第二十六話 『九つに至らんことを』
翌日。
魔術学院基礎課程クラスの教室は騒然としていた。客席でユーリアとディランの戦いを目にした生徒も多いのだ。噂にならない方がおかしい。
「ユーリアって本当に強いのね!」
「いったい、どんな訓練をしたの?」
「何か秘密の魔術器を持ってるとか?」
「皇帝陛下から感謝状が出るってよ!」
女子も男子も、いつもの最上段の席に座るユーリアを取り囲み質問攻めにしていく。
「あははは……。私はお父さんに言われたとおりにしただけだし」
涼し気な美貌を少し赤らめながら、ユーリアは戸惑っていた。魔境都市でもその戦闘力で一目置かれてはいたが、同年代の少年少女にちやほやされる、という状況には慣れていない。
「あの剣士はユーリアのお父様なの?」
「凛々しくて素敵だったわよ! まるでオステオ様みたいだった!」
「セオドール様より断然あのおじさまね!」
「俺の父上は、武王だって言ってた。昔の英雄だよな?」
真っ先に闘技場に乱入しキマイラを退治した剣士についても、噂は出回っていた。これも当然、一般市民よりもよほど早く正確だ。
「うほぉっほん! そのとーり!」
父の話題になった途端、ユーリアのテンションは一気に上がった。椅子に立ち上がり、胸を張る。
「遠からん者は近づけ! 近くば寄ってうっとり見惚れろ! あの超絶格好良い激シブ剣士こそ、私のお父さん! 八武王の一人ディラン・マイクラントなのです!」
「おぉー! すげぇ、格好良い!」
「武王の伝説って作り話かと思ってたけど本当なんだな!」
「今度、紹介して! 姉の婿にお願い!」
「ふわっはっはっ」
生徒たちはさらに沸いた。
女子生徒もだが、男子生徒も目を輝かせている。やはり古今東西、男は強い男に憧れるものだ。
ユーリアは高笑いした。彼女も切れ長の目をキラキラさせている。自分のことよりも、父を褒められる方が何十倍も嬉しかったのだ。
「さあさあ、皆さん。そろそろ先生がいらっしゃいますよ? 席に戻りましょう」
そこへ、級長の声がかかった。イルザだ。
穏やかで気品ある声が、生徒たちの浮ついた気分を宥める。実際、そろそろ講義が始まる時間でもあった。少年少女はユーリアぶ手を振って、自分たちの席へ戻っていった。
「す、すいません。イルザさん」
「いいえ。……ユーリアさん、貴方は、本当に……」
「?」
「あ……。ごめんなさい、忘れてください。では、ごきげんよう」
何かを言いかけたイルザは、淑やかに一礼して最前列に戻る。
「何ともなしに。どうも、雰囲気が違いましたな」
それまで他の生徒達に押され小さくなっていたブルダンが、眼鏡をずりあげて呟いた。
夜。
貴族地区の一角。瀟洒な屋敷がある。古びているし大きくもないが、芸術的な装飾や良く手入れされた庭園を持つ、見事な建築物だ。
ヴァリアール帝国第十三皇女、イルゼ・ゴルド・ヴァリアールが住む屋敷である。少女はここに、執事と侍女、下男数名、そして護衛兼家庭教師の魔術師とともに暮らしている。皇帝の付き人で、エルフの血を引いていたという母は、すでに亡い。
「……」
天蓋付きのベッドに仰向けに横たわっていた少女が身体を起こした。屋敷の主、イルゼだ。
学院の制服姿のままである。学院から帰宅した途端、ベッドに身を投げ出して夕食も食べていない。
黄金の髪が乱れていたが、それを直すこともしない。髪と同色の瞳には、暗い影が浮かんでいた。
立ち上がったイルゼは、とぼとぼと壁際まで歩いた。『猫背で歩くイルゼ』など、学院の誰も見たことがないだろう。
「お母様……」
イルゼは、壁にかけてある護符を見つめて呟いた。
六芒星を象った黄金の首飾り。六つの頂点にそれぞれの精霊を象徴する宝石がはめこまれている。
母の形見だ。
「ユーリア……さん。貴方は」
じっと護符を見つめながら、イルゼは新しい同級生を思った。
彼女の魔術適性は光の二級。……それが偽りであることにはすでに知っている。『万魔王』。『理屈で言えば存在するかも知れない』と言われていた超希少属性。存在価値でいえば圧倒的にユーリアの方が勝る。
その上、昨日の魔獣退治の武勇談。
「せめて、貴方が嫌な人なら……え?」
イルゼは目元を拭った。華奢な指が濡れていることに、自分でも驚く。
『亜人の子』『できそこない』『化物』。公的には、帝国の法に人間とエルフなど友好亜人の差別などはない、ことになっている。帝国政府の重役になっているエルフもいるし、奴隷の人間もいる。
だが、それでも。
「贅沢、なのでしょう。私は」
部屋を見渡す。庶民や貧民から見れば別世界だ。だが、豪華な家具や衣服、食事……それらと引き換えに、彼女の未来は帝国貴族たちの陰謀ゲームのコマにされているのだ。
「でもせめて……せめて……この道だけは……お願い……!」
魔術師学院の上級課程で首席をとれば、自分にも魔術師としての『価値』が生まれる。魔工学課程や魔道課程でさらに技術を身につけられれば、なおさらだ。
彼女にとっては、単に自己実現というだけでなく、場合によっては命を守る切り札とすら言える。
ただでさえ、『光の属性』という帝都に自分一人しか存在しなかった希少価値は、失われているのだ。
「……」
イルゼは大きく息を吸った。白い美貌から表情が消えている。
脳裏には、死んだ母の優しい声が蘇っていた。
『私の可愛いイルゼ。もしもこれから、魂と引き換えにしても良いと思うほどの願いができたら、この護符に祈りなさい。ご先祖さまが、力を下さるわ』
イルゼは護符の六芒星、その頂点に触れた。六芒星の頂点には、光の精霊を現すダイヤモンドが輝いている。
白い指に力が入り……ぷつり、と肌が破け、真っ赤な血が流れ出す。
とろり、とろり、と皇女の指先から滴る鮮血が、ダイヤモンドを染めていった。
「これで……ご先祖さま……エルフが助けてくれる、の?」
指先にハンカチをあてながら、イルゼは呟いた。
瞬間。
「……!?」
何かの気配を感じて振り返った皇女の前には、『女』が立っていた。
真っ黒い髪に白目の無い黒い瞳、黒いローブ。肌だけが際立って白い。
「え?」
「契約はなされた」
突然の出来事に、イルゼは呆然と呟くことしかできなかった。
『女』は、三日月のように唇を吊り上げる。
「至らんことを……九つに……至らんことを」
呪詛のような女の声が、部屋に響いた。




