第二十五話 皇帝の目
闘技場の貴賓席は、頑丈な壁で区切られ密室になっていた。
密室といっても狭苦しくなどない。十分なスペースに豪華な家具。テーブルには庶民には縁遠い珍味の数々が並ぶ。
最も豪華な席に座るのは、長身痩躯の老人。長い脚をゆったりと組み、肘掛けにもたれている。闘技場を見つめる青い瞳には、軽やかな知性が宿っていた。
アルブレヒト・ゴルド・ヴァリアール。
ヴァリアール帝国皇帝である。
「武王は健在、というところですかな」
「いや、昔よりさらに鋭くなっているようだ」
「それはそれは」
皇帝と軽口をかわすのは、帝国政府内務卿。まだ三十代の怜悧な美貌の男である。
「あの馬鹿者っ……大馬鹿者っ……! 私に恥をかかせおってぇ……!」
少し離れて頭を抱える中年男は、魔装騎士団団長。醜態を晒しまくったセオドールは彼の長男だ。
「へっ陛下っ……これは、これは何かの間違いで……」
真っ青になって皇帝に言い訳を並べ立てるのは、劇の最初に自慢そうに演説していた侯爵。魔装騎士団の重要な出資者であり、今回の演劇を企画した上級貴族である。
「ま、まさかキマイラがあのようになるとは……」
「これでは、魔術器と魔装騎士団の有用性を民に知らしめるどころか、武術の強さを再確認しただけではないか!」
「我ら人族、そして帝国こそが全種族の頂点であることを示すという目的も、滅茶苦茶ですぞ」
侯爵を容赦なく責め立てる有力貴族たち。みな、他人の失敗は自らの栄達の足がかりとしか考えていない。
「……ふうむ」
「!? ご、ご無礼いたしましたっ」
皇帝が軽くため息をつくと、貴族たちは全員姿勢を正す。
「どう思うね? ギレンセン? 役立たずの魔術器を研究し、魔装騎士を育てるよりも、皆に武術を習わせた方が良いかな?」」
「……否」
ギレンセン、と呼ばれた男は軽く首を振った。セオドールと同格の、魔装騎士団副団長である。立ち上がったヒグマのような肉体に、顎を覆う黒髭は、歴戦の猛将の貫禄を漂わせていた。白銀の鎧はもちろん特製である。
「百万人に一人の天才に二十年の修業を課して、成るか、成らぬか。それが武術でございます。魔族、魔王の時代ならともかく、これからの人と人の戦争の時代にそのような技は無用かと」
「……」
魔装騎士団副団長ギレンセンの回答に周囲の者は沈黙した。ギレンセン自身が、『大戦』の英雄、『三軍神』の一人であり、武術の申し子とも言える男だからだ。
かつて何度かあった大きな戦いにおいて、稀にこうした人々が出現している。人でありながら人を越えた力を持つ者たち。
「加えて、魔術とそこから派生した魔工学は、敵を倒すだけの技術ではございません。医療、生産、建築、教育、衛生……全てに応用可能です。国を富ますのにどちらが有効か、論じるまでもないかと」
軍神の発言を、内務卿が補足する。
「……うむ」
皇帝は目を細めて頷く。
ギレンセンと内務卿は珍しいことを言ったわけではない。それが、アルブレヒトが帝位に就いて以降、推し進めてきた帝国の基本方針なのだ。
であればこそ、『軍神』『武王』といった分かりやすい偶像の影響を拭い去ろうと、様々な施策をしてきた。
『大戦』の英雄も魔術器を使っていた……などという今回の演劇も、その一端である。
「まあ、余が最も恐れるのは……ふむ、それは今はどうでも良いか。とりあえず、だ」
皇帝は、闘技場で忙しく動くディランを指差す。
「彼の処分はいかがしましょう?」
「処分? 一体何の罪で?」
「帝国が誇る魔装騎士団が、見掛け倒しの雑魚集団だったことを暴いた罪……ですかな」
「相変わらず口が悪い」
貴賓席内は魔装騎士たちが警備している。同僚の醜態と内務卿の皮肉に、苦り切った顔だ。もちろん、騎士団長モーリスは屈辱に歯ぎしりしている。セオドールと同じ副団長であるはずのギレンセンは、石像のように無表情だったが。
「……感謝状でも送ってやれ。娘御にもな」
「御意。金一封もつけましょう」
「任せる」
先の内務卿の発言はあくまで冗談として流されていた。この程度の毒舌トークは二人にとって日常なのだろう。
「へ、陛下」
「陛下っ」
(貴族たちの目線では)騒ぎの元凶の一つであるディランに温情が示される。そこに希望を見出し、騎士団長と侯爵は皇帝を見つめた。
「セオドール以下の魔装騎士団第一大隊は、当面ギレンセンの第二大隊の指揮下に入れろ。ギレンセン、せめてもう少しマシになるよう鍛えてやれ。何しろあれで貴重な闇属性だ」
皇帝の指示に、当事者たちは頷いた。ギレンセンは黙念と。騎士団長は、安堵半分、屈辱半分といった顔だ。
「あ、あ、あのう。も、もうしわけ、申し訳ございません、陛下っ。わた、私は……」
今にも泣き出しそうな顔で皇帝の顔色を伺う侯爵。
「貴公を責める気はない。不運な事故だ。……だが。事故の原因は詳しく調査し、報告せよ」
「はっ……ははぁっ!」
侯爵は平身低頭しかない。
「……さて」
皇帝が軽く手を上げれば、それが合図だ。居並ぶ貴族、騎士、従僕たちは帰り支度を始める。
皇帝の移動ともなれば、さっと立ってさっと行く、とはいかない。準備ができるまでの間、皇帝は暇そうに肘掛けにもたれていた。
その口から漏れたのは、こんな呟き。
「人が鍛えればああもなれる。……それこそが、帝国にとって……いや、人にとっての毒なのだが、な」




