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第二話 帝都への道すがら

 大陸の東西に横たわる街道を、男と少女が旅していた。


 四十代半ばと見える男は、良く鍛えられた身体に長剣を携える武人。山のような荷を背負うロバの手綱を引いている。髪と同じ茶色の瞳は、まっすぐに街道の先を――遥か先の帝都を見据えているようだった。

 あの、ディラン・マイクラントである。

 『大戦』から三十年も経った。もう立派な中年親父だ。


 ディランが引くロバの鞍に、荷物と混ざってちょこんと腰掛けているのは、銀髪に白い肌の少女。

 十五年前、訳あってディランが引き取り、養子としてここまで育て上げた娘である。名前は、ユーリアと名付けた。


 ディランの背中を見つめる青い瞳と、気品を感じさせる美貌が十五という年齢よりも大人びていた。もっとも胸中では《はぁーお父さんの背中格好良すぎぃ……朝から五時間くらい見てても飽きないわぁー……》などと、恍惚としているのであるが。


 ディランはディランで、油断なく周囲の気配を探っていはいたが。《帝都についたらユーリアを学校に入れて、しっかり教養と技術を身に付けてもらおう。そうして立派に自立させて、いつか良い男と結婚して……俺はその晩は、泣きながら一人で飲みまくろう……》などと、行き過ぎた将来設計を検討していたりするのだが。



 父娘とロバの片側は絶壁がそそり立っている。馬車数台分の街道の、もう片側は深い崖。

 険しい山脈を東西に横断する唯一のルートの中でも、とびきりの難所。そして危険地帯だ。

 魔境都市トームドルクを出発して半月は経つ。目指す帝都までは、さらに一ヶ月以上かかるだろう。


「お父さん! 向こうから誰かくるよ!」

「分かっている」


 ふと視線を前方に向けたユーリアが叫んだ。遮るもののない街道の、遥か先を見ている。常人には、そこには微かな黒い点しか認識できないだろう。

 ディランの低く太い声にも、歩みにも揺らぎはなかった。


「どうするの?」

「あれは定期便だよ。そうか、もうそんな時期だったか……」


 ディランの言葉どおり。点が近づき、幾つかの人馬のシルエットを表し、多数の護衛を連れた大規模な隊商となった。

 父親が後にしてきた魔境都市と帝都の間を、年に二度行き来する隊商だ。大陸でも有数の危険地帯にあえて踏み込むため、護衛は全て重武装。荷馬車も重装甲だった。


 父娘とロバは街道の絶壁側へ寄って、隊商を先に行かせることにする。

 と。先行してきた二騎の騎兵が、父娘の横で立ち止まった。


「……お前ら、何者だ? どこからきた?」


 騎兵の一人が緊張に満ちた声で聞いた。手にした魔術器アーク、火竜槍を握る手に不必要な力が篭っていた。

 このあたりを、たった二人で歩くなど考えられない。山に潜む魔物ではないかと疑っている。


「ただの移住者さ。トームドルクから帝都まで行く途中だよ」

「魔境都市から!? 二人で!?」


 魔境都市周辺からこのあたりまでは、帝国の威光から見捨てられた蛮地として知られている。帝都直轄領では狩り尽くされて久しい魔獣や魔物、敵対亜人まで跳梁跋扈ちょうりょうばっこする、文字通りの超危険地帯なのだ。


「信じられん……魔物に襲われないのか?」

「ちょっと貴方!」


 呆然として相方と顔を見合わせる騎兵たちに、ユーリアが異議を申し立てた。


「お父さんと一緒なら魔物なんか全然怖くないんだから! なんたってお父さんは『大戦』の大英雄、『八武王』の一人、ディラン・マイクラントなのよ!」

「それは止めなさいって言っただろう……」


 ロバに腰掛けたままのユーリアが胸を――年齢の割には豊かな――そらして主張した。実に自慢気だ。ディランの方が額に手をあてて気まずそうなのとは、対照的である。

 ぴったりしたズボン、ショートコートにブーツ。腰に二本の小剣をぶら下げた姿は、狩人や野伏の娘にしか見えない。だが、くっきり整った美貌は、少女ながら威厳すら漂わせている。

 その美貌の娘の脳内で《むふふっ。さあ、私のお父さんを尊敬しまくりなさい!》などという思考が流れていることには、誰も気付いていないが。


「……誰?」

「武王って何だ?」


 ユーリアの想定とは裏腹に。騎兵たちは困惑して顔を見舞わせた。

 無理もない。

 人類の生存をかけた魔族との戦い、『大戦』が終結したのは三十年も前のことだ。それ以降、人類同士の戦争も何度か起きているし『英雄』はその度に生まれている。三十歳にもならない護衛たちが知るはずもなかった。


