第十五話 帝都の一日を終えて
その日の夜。
勤務明けで平服姿の六〇一小隊の面々は、帝都でも旧市街と呼ばれる区画へやってきていた。当然、ディラン以外の三人は息も絶え絶えといった有様だった。
繁華街である。通りに並ぶ酒場や食堂、屋台に賭博場、娼館。どれも年月を感じるボロさだ。
「お、あったあった!」
ディランは繁華街の片隅で、目当てのおんぼろ屋台を見つけた。屋台の横ののぼりには『温厚なシュトーノ爺さんの屋台。酒と軽食。凄く安い』と、大きく書かれていた。
「シュトーノ爺さん、久しぶり!」
「誰じゃ?」
おんぼろ屋台の主は、親しげに話しかけるディランにうさんくさげな目を向けた。
シュトーノと呼ばれた主の顔は、白い髭が覆い胸元まで伸びている。上から押しつぶされたかのように身長が低く、横幅は広い。シュトーノは友好亜人の一つ、ドワーフであった。
土属性の魔術と科学技術に優れたドワーフは、昔から人間と交流があった。エルフほど差別意識を向けられることはない。
「私だよ。ディランだ!」
「ディラン~……? お、おお! ディラン坊! ディラン坊やか!」
ドワーフの寿命は長い。シュトーノの知る『ディラン坊や』はすっかり老けてしまっていた。逆にディランから見たシュトーノは、昔と全く変わっていない。
「そうそう、ディラン坊だよ! 爺さん元気そうだな!」
「すっかり老けたのぉ! なあに、こっちはあと五十年は現役よ!」
「……」
痣だらけで立つのも辛そうなゾマーたち三人を尻目に、ディランとシュトーノはがっちりと握手を交わした。
「いてて……あの、何でこんなことしてるんっすか?」
屋台の狭いベンチに四人詰めて座ると、リューリンクがディランに聞いた。彼ら三人、気絶したまま医務室に運ばれ、応急処置を受けたところでディランに連れ出されたのである。ちなみに、怪我は全て打撲で、骨折や外出血は一箇所もなかった。
(しかしそれでも、医務室に購入したばかりの治療用魔術器がなければ、今頃まだベッドで悶絶していただろう)
「ん? 今日の訓練はなかなかハードだったろ? 上官として部下の頑張りを労おうとしてるだけだが?」
「いや、そうじゃなくて」
「心配しなくても、ここのメシ代くらい全部持ってやる」
「そうじゃ、ねえだろっ」
顔中青あざだらけのゾマーが、苛立たしそうにテーブルを叩いた。
「あたしたちは、あんたをハメた上に三人でボコろうとしたんだぜ? それに飯をおごる? ……そんなことで、あたしたちが懐くとでも思ってんのかい!?」
言葉は前と変わらぬ荒々しさだった。しかし、その土台となる感情から、憎悪はだいぶ薄れている。打たれても打たれても立ち上がるために、憎悪というエネルギーを絞り尽くしてしまったかのようだった。
「上に報告すれば、さすがに俺たちも追放だろう。何故、そうしない」
ヴィダルも、むしろ不思議そうに聞いた。
「……お前たちくらい使える部下を首にする? もったいないだろ」
「使える? あたしたちが?」
「昨日から見たところはな。使い方が少しずれてるが、お前らの能力は大したものだ」
その三人をまとめてぶちのめした男の台詞ではないな……と、ゾマーたちは思ったが。
「私は口が上手い方じゃないんでな。本当は、お前たちが改心するような良い台詞でも言えれば良いんだが……」
「ほいよっ。竜殺しに、芋の揚げ物に、干物だ」
「お、待ってました!」
話の途中でシュトーノが酒とツマミを差し出した。それを、皆の前に並べながらディランは続ける。
「言えれば良いが、無理だからな。こうして、美味いモノを喰わせて懐柔しようっていうんだよ……なんだ、ゾマーの言うとおりだな」
