど、どうすりゃ良いんだい、ディラン君!?」
「まず魔物の正体を知ることでしょう。そして、これ以上の被害を防がないと」
「……魔術師殺しが続くことによって、魔物が活発になったり魔層化が進むことも考えられるな……」
「ええ。そして最終的には当然、魔物を倒します」
ディランは当然のように言った。
はったりでも気休めでもない、自分はそうすべきで、それができる、と理解している者の落ち着きがあった。
そういう落ち着いた雰囲気は、他人にも伝わる。
「わ、分かった。衛兵隊としてもできる限りのことはしよう。と、とりあえず巡回を強化だな。怪しいことがあったら全部報告を上げさせよう。それに保管してある魔術器も、いつでも使えるように準備しとこう」
「中隊長以上のものにはそれとなく状況を伝えておきましょう」
司令官と副司令は熱心に相談をはじめた。最初の印象よりもだいぶやる気が見られて、ディランは少し安心した。
「それと、重要なのは関係機関が連携することです。帝国政府はもちろん、魔装騎士団と守護兵団にもこの情報を伝えましょう」
「う……うむ……しかしそれは……信用されるかねぇ?」
「一笑に付される可能性もありますな」
「……」
司令官の心配はもっともなのだが。《それはあなたの仕事だろう》と思ったディランが無言で睨むと、彼はがくがく頷いた。
「と、とにかく報告は上げよう。もっと情報を集めれば、あいつらも信用してくれるかもしれんしな」
「よろしくお願いします」
ディランが立ち去った司令室。
司令官は額の汗を拭って大きなため息をつく。
「ふぅーっ。しかし大変なことだなぁ、これは。私が司令の時にこんな事件が起きなくても良いだろうに……」
「まったくですな。しかし」
副司令も同じく息をついて呟く。そして、何かに気付いたようにディランが出ていった扉を見つめる。
「……何故、我々は彼の報告を頭から信じているのでしょうな。いまのところ全て、彼の伝聞からの推測でしかないのですが」
「そ、そういえば……。でも、嘘って感じ、するぅ?」
「いいえ、まったく」
司令官と副司令は顔を見合わせた。
司令室を出たディランは部下たちと合流していた。
すでに、昨日のうちに申告しておいた『面会』の許可が下りたことは確認している。
「よぉ、隊長! 今日はどうすんだ?」
「面会とかにいくんっすよね?」
「……四人でぞろぞろ行くのか?」
部下たちが今日の行動を聞いてきた。
「ヴィダルの言うとおりだな。面会には私一人で行ってくる。お前たちは巡回して聞き込みだ。何か怪しいこと……『黒尽くめの女』と『九つに至らんことを』。この二つに関係してそうな情報があれば押さえておいてくれ。冒険者ギルドとも協力してな。そして」
今日の指示をしてから司令官たちにしたのと同じ情報を伝えると、彼らは緊張に顔を引き締める。
「な、なんかヤベー感じだな」
「でも、隊長がいれば大丈夫っしょ? 何とかなりますよね?」
「……」
ゾマー、リューリンク、ヴィダル。三人の若者の顔に動揺も不安もあったが、確かに決意のようなものもあったので、ディランはほっとしていた。
「何とかするのは私だけじゃない。私たち全員の仕事だ。頼むぞ!」
帝都はアデラ海に臨む一大港湾都市でもある。
帝都から小舟で一刻ほどの小島が、監獄島グラフィング。永い年月の間に侵食され、島の外周は断崖絶壁となっている。さらに周囲の海上からは巨大な岩の柱が数十本突き出し、異様な景観を作り出していた。
天然の要害であるため、重罪人を収監する監獄の島として利用されてきた。
島と同じ名前のグラフィング大監獄は、島の面積の八割を占める堅牢な石造りの建物で、ほとんど城塞に近い構造だ。
その大監獄に収監されている罪人の中でも最も有名な者の一人が、これからディランが面会する人物である。
『天才魔術師』『魔術器の芸術家』『魔工学の母』。様々な異名を持ち、この数十年の魔術界を牽引してきた闇魔術師、ディーガナバル・ダイバ。
ディラン自身、かつてはずいぶん親しかった覚えがあるが、会うのは二十五年ぶりだ。
彼女がいるのは大監獄でも特別な区画。
本島から百メートルほど離れた、巨木のように海面から突き出た岩の柱。その一本の上に接ぎ木をするように石の塔が建っている。一本の石橋のみで監獄本体と繋がっているその塔が、ディーガナバルのための専用獄舎であった。
ディランは一人、石橋を歩く。いつもの衛兵のサーコートに鎖帷子姿で、長剣も携えている。
海上であり風は強い。幅十歩程度の橋から下を覗けば、吸い込まれるような青い海。
ディランは石橋を歩ききり、塔の扉の前に立つ。
塔の外壁には等間隔で不気味な神像や紋様が彫り込まれていた。ディランには分からなかったが、強力な結界を張り巡らせるための魔術器の一部である。塔を外敵から守るための措置である。
既に監獄の職員を通じて自分の来訪はディーガナバルに伝わっているはずだ。
面会のための、ディーガナバルの牢獄の鍵は預かっていなかった。何故なら、これから向う獄舎は施錠などされていないから。そもそも、ディーガナバルは獄舎の住人ではあるが、罪人ではないのだ。
ディランは少しだけ嫌そうに顔をしかめ。えへん、と咳払いをしてから扉のノッカーを鳴らした。
「待ってたわよぉ~!」
飛び出してきたのは長身の美女だった。
複雑な形に結い上げられた栗色の髪が搖れる。やや化粧は濃いが、豪華な赤いローブがよく似合っていた。艶やかに赤く塗られた唇から、甘ったるい声が響く。
「ディ~ラ~ンくぅ~んっ! 会いたかったあぁんっ……誰だおっさん!?」
美女は満面の笑みを浮かべディランを抱きしめようとし、急停止した。信じられないものを見るような目で、ディランをじっと見つめる。
ディランは額を押さえて言った。
「……久しぶりですね、ディーガナバルさん。ディランですよ」
「このおっさんがディラン君!? そ、そういえば面影が……でもそんな……まさかディラン君のお父さん?」
「いやディラン本人ですって」
「嘘だぁぁぁぁ!?」
美女は頭をかかえてぐねぐね身悶えした。




