第十八話 怒りの魔拳
「セ、セオドール殿? くれぐれも生徒に怪我をさせないようにお願いしますよ?」
「ははは、ご安心を」
教官は顔を青くしていたが、セオドールは悠然としたものだ。強力な魔術器である剣をリリアナに預け、運動場の中央に立つ。
「ユーリアさん」
「はい?」
魔装機師の前に立つユーリアとイルゼ。イルゼはユーリアに囁いた。
「これは訓練ですからね? あまり気負って、怪我などなさらぬように」
「うん。……ありがとう」
イルゼの言葉には確かにユーリアへの気遣いがあった。それが、級長としての義務感からくるものであったとしても、目の前で不敵な顔をする魔装騎士よりもずっと好ましかった。
「では、失礼して」
イルゼは一礼して、セオドールの前に立った。
「皇女殿下。私は魔撃と並ぶ基礎、魔壁を使いますのでご遠慮なさらず。私を倒すおつもりでどうぞ」
「殿下のことですから、きっと強力な一撃よ? セオドール、油断しちゃだめよ」
リリアナのセオドールへの助言は、助言というよりも、イルゼへの皮肉だった。その顔には、エルフの血を引く皇女への嗜虐的な興味が浮かんでいる。
「あまり、からかわないでくださいな? どうぞ、よろしくご指導くださいませ」
イルゼにとってはこの程度の皮肉は慣れたものだ。そよ風のように流し、一礼して……構える。
「……はっ!」
イルゼは人差し指をセオドールの胸元へ突き出した。ユーリアの言った一点集中。
皇女の体内で練られた魔力が、細い線となってセオドールの胸元へ伸びる。
「ふむ」
イルゼの放った魔力はセオドールの胸元に触れる寸前、吹き飛ばされた。セオドールの魔力が壁のように立ちはだかって護ったのだ。これが、魔術の基礎防御技『魔壁』である。
「……あっ!?」
「一級といっても、まだまだ基礎課程ではこの程度でしょうな。それでも、その年齢では十分でしょう。……お見かけの通りのお年であれば」
「……っ」
魔装騎士はエルフの血を引く者の長命を皮肉った。これが宮廷や公式の場であれば、大問題になるほどの差別発言である。そんなことを言わせるほどに、イルゼの帝国での立場は弱いのだ。
「ご指導、ありがとうございました」
「……」
唇を噛み締めて一礼したイルゼ。普段、彼女をとりまく生徒たちもさすがに言葉もない。自分たちが、『立場の弱い皇女』よりもさらに弱い立場である『中小貴族の子弟』でしかないことに絶望しているのかも知れない。
イルゼは生徒の列に戻る途中、すれ違うユーリアに会釈する。その皇女の肩を、ユーリアはぽんと叩いた。
「よろしくお願いします」
「ああ。後ほど、お父上によろしく伝えておいてくれ。武術などという過去の遺物は不要だとね」
「……」
ユーリアは両手をゆらりと前に出し、軽く腰を落とす。片足はつま先立ちだ。『直立した猫』を思わせる、ふわりと何処かへいってしまいそうな姿勢。
セオドールとの距離は十歩ほど。
ゆら、ゆら、と。ユーリアは緩やかに構えを変えていく。
「な、何ですかな、あの動きは」
「わっかんないけど……凄い綺麗な動き」
アイネや生徒たちは、ユーリアの舞のような動きに目を奪われた。
「……ただの舞踊ではない……何か……? 何かが集中していくような」
冷静にユーリアを観察していたイルゼは、ユーリアの動きの中に何か、とても『深い』ものを感じたが、それを言葉にする知識を持たなかった。
「なんだね、それは? 真面目に」
「……喝っ!!」
「へ?」
緩やかな動きから瞬転。鋭く短い踏み込み。魔装騎士の胸元へ拳を突き出す。
ドン!
巨大な魔力の塊が、セオドールの全身と衝突した。彼の張り巡らせた魔壁ごと、その身体を吹き飛ばす。
「ぐえっ!?」
白銀の鎧姿の青年は、掛け値なしに五十歩は跳ね飛ばされ、地面をごろごろ転がる。ホコリまみれになってようやく止まったが、白目を剥いて気絶していた。
「なっ……!?」
リリアナ、イルゼ、教官。生徒たち。全員が信じられない光景に目を見開く。だがユーリアは止まらなかった。
「せいやっ!」
地面に突き刺さった人型標的へ向かう。拳で、蹴りで、肩で肘で。次々に破壊していく。彼女の小さい拳が触れた瞬間、分厚い木製の標的が粉々に砕けていくのだ。
「なっなっ……何なのぉ!?」
リリアナの悲鳴ももっともだった。優秀な魔術師である彼女の目には、ユーリアの身体を莫大な魔力が包み込み、手足の動きに合わせて激流のように荒れ狂っているのが見えたのだ。
実際のところは、あくまでリリアナという『魔術師』の目にはそう見えた、というだけだが。
「こんな魔力の使い方……知らない……知らないわよっ!」
「はあっ!」
最後の標的を手刀で真っ二つにしたユーリアは、そのまま高く跳躍した。人間の身長より遥かに高く、『飛んだ』と言って良いほどの距離を越え、倒れたセオドールの頭の横を踵で踏みつける。
ドス!
と凄い音と衝撃が響き、小さい靴跡が運動場に刻まれた。
「これが武術。……不要かどうか……あれ?」
「……ぁ……ぅ……」
絶賛気絶中のセオドールに、その言葉は届いていなかった。
「ええと」
「…………」
もうちょっと手加減すれば良かった……と思いながら周囲を見回すユーリア。それから、自分がするべき優先事項を思い出す。
「言っておくけれど。お父さんは私の十倍……いや百倍強い! 今度お父さんを馬鹿にしたら、体重が半分になるまで殴る! ……って、この人に言っておいて」
「…………あわわ……わ、わか、ったわっ」
ユーリアなりに頭をひねった脅し文句。リリアナは整った顔を驚愕と恐怖に歪め、なんとか頷いた。
「ん」
女魔術師にそっけなく頷いたユーリア。周囲を見回すと。
「す、す、すっげぇぇぇーーー!! ユーリアーー!!」
「ひゃっ」
ピンクブロンドの影が走り寄ってきて、ユーリアに抱きついた。
「絶句。言葉もなし。……いや本当に凄い」
ドタドタとアイネに着いてきたブルダンが、興奮気味に手を叩く。
パチ、パチ、パチ。
イルゼも無表情ながら、手をたたき始めた。それで、生徒たちは我に返ったようだった。
「お、おおおおお!」
「何だ今の! マジで何だよ!」
「魔装騎士を一発で倒すとか!?」
「あの子どうなってるの!?」
「とにかく凄ぇわ! 天才だよ!」
生徒たちの興奮の声と、盛大な拍手がユーリアを包み込んだ。




