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日本共和区偏 第2章 過去と未来の邂逅

 みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。

 タイムスリップに成功した南鳥島航空基地では、自衛官、技官たちが各種システムのチェックを行っていた。


 システムのチェック中、南鳥島に配置された航空自衛隊が装備する移動式三次元レーダーのJ/TPS-102(A)の全方位探知可能なレーダーが島に接近する航空機群を探知した。


 方角から、大日本帝国本土から発進した航空機と思われる。


 時間からして、政府と陸海軍からの使者たちを乗せた要人輸送機とその護衛機だろう。


 これは、予定にあるから、基地にいる自衛官たちもさほど驚く事は無い。だが、このまま南鳥島航空基地に着陸させるのは芸がなさすぎる。


 そこで、当初の予定通り、海上自衛隊が運用する固定翼航空機であり、日本とアメリカ以外の国と共同開発したV/STOL(垂直短距離離着陸機)で、出迎える事にした。


 ベースとなった機体はF-2戦闘機である。


 防衛省ではF-2のCタイプとして開発したV/STOLである。


 そのため、F-2戦闘機のAタイプより、各種ミサイル、爆弾、ロケット弾等の兵装搭載量は減っただけでは無く、最高速度もマッハ2.0からマッハ1.24に落ちたが、F-2Cが開発され、そのまま調達が開始された。


 しかし、調達価格はF-2A又はBの130億円であったが、Cタイプは異なる部品を使用するし、共同開発であったため、かなり格安の部品や素材が手に入り、調達費は1機あたり90億円とF-15Jよりも安価だった。しかし、そもそもF-2はV/STOLタイプにするような設計されていないため、ほとんどまったく別物の機体であるし、整備面等ではかなり複雑化しているため、維持費がF-15J改やF-2改よりも高額であった。そのため、結局18機の調達で終了した。


 ハンガーでコックピット待機していた湊稚人(みなとわかと)2等海尉が管制塔からスクランブルの指示を受け、各種計器類を操作し、全システムをオンにする。


 エンジンを始動し、液晶モニターが映り、すべてのシステムが起動する。


「・・・・・・」


 湊は瞬時にその機体状況をチェックする。


 湊はF-2Cをハンガーから出し、そのまま、滑走路に待機させた。


「南鳥島タワー。こちら、ピューマ1より、離陸準備が完了」


 湊は感情の無い口調で離陸準備完了の報告をする。


「了解、ピューマ1。離陸を許可する」


 管制塔から指示が出ると、湊はエンジン出力を上げて、南鳥島航空基地の滑走路を滑走し、F-2Cが空高く飛び上がる。


 南鳥島航空基地の滑走路は1400メートル未満であり、自衛隊が使用する滑走路の中で短い方に入る。


 海上自衛隊が運用するF-2Cは現在海上自衛隊が運用している[かいよう]型多目的護衛艦1番艦[かいよう]の艦載機として運用する事を目的とした艦上戦闘機であるから、短い滑走路でも離着陸が可能だ。


 もちろん、垂直離着陸(垂直離陸は特別の状況のみ認められている)も可能だから、たとえ、着陸ができない状況でも問題なく、着陸できる。


 湊機が離陸すると2番機が後に続く。


 2機のF-2Cはそのまま、南鳥島に接近する航空機群を確認する。


「ピューマ1より、目標を確認。一式陸上攻撃機と一〇〇式輸送機がそれぞれ1機と護衛戦闘機の一式戦闘機[隼]と零式艦上戦闘機がそれぞれ2機ずつを確認」


 湊が確認した大日本帝国陸海軍が運用する航空機はどれも最新型で中には配備が開始されてまもない航空機がほとんどだ。


 恐らく、大日本帝国側も自分たちの技術を最大限に見せるために、配備されたばかりの航空機または初飛行したばかりの航空機を使用したのだろう。





 十二試陸上攻撃機(後に一式陸上攻撃機と命名される機)に搭乗する大日本帝国海軍聯合艦隊司令長官である山本五十六(やまもといそろく)中将は同機に搭乗する幕僚と未来の日本海軍将校である海上自衛隊2等海尉の石垣(いしがき)達也(たつや)と共に南鳥島飛行場から飛び上がった未来のジェット戦闘機であり、未来の日本が開発した新型の零戦を目にした。


「これが、未来の日本空軍の零戦か?」


 聯合艦隊参謀長である宇垣纒(うがきまとめ)少将が驚きの声を漏らした。


「いえ、参謀長。あれは海上自衛隊・・・では無く、海軍が運用する戦闘機です」


 石垣が江田島の海上自衛隊幹部候補生学校で幹部自衛官として勉学に励んでいた頃に幹校に入校して初めての長期休暇で地元に帰省し、地元の合コンで知り合った女子大生と一緒に地元の港に入港した多目的護衛艦[かいよう]の一般公開で乗艦した時に主翼を広げたF-2Cを見た事がある。


