第三十話 不知火
冒険者ギルド本部ロビーでは、二十人以上の冒険者と一人の衛兵が大乱闘を始めた。
「潰してやるぜぇ!」
ゾマーを吹き飛ばした巨漢が、岩のような肩を突き出しディランに突進してくる。
「ほっ」
「ぐへえっ」
ディランは床すれすれまで身を沈め、長い脚で巨漢の足首を薙ぎ払う。片足が床に着く寸前で足払いを食らった巨漢は、宙でくるりと一回転し落下した。
「がはあっ!?」
正面から突っ込んでくる一人の胸元に前蹴り。そいつは後ろの数名を巻き込んで床に転がる。
「ぎゃっ」
「げっ」
背後から飛び蹴りしてきた男を、半回転しながら肘打ちで叩き落とし。正面から殴りかかってきた相手の懐に飛び込み顎を打ち抜く。
「ぐおっ!?」
「わっ!?」
横から組み付こうとしてきた男の頭を飛び越えつつ蹴り倒す。着地するとすぐ目の前に別の冒険者。
「いででっぎゃっ」
「げっ!?」
「ぐふうっ」
一瞬の硬直が解けるより先に、そいつの肘関節を極めて投げ飛ばす。今度は三人まとめて薙ぎ倒した。
「うぅ……う……」
「…………ぅぐぅ」
あっという間、と言って良いだろう。荒事には慣れっこなはずの冒険者二十名は、一人の衛兵に叩きのめされ床に伸びていた。
平気な顔で立つディランは、呼吸すら乱していない。
「マジで何なんすか、あの人は……」
「ぶ、武王……」
ゾマーたちも呆然としている。自分たちがやられた時よりも、客観的にディランの強さを目の当たりにしたからだ。
「まあこんなところか?」
ディランが声をかけたのは、先ほどのカウンター席から動いていない派手なジャケットの男。ギルドマスターのゼーロンだ。
「そうだな、実に良い『親善試合』だっ」
パンッ!
にんまりと笑ったゼーロンの言葉を、空気が破裂したような音が遮った。ゼーロンが横を見れば、痩せた男が影法師のように立っている。
「レイセル、止せ」
「試合っていうなら、真剣試合が一番だろう?」
「止せと言っとるんだ! 大怪我じゃすまんぞ!」
わめくゼーロンを捨て置き、レイセルと呼ばれた男はふらりとディランの前に立った。ニ十歩ほどの間合い。
「レイセルさん!」
「黒蛇のレイセルさんなら!」
冒険者たちは息を吹き返したように歓声をあげた。『黒蛇のレイセル』。一匹狼で、賞金稼ぎや復讐代行といった対人戦闘を専門とする、超級冒険者だ。盗賊ギルドすら、『黒蛇の』レイセルの名を聞けば恐れる。
「俺はこれを使う。あんたも剣を抜きな」
レイセルは右手を突き出した。その手には、鞭の束が握られている。柄には緑色の精霊石がはめ込まれていた。雷を帯び敵を焼く魔術器『雷熱鞭』である。
先ほどの空を裂く音は、レイセルが雷熱鞭を一振りした結果だった。
「やってもいいが。俺は素手でいい」
「おい嘘だろ」
「いくらなんでも……魔術器使い、それも黒蛇のレイセルさん相手に勝てるわけねぇ」
「死んだなあの親父」
平然と頷くディランに、冒険者たちもざわつく。ギルドマスターは呆れたのか諦めたのか、肩を竦めていた。
「……おい」
「へ? お、おお!」
レイセルは一人の冒険者にあごをしゃくった。そいつは何かを思い出したのだろう、床に置いてあった彼の火竜槍をレイセルに向け。
「い、いくぞっ!?」
熱線を発射した。
バチッ!