「え? 知らない? 嘘? 本当に? うちのお父さんよ? 人狼軍三千人を単騎で追い払ったり、あのハイラス平原の一騎打ちで魔神将を倒したディラン・マイクラントなんだけど?」

「だから知らんって!」

「なんですって!?」

「ひぃっ!?」


 ユーリアは激高した。青い瞳が燐光を帯びたように見えて、騎兵二人は縮み上がる。彼らの火竜槍は、一度の魔力充填で三回の火魔術を発射できる最新式だ。それを手にしていてもなお、背筋が凍るほどの何かを、彼らは少女に感じていた。


「ユーリア。そのくらいにしときなさい」

「でもっ……はぁい……」


 ディランが頭を抱えながらたしなめると、ユーリアはしぶしぶ口を閉じた。不機嫌そうに騎兵たちを睨んでいるが。


「まあとにかく、私たちはトームドルクのちゃんとした住人だ。もう除隊してるが、ついこの間までは軍で士官をやっていた……これが通行証」

「そ、そうか……」

「……ほんとにトームドルクって書いてある……」


 ディランが突き出した通行証を見て、騎兵たちは頷いた。毒気を抜かれたような顔だ。通行証以前に、娘の癇癪かんしゃくも父親の実直な対応も十分人間的で、魔物とは思えなくなっている。


「おおい!」


 そこへ、停止していた隊商の馬車から、豪華なローブ姿の男が駆けてきた。騎兵たちの雇い主、隊商を率いる大商人である。


「はぁ、はぁ……ちらっと見えたんで……やっぱり! ディランさん! 久しぶりですなぁ!」

「あ、フィッシャーおじさんだ」

「やあフィッシャーさん。商売繁盛で何よりですね」


 大商人と父娘はにこやかに話し始めた。どう見ても旧知の間柄である。


「いやあお陰様で! しかしこんなところで何を? ご旅行ですか?」

「実は帝都に移住することになったのですよ。……その、恩赦おんしゃが出ましてね」

「おお! それはそれは!」


 ディランの答えに、大商人フィッシャーは大きく頷いた。

 もう十年以上、年に二度ずつ魔境都市を訪れていたフィッシャーは、ディランの事情を少しは聞いていた。


「いやあ、良かった! 本当に良かった! おめでとう、ディランさん! ユーリアちゃん!」

「そんなに喜んでくれるとは。ありがとう」

「ありがとう、フィッシャーおじさん!」


 三十年前の大戦で多大な功績を挙げたディランは、皇帝直属の騎士に抜擢された。しかし平民出身である彼にとって、宮廷は敵地同然だったのだ。

 たちまち権力闘争に巻き込まれ、無実の罪で騎士資格を剥奪され、一兵士として魔境都市へと左遷されてしまった……のだという。


「旦那様があんなお顔をするなんて……」


 フィッシャーは涙まで浮かべてディランの恩赦を喜んでいた。新しい使用人や護衛たちは唖然としている。なにしろ、普段のフィッシャーは冷徹な守銭奴なのだ。一方、隊商の古株たちは、一緒になって微笑んでいる。


「それでこれから帝都へ向うんですな? ……そうだ! これを! これをどうぞ! 恩赦と帝都帰還のお祝いです!」

「ええ? いや、こんなに頂くわけには……」

「そうおっしゃらずに! 貴方たち父娘には山ほど借りがあるんです! ぜひ、ぜひ!」


 大商人は懐から袋(中身はぎっしりの金貨だろう)を取り出すと、それをディランに押し付けてくる。

 ディランは生真面目に断ったが、あまりの勢いに押されて受け取ってしまった。ユーリアからの「いまは軍人じゃないんだから、賄賂にはならないでしょ」という助言も効果があった。


「それじゃあ、私たちはこれからトームドルクで商売をしてきます。冬までには帝都へ戻りますから、必ずあちらでお会いしましょう!」

「ええ。お気をつけて」


 大商人は、名残惜しそうに手を振りながら街道を去っていった。数十台の荷馬車と百名以上の護衛・使用人を引き連れて。

 父娘も、その姿が見えなくなるまで見送っていた。




 歩みを再開した隊商。

 大商人フィッシャー・ゲオルは、馬車の豪華な座席で満足そうな顔をしていた。


「旦那様、あのお二人、大丈夫なんですか?」


 主人とは逆の心配気な顔で聞くのは、見習いの少年。彼も、ここまで一ヶ月以上の旅で街道の危険は良く知っていた。この隊商も数度は魔獣の襲撃を受けているのだ。


「ああ? そうか、お前は知らないんだな。心配いらないよ。あのお二人は……うーん、何というか……」

「な、なんですか?」

「何というか……そう、強いんだ」

「強い?」


 ざっくりし過ぎの説明に少年は目を丸くする。大商人は重々しく頷いた。


「とてつもなく、な」


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