 もっとも、当時付き合っていた女子大生はその年に卒業し、石垣が3等海尉に入官して、本格的な交際をしようと、告白したが結局、フラれた。


 そのため、F-2Cを見ると、その時のつらい過去が過るから少しへこむが、誰も気にしていない。


「80年後にはあれほど早い回転翼機と固定翼機が登場するのに、兵士が持つ個人携行の銃器は素材や形が変わっただけで、あまり進歩していない。変わる物は変わるが、変わらない物はあまり変わらない。人間もまったく同じだな・・・」


 山本が十二試陸上攻撃機の座席から80年後の零戦を視界に入れながら、つぶやいた。


「石垣君。君たちの歴史では俺は後2年6ヶ月後に、この機に搭乗していて米軍戦闘機の来襲を受け、戦死するのだろう?」


 山本はまったく気にしていないような表情で石垣に振り返って聞いた。


 その言葉に石垣を含め同乗している幕僚たちは固まった。


「え、ええ。そうです」


 石垣が口調に詰まりながら、つぶやいた。


「そんなに固まらなくていい。人間である以上はいずれ死ぬものだ。特に軍人あればなおさらだ」


 山本は涼しい顔で告げた。


 1943年(昭和18年)4月18日。ブーゲンブル島等の前線航空基地に所属する将兵の労をねぎらうために前線視察を行ったが、その暗号電文をアメリカ海軍情報局が解読し、賛否両論の中で暗殺を指示した。


 この中の賛否は戦後の日本国民も知っているが、あまり知られていない反対意見や賛成意見も存在する。


 反対意見の中には大日本帝国との戦争の長期化を恐れた少数の、日米戦争反対派のアメリカ海軍の将校たちの主張は「これまでの山本大将の行動から、彼をこのまま生かしておけば来年には戦争は終わるのではないか。日本人は極めて敗北を受け入れない民族だ。ここで彼を暗殺すれば我がアメリカ軍は多大な犠牲を出す可能性がある」と主張した。


 もちろん、こう言った内容を主張したアメリカ海軍将校たちは日本人の心理や価値観等を理解した者がほとんどだ。


 事実、山本の戦死後、大日本帝国陸海軍は以前よりも暴走した。


 もともと暴走していたが、それが強くなった。


 これは戦後のアメリカ軍の士官と大学の太平洋戦争史の研究を専門にしている学生たち等の調査で推測の域ではあるが、山本がブーゲンブル島上空で暗殺されず、存命であればこれまでアメリカは恐れるに足らんと主張していた陸軍の将校たちもアメリカの物量戦や補給力を見て、アメリカの打倒は不可能と考える陸軍将校たちが増え、その中心となり、彼がアメリカとの戦争を終わらせる事ができただろう、と結論された発表がある。





 F-2Cの誘導を受け、大日本帝国陸海軍と政府からの特使を乗せた十二試陸上攻撃機と一〇〇式輸送機は護衛戦闘機4機の護衛の下で南鳥島航空基地の滑走路に着陸した。


 特使を乗せた十二試陸上攻撃機と一〇〇式輸送機から政府からは近衛内閣で外務大臣である松岡(まつおか)洋右(ようすけ)、陸軍大臣の東条(とうじょう)英機(ひでき)中将、海軍大臣の及川古志郎(おいかわこしろう)大将、そしてその随行員、軍人は山本を含む陸海軍の中将クラスが同行している。だが、陸海軍軍人側の特使のほとんどはこれからの戦場は航空機と主張する海軍士官と突撃戦法は古いと主張する陸軍士官たちである。


 大日本帝国からの特使たちが要人輸送機から降りると、南鳥島航空基地のエプロンで彼らを歓迎するために配置された特別儀仗隊が特使たちを出迎えた。


 特別儀仗隊は元の時代では陸上自衛隊東部方面警務隊第302保安中隊では無く、陸上自衛隊警務科に属する警務官(MP)から、選抜された警務官(MP)たちで編成されている。


 装備する儀仗用の小銃は警察予備隊の時代からアメリカ軍に供与されたM1[ガーラント]である。


 特別儀仗隊は警務官(MP)だけでは無く、音楽隊の隊員たちもいる。総員は100人の編成である。


 その中には最近の陸海空自衛隊でも歌手の教育にも力を入れており、音楽隊に所属する歌手も10人いる。


 ニュースや自衛隊の広報では女性自衛官だが、大日本帝国の特使たちを出迎えている歌手たちは全員男性である。


 国歌が斉唱され、音楽隊の演奏隊が楽器の演奏を行い。歌手が国歌を歌う。その間、警務官(MP)たちが捧げ銃の姿勢をとる。


 特使たちを加藤と本財が出迎える。


「統合大臣の加藤茂です」


「統合省防衛局統合幕僚本部長の本財保夫陸帥です」


 加藤は一礼し、本財は挙手の敬礼をした。


 外務大臣である松岡は答礼し、陸海軍将校たちは姿勢を正した。


 これは本財の階級は陸帥であり、諸外国では元帥に相当する階級であるからだ。


 大日本帝国陸海軍でも元帥は存在するが階級としての元帥制度は短期間で終了した。


 大日本帝国陸海軍の元帥は称号であり、階級では無い。そのため陸海軍の呼称はこうだ。


 陸軍元帥○○大将、海軍元帥○○大将となる。


 元帥号を与えられた陸海軍大将は天皇の最高軍事顧問として終身現役である。


 その点は陸帥、海帥、空帥とは異なる。


 陸海空帥に昇進した自衛官はそのまま定年退職し、退職金と年金は幕僚長たる将とは変わらないが、帥に昇進した祝い金が贈られるのと、自衛隊の式典を含む国の式典に帥の階級章をつけて制服で出席する事ができるぐらいだ。


