第三十五話 娘の成長
その日の夜。マイクラント家。
夕食はカブとキャベツのスープにパン。パンにはたっぷりのパテとバターが載っていた。
「……そんな感じで、イルゼさんの家に魔物が出たみたいなの」
「ふむう……おまけに、魔層化か。アイネさんとブルダン君が無事だったのは何よりだが」
ユーリアの報告にディランは考え込んだ。
ちなみに、娘が超常現象に遭遇した件については全く心配していない。
イルゼの家庭教師が、『魔術師殺し』の被害者の一人なのは間違いないだろう。皇族の屋敷で魔術師が殺されたとなれば、大変な醜聞だ。
帝国政府が隠蔽したがるのも、冒険者ギルドに頼ってまで魔物を倒したいと思うのも無理もない。
「やはり、魔物の正体を突き止めないといかんな。いつ次の犠牲者が出るか分からん……それに、もっと悪いこともあり得る」
魔層化を行えるということは、身を隠し移動できるということだ。普通の犯罪者のように、歩きまわって居場所を探しても絶対に見つからないだろう。
しかし、魔層化がその魔物の単なる固有能力であればまだ良い。逆に、何らかの理由で魔層化が起きていて、魔物の出現がその余波に過ぎないとしたら……これは大問題である。
「イルゼさんは……。多分、魔物のことをもっと知ってると思う」
「ほう?」
果汁のジュースを手にしたユーリアがぽつりと言った。娘の直感的な洞察力の鋭さを知る父は身を乗り出す。
「殺された魔術師の属性も教えてくれたし。……何か大事なことなんだと思う」
「……魔物の特性と関係あるのかも知れないな」
連続殺人事件において、被害者の共通点を探るのは基本だ。そういう意味では、被害者の属性が判明したのは大きな意味がある。
特に、魔物絡みの事件においては重要だ。同じ属性の人間ばかりを狙う魔物や、逆に特定の属性を苦手とする魔物もいるのだ。
「ガイは火の属性だったからな。火、風、地、水……基本四属性の魔術師が既に殺されているわけか……」
顎を撫でながら考え込むディラン。《普通に考えると、この四属性の魔術師を殺すことが目的、もしくは光と闇も加えた六属性か? ならば、次に狙われるのは……》
「イルゼさん。話してて、すごく申し訳なさそうだったから。もしかしたら魔物の宿主とか」
「……本当にそうなら大変なことだな」
実体を持たないタイプの魔物が、魔力の持ち主に取り憑くことがある。取り憑かれた側を宿主と呼ぶが、魔物は宿主の言うことを聞く場合もあれば、そうでないこともある。ユーリアの直感が正しければ、イルゼの意思に関係なく魔物が暴れているということだ。
「ううむ」
相手は冷や飯食いとはいえ皇女だ。
具体的な証拠もなく、一衛兵である自分の推理程度でどうこうできるはずもない。《これは困ったな……》
「ここは、『コネ』を使う時か。しかしディーガナバルさんにも会わなきゃだしな」
大戦時の知人で、現在帝国の要職にある人間には何人か心当たりがある。しかしそもそも、知人に会うというだけでも数刻で終わる行動ではない。魔物の動き次第では今夜にも新たな犠牲者が出るという状況で、時間の無駄は少しでも省きたかった。
「お父さん、私、手伝うよ」
「ユーリア。ううむ……」
娘がそういうことは予想できていた。しかし、せっかく帝都の魔術師学院という良い環境を与えてやれた娘に、また冒険者のようなことをさせるというのは……。
「お父さん! 私、イルゼさんを助けたい」
「皇女様を?」
ユーリアの言葉にディランは娘を見た。真剣な顔だ。
魔境都市にいた頃、不可思議な事件をユーリアと一緒に何度も解決した。その頃のユーリアは、『お父さんの役に立ちたい』としか言わなかった。それが。
「いつの間にそんなに、皇女様のことが好きになったんだ?」
「好きってことじゃないけど。イルゼさんも、別に私のこと好きじゃないみたいだし。でも……だからって、イルゼさんが泣くのは、嫌」
「ユーリア……」
ディランは感動していた。
自分以外に対しての感情が極端に薄かった娘が、自発的に他人を助けたいと言うとは。
「分かった。ユーリア、お前はイルゼ皇女様を守れ。そのために……」
魔術師学院の学生とはいえ一市民、しかも少女でしかないユーリアが皇女を守る。それをさせるために、ディランは自分が持つコネを無制限に使うことを決意した。
「お前は明日魔装騎士団の本部にいって、副団長のギレンセン殿に会いなさい。彼に頼んで、イルゼ様の護衛に加えてもらうんだ。護衛がまずければ、『皇女様の友人として屋敷に泊まる』で良い」
紹介状は書くから、とディランは言った。
『軍神』ギレンセンとは、大戦中何度もお互いの命を救いあった仲である。また、質実剛健で民を守ることを第一と考える高潔な人柄も信頼していた。そのギレンセンを頼ればイルゼの側にいられるよう計らってくれるだろう。
もちろん、ユーリアが普通の娘ならただ護衛の邪魔にしかならないが。
「ありがとう、お父さん。……あ!?」
「ど、どうした?」
何かに気付いたらしいユーリアはテーブルをまわってディランの腕にひしっと抱きついた。
「あ、あのねっ。イルゼさんを助けたいっていったけど、お父さんの方が好きだからっ! ずっとずっと!」
ディランの肩口に額をぐりぐり押し付けながら、必死に言い募るユーリア。腕を掴む腕に力がこもっていた。
「……そ、そうか。分かっているよ。大丈夫だ」
ディランは、よしよしとユーリアを抱きしめ頭を撫でてやる。《分かってる、と言って良いものなのかなこれは。しかしユーリアの気持ちを無下にするわけでにも……ああ、ユーリアは可愛いな!》
などと多少複雑な思いは、あった。




