第十六話 魔力放出
ユーリアが魔術学院に通学をはじめて十日ほどが経った。
今日は、ユーリアにとっては初めての実技である。
『基礎課程』生たちが集まった運動場には、緑の芝生が綺麗に敷かれている。父親が勤務する衛兵隊の訓練場とは格が違った。
「あーあ、この服ダサいんだよねえ」
「運動するためには合理的ですぞ」
ピンクブロンドのアイネがぼやいた。長袖、長ズボンの『体操着』姿である。上下とも赤だ。肥満体の少年ブルダンが宥めるが、客観的に言って彼よりは似合っている。
「私もこっちの方が落ち着く」
「運動たって、科目が魔力操作なんだから別に身体は動かさないんだけどね……」
整列している生徒たちの前に教官が立つ。
「先週、ほとんどの者が魔力の知覚ができたと思う。今日から、体内の魔力を外部へ伝達する『魔力放出』の訓練を開始する。これができなきゃ、精霊と契約などできないからな、真剣に取り組むように!」
「……魔力、放出?」
教官の号令に、ユーリアは小首を傾げた。既にやり方は教わっているのだろう、他の生徒達はそれぞれグループを作ったり、個別に訓練を始める。
「ユーリアはまだ分からないよね」
「拙者たちが、まず魔力知覚のやり方を教えましょう」
アイネはユーリアの肩に手を置いて言った。すかさず、ブルダンが帳面を取り出しページをめくる。
「んー……」
ブルダンが説明のために帳面を読んでいる間、ユーリアは周囲をぐるりと見回した。教官は、黄金の髪の女生徒――皇女イルゼとそのグループに付きっきりで何やら指導している。
ユーリアが少し離れて見ていることに気付いているのかどうか。
イルゼは呼吸を整えながら片手を伸ばす。手の先には、取り巻きの一人が捧げ持つ透明な石。
「……はっ!」
イルゼが気合の声をあげると、透明な石が白い光を放った。取り巻きが恐る恐る手を離すと、石は空中に浮き上がったまま停止する。体内の魔力を石に注ぎ込むことに成功したのだ。
石は浮いただけでなく、上下左右にふわふわと移動する。イルゼが操っているのだ。
取り巻きや教官が、わっと歓声をあげて皇女を褒め称えているのを見て、ユーリアはまた首を傾げた。
「いやーさすが一級だねぇー。って、ユーリア、どったの?」
「あれって。イルゼが魔力を出して石を持ち上げてる、の?」
「そうですな。あの透明な石は、精霊石の素体で、特に良く魔力に反応するようになっております。慣れてくれば、普通の物体を魔力で操ったりもできるようですぞ」
ブルダンの説明を聞いたユーリアは、少しためらいながら頷いた。
「私、できるよ。あれ……」
「えっ、マジで? まだ魔力知覚もやってないっしょ?」
『魔力知覚』とは、放射の前段階として体内の魔力を知覚する技術である。魔術の基本中の基本といっても良い。これができるかどうかは、九割方才能の有無で決まる。
一方ユーリアは、魔境都市の魔術師に習って(後は独学で)魔力知覚も魔力放出も既に身に付けている。別に魔術師になろうと思ったわけではない。魔力放出が、非常に便利な武器になると聞いたためだ。
ユーリアは細く長い指先をブルダンの胸元に向ける。
「えっと、前に教わって……こう、だよね?」
「へ? おはあっ!?」
眼鏡を押しあげたブルダンが、素っ頓狂な声をあげた。彼が手にしていた帳面が、急に浮き上がったのである。慌てて両手で掴み胸元に抱き寄せるが、かなりの『抵抗』を感じた。
「どうしたー! ブルダン?」
「あ、い、いえっ何でもないでーっす! こいつが私のお尻触ったんで、ぶん殴っただけでーすっ!」
「さ、左様! お気になさらず!」
浮き上がった帳面はブルダンが急いでひったくったため、他の生徒は気付かなかったようだ。
だが予想外の反応にユーリアはまたまた首を傾げる。
「どうしたの?」
「どうしたって。ほっっとに凄いんだね、ユーリア。マジでビビったわー」
「二級は伊達ではないと……」
とりあえず、魔力放出をかなりのレベルで行えるユーリアにとって、この時間は無駄だと判明した。
逆にアイネとブルダンに頼まれ、ユーリアは大人しく二人の訓練を手伝うことにした。
透明な石を片手に持って立っているだけだが。
「んーー……おりゃあっ!」
「お見事」
「できたよ!」
両手を突き出したアイネが、気合を込めて叫ぶと石がぶるりと震えた。アイネの魔力が石まで到達したのだ。ブルダンがぱちぱちと手を鳴らす。
ちなみに、アイネの魔術適性は風の五級。ブルダンが地の四級である。
「ふっふーん! ざっとこんなもんよ!」
「もっと、魔力を『細く』した方が良いと思う。その方が力が集中するから」
「ほーなるほどぉ……あら?」
「おっと」
額の汗を拭い、アイネが胸を張った(大きい)。
が、アドバイスを聞いているうちに足元がふらつき、慌てたブルダンに支えられる。
「大丈夫?」
「うわー、これヤバいわ。頭くらっとした」
「急激に魔力を消耗したせいですな。人間の魔力は所詮この程度」
ブルダンとユーリアは慎重にアイネを芝生に横たわらせた。
このように、多くの人間は多少の魔力を持ってはいる。が、魔力を消耗してできることはかなり少ない。燃費が悪すぎるのだ。
そこで、精霊と契約し、自分の魔力を代償に精霊の力を使う形式が編み出されたのである。
「……」
アイネに膝枕をしてやりながら、ユーリアはそっと【一級】であるイルゼの方を盗み見た。
イルゼも少し顔色を悪くしていたが、倒れてはいない。
ただ、その金の目がこちらをじっと見ていたような気がして、ユーリアは肩をすくめた。