 さらに自衛隊の教育機関に自由に出入りができ、期待の星である自衛官たちに激励する事ができる。


 ただし、有事を含む自衛隊の出動の際は政府への特別顧問として呼ばれるだけでは無く、国民の不安を解消するため、テレビ等の出演も優先的にできる権利がある。


 そのため、帥には有事手当等の各種手当が支給される。





 南鳥島航空基地に大日本帝国からの特使たちを迎え入れると、すぐに日本国から首相相当の加藤と大日本帝国の元首との会談についての打ち合わせが行われた。


 もともと、これは事前に日本国側も予想していた事だから、主に会談場所をどこにするか、それが打ち合わせ内容だ。


 大日本帝国側もこの件は軍民にも秘匿し、一部の者だけが知っているだけの方が今のところはいいのだ。


 そのため、宮城での会談はまずいと判断された。


 そこで結論されたのは日本国の第1陣でタイムスリップした海上自衛隊の自衛艦が会談場所にされた。


 その自衛艦は海上自衛隊練習艦隊旗艦の[かしい]型練習艦1番艦[かしい]である。


 練習艦隊は2分され、元の時代に残す艦隊とこの時代に派遣する艦隊に別けられ、大日本帝国に派遣されている練習艦隊の名称は特設練習隊であり、[かしい]以下、練習艦1隻で編成されている。


 加藤もその提案を快く承諾し、すぐにその準備にとりかかった。


 翌日、南鳥島航空基地を離陸したのは海上自衛隊航空集団で運用するUS-2である。


 同機に搭乗するのは加藤以下数人の随行員だけである。


 US-2は南鳥島と東京府の丁度中間海域で着水し、すでにその海域で待機していた練習艦[かしい]から降ろされた要人艇([かしま]に搭載されている13メートル将官艇を外国の要人や日本国の要人を乗せるための人員輸送艇である)が加藤たちを迎えにきた。


 加藤は自衛艦旗を掲げた[かしい]の艦影を確認した。


 全長160メートル、全幅21メートル、基準排水量5050トンの本艦は一見すると、[あたご]型イージス護衛艦を思わせる艦影だ。


[かしい]は前型の[かしま]型練習艦と異なり、海上自衛隊の初任幹部自衛官と術科学校の学生等の海洋訓練だけでは無く、さまざまな演習を行う事もできるし、その各種演習結果の評価、研究も行える。


 さらに近年では、諸外国海軍軍人を招き、[かしい]の中で各種戦闘訓練を公開し、海上自衛隊の防衛能力を見せつけ、諸外国を抑止する目的や日本国民(主に高校生や大学生等を対象)に体験生として2泊3日間、実際に現役の自衛官たちと過ごし、将来の有望な人材を確保する広報目的として使われる。


 すでに建造から30年以上も経つ練習艦[かしま]もいずれは退役し、本艦と2番艦がそれぞれの任務を遂行する事になった。


 加藤とその随行員が[かしい]に乗艦すると隊司令と艦長の出迎えを受けて、応接室に案内された。


「統合大臣、大日本帝国政府より、皇族の代表の方と政府の要人を搭乗させた特別輸送ヘリコプター隊のEC225-LPが厚木飛行場を出発したとの連絡が入りました」


 ソファーに腰を落ち着ける間もない報告に加藤は立ち上がった。


「近衛首相を通じて、陛下からは我々を信じるとのお言葉を頂いている。しかし、皇族の方とは・・・一体何方がお出でになられるのだろう?」


「可能性が高いのは、弟宮様ではないでしょうか・・・」


 隊司令も自信なさそうな口調で述べた。


 どちらにしても、のんびりと推測している暇はなさそうだ。


 加藤は立ち上がり、出迎えのために後部飛行甲板に向かった。





「捧げ銃!!」


 号令が響く中、一糸乱れぬ動作で海自の幹部候補生たちで編成された儀仗隊が捧げ銃の敬礼をする中、近衛首相を筆頭とする要人たちが、着艦したEC-225LPから降りてきた。


 そして・・・


 4名の皇宮警察官と第1陣でタイムスリップした皇宮護衛官2名を従えて、降りてきた人物を見て、加藤以下そこにいた全員が驚きの余り、目を丸くする事になる。


 その人物は、平成生まれの人間は映像と写真でしか、お姿を見た事のない人物であったからだ。


 日本共和区偏 第2章をお読みいただき、ありがとうございます。

 誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。

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