オーガの巨体もぶちぬく炎の槍は、空中で雷熱鞭に弾かれ、霧散した。
鞭という、そもそも扱いの難しい武器で超高速の炎槍を迎撃する。神業といえた。
「これでも、素手で良いのか?」
「それでも。だ」
「……」
冒険者も衛兵も声もない。静まり返ったロビーに、レイセルの低く暗い声が響いた。
「死んでも文句を言うなよ」
「構わんよ。その代わり……私が勝ったら素直に調査に協力してくれ。別にヨギが犯人と決めつけてるわけじゃない。公正な捜査をすることは約束する」
「……良いだろう」
レイセルは小さく頷き、半身に構えた。雷熱鞭は右腰のあたり。手首の一振りで、ディランの身体のどこにでも叩きつけ、巻きつけることができる。
「……っ」
言葉のとおり、レイセルは一切遠慮も躊躇もしなかった。ディランの首めがけて雷熱鞭を伸ばす。鞭の先端は音速。視認すら不可能……なはずが。
「むっ」
ディランは、半歩身体を横にずらすことで、鞭の攻撃を避けていた。というよりも、レイセルの手応えとしては、『自分の狙いが狂っていた』に近い感覚。
「何だ? 空振り?」
「へへっ。あの親父、びびってフラフラしてるじゃねーか」
見物客に転じた冒険者たちが口々に囃し立てた。
実際のところ、ディランはただ突っ立っている、だけではない。前に一歩、右に一歩、後ろに二歩。また後ろに下がりそうに見えて、前に一歩。
ふらり、ふらり、と不自然に立ち位置を変え続けている。
「ちっ」
パン! という、雷熱鞭が空気を裂く音が続く。
もし一撃でも受ければ、鎖帷子だろうがはじけ飛び肉が裂け、全身を電撃で焼かれるだろう。
だが事実として、彼の鞭はことごとく空を切った。レイセルにはディランがまるで実体のない幻のように思えてくる。
「ほう。この技が効くとは、できるな」
「な……何をしてるんだ、あんたは?」
少し微笑んで奇妙な感想をつぶやくディランに、レイセルは思わず聞いた。
「これは『不知火』という。ずっと遠い国で編み出された武術の技さ」
武術に通じた人間ほど、相手の動きを先読みするものだ。視線、筋肉の緊張、呼吸、重心、そして『気』の流れによって、次の行動を予測する。『不知火』とは、特殊な歩法と気の操作によって、相手の予測を狂わせる術だった。
よって、まったくの素人には単なるおかしな動きにしか見えない。
ディランが『できる』と言ったのは、レイセルに武術的な素養があることを褒めたのである。
「く……ん?」
屈辱に顔を歪めるレイセルはしかし、あることに気付いた。
まったくランダムに見えるディランの動きだが、一定の方向性があるのだ。まだ倒れていないテーブル。その上に乗ったナイフにディランの視線が一瞬だけ向いたのにも気付いた。
「……そこだっ!」
ディランはナイフをとり、それを投擲するつもり。レイセルはそう予想した。すう、と、自然な動きでテーブルへ伸びたディランの手に向けて、レイセルは全身全霊の一撃を浴びせた。
ダン!
「!?」
「なっ!?」
「へっ!?」
レイセルの鞭は、その先端をテーブルに縫い止められていた。ディランの手のナイフによって。
電撃を帯びた鞭にナイフを突き立てれば、当然本人も大火傷するはずである。だが、確かにナイフやテーブルは煙を吹き上げているが、ディランの手はきれいなものだった。それほど、超高速の動きだったのである。
「……」
「はっ!」
レイセルが我に返るより早くディランは動いた。
一瞬で間合いを詰め、拳をレイセルの鳩尾に打ち込む。
「げっ……ふっ……」
ロビーの床が一部陥没するほどの踏み込み。そのパワーが拳を通じて体内に叩き込まれたのだ。レイセルは胃液を吐き出しながら倒れた。
「良い試合だったな」
「……」
絶賛悶絶中のレイセルはもとより、冒険者も衛兵も、呆然と声も出なかった。ディランの動きは人間業とは思えなかった。
「お、おっさん……あんた本当に人間か?」
「失礼なことを言うな。お前らだって、修行すればこれくらいできるようになるさ」
『できねーよ!』という、その場の全員の心の中の突っ込みはディランには届かなかった。