ディランは「わはは」と悪びれず大笑いして、グラスの酒を呷った。
「んむぅ……やっぱ効くな、竜殺し! お前らも遠慮するな!」」
「はぁー……。はいはい、頂きますよ……ん……うぎぃっ!?」
「ごはっ! なっだこれっ……喉が……」
渋々、酒を口にしたリューリンクとヴィダルが口を押さえる。ただでさえ、口の中に傷があるところに、竜も酔い潰すというドワーフ秘伝の酒を流し込んだのだ。真っ赤になって悶絶する。
「なんだ、若いのにだらしない!」
「ちっ……! おっさん、本気でムカつくぜ……絶対、吠え面かかしてやるからな! ……んぐっ! じじい! お代わり!」
「おお、良いぞ良いぞ! その調子だ!」
「もう俺もヤケっす!」
「……そこの豆の酢漬けを……」
地区と地区を分ける通用門も閉門した深夜。
当番の衛兵を拝み倒して空けてもらい、帰宅したディラン。彼を待っていたのは、ほっぺたをリスのように膨らませたユーリアだった。
「遅い……」
「す、すまん、ユーリア! ちょっとその、職場の若いやつらに奢ってやっててな……?」
「へー、お父さん。私より職場の人が大事なんだ?」
「いやそんなことはない! 魔術師学院の制服か? うむ、ぜひ、見せてくれ」
しかし一度拗ねると、ユーリアはなかなかしつこいのだ。
「もう寝るもん! お父さんは一人で寂しくご飯食べる刑に処す!」
「う、うむ……」
ディランは口ごもった。のぼりの宣伝文句のとおり、相変わらず安くて美味かったシュトーノ爺さんの店ですでにたらふく食ってきた……などとはとても言えない。
「もちろん、一番大事なのはユーリアだ」
「……本当?」
「本当さ。私は、一番大事なユーリアを守るために、衛兵という仕事を選んだんだ。だから、仕事には責任を持たなきゃいけない」
「……責任? よく分かんない」
ディランはシーツを身体に巻き付けたユーリアの前に片膝をつき、肩に手を乗せる。
「衛兵という仕事をちゃんとやって、部下たちとも仲良くなって、責任を果たす。そうすれば、帝都の皆がお父さんのことを認めてくれる。そういう、ちゃんとしたお父さんじゃなきゃ、娘を守るっていう一番大事な仕事はできないんだよ」
「……お父さんがお仕事するのは、私を守るため?」
「そうだ」
「……うん」
訥々と語る父に、娘はゆっくり頷いた。その言葉を十分理解したわけではないが。ひとまず、父親が十分自分を愛していることを再確認し、満足したのだ。
「じゃあ、許す」
「そうか、良かった」
「……ん」
ほっと胸を撫で下ろし、ディランは立ち上がる。そのディランの胸板に、ユーリアは銀髪の頭部をぐりぐり押し付けてきた。
「ギューしろ」
「……ぎゅー」
動物のように率直な情愛を向けてくる娘に、温かい笑みを浮かべながら父はその身体を強く抱きしめる。
数十秒後。ディランは、ぽん、とユーリアの背中を叩き。
「じゃあ、寝るか」
「えっ。……ご飯、食べないの?」
「えっ」
ディランは愕然とし、それから改めて今夜帰宅が遅れたことを後悔した。先ほど、『一人寂しくご飯を食べる刑』などと言っていたユーリアだが、彼女はこの時間まで食事せずに自分を待っていたのだ。
「いや、食べる、食べるとも! いやあ、楽しみだな。腹ペコペコなんだ」
「うん! すぐにスープ温めるね!」
ディラン・マイクラント四十五歳。
こわばった笑顔で、娘が作ってくれた夕食を無理やり腹に詰め込みながら、内心大きくため息をついていた。
こと戦いにおいては、若者にはまだまだ負けない。が、胃袋の容量だけは若いころよりも落ちるな……と。
ここまでで序章です。お付き合いありがとうございました。
次回から本編に入り、徐々に大きな事件が動きだします。




