日本共和区偏 序章 見届ける者の狙い
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
1941年(昭和16年)8月15日。
この日、大日本帝国の片隅に、1つの民主共和制の自治区が誕生した。
その名は[日本共和区]。
昨年タイムスリップをしてきた、80年後の日本人たちが立ち上げた、小さな国家である。
翌16日。
帝都東京府に隣接する千葉県の北部地域の土地を買い取る形で、民主共和主義が中心となる国家というには、余りにも小さい国である。
広大な更地の中に、ポツンと立つ建物群。
その中心に建つ統合省庁舎には、日本国国旗が掲揚されていた。
耳を澄ませば、吹奏楽で奏でられる君が代が聞こえる。
「この音色・・・今日は警察音楽隊の担当か・・・」
そうつぶやいた。
毎日、国旗掲揚と降納の時に吹奏される国歌は自衛隊、海保、警察、消防、民間の各音楽隊が、日替わりで順番に吹奏している。
まったく同じメロディー、楽器であるはずなのに各音楽隊によって微妙に違って聞こえるのが耳に楽しい。
彼は暫し風に乗って流れてくるメロディーに目を閉じて聞き入っていた。
歌詞が自然に脳裏に浮かんでくる。
「・・・歌詞は良いのにな・・・恒久の平和への願いを歌っているのだから・・・それを嫌う奴の気が知れん」
もちろん、それを嫌う人々の言い分もわからないではないが、どんな歴史的背景があったとしても、良いものは良いのである。
他国の国歌は大体が革命歌や軍歌が元になっているものが多いという事を考えれば、平安時代に撰進された歌集の一首が原型になったとされているのだから、こっちの方がずっと良いと思えるのだが・・・
「編集長」
日本共和区の片隅の空き家となっていた民家を借りて、立ち上げた[日本共和日報]社。
現在、日本共和区唯一の新聞社である。
まだ、十分にインフラが整備されていないので、自家発電で電力を確保しているが、それでも不十分である。
それでもこの新聞社に集った記者たちのやる気は天井知らずな程、高い。
「何だ?何かスクープでもあったか?」
若い記者に声をかけられて、社長兼編集長の窪川忍は読みかけの新聞から顔を上げた。
「いえ、大日本帝国内の各新聞の[日本共和区]発足の扱いが余りにも小さすぎると思いませんか?どの新聞も社会面の片隅に埋もれるようにしか掲載されていません。政治面での扱いはまったくありません。軍の編成がどうだとか、警察組織の改変がどうだとか、アメリカとの外交交渉が何とかとか、ドイツ第3帝国の快進撃がなんたらかんたら・・・」
「それで、良いのだよ。今はな・・・」
窪川の答に納得できないのか、若い記者は鼻を鳴らした。
「・・・いいか、表向き[日本共和区]は大日本帝国の新都市計画の1つって事になっている。国家の中に国家があるなんて世間に知れてみろ、大騒ぎになるだろう。それに、俺たち未来の日本人の存在は可能な限り秘匿しなきゃならない。バレても都市伝説レベルで収まるようにな」
「それはそうですが・・・」
この時代にタイムスリップした民間団体の1つに元の時代でマスメディアに籍を置いていた者たちがいる。
来た理由は窪川を含めて、視聴率や部数を伸ばすためなら嘘や偏重の報道も平気でやらかすマスコミならぬマスゴミと揶揄されるまで落ちぶれた、日本のマスコミ界を見限った者たちだった。
言論の自由、報道の自由は尊重されて然るべきである。しかし、それを尊重されるには責任を課されるのも然るべきである。
しかし、身内の恥を晒せば自由を守るための責任は蔑ろにされている。
責任の伴わない自由は、自由を汚し貶める暴力であり毒だ。
窪川の場合、元は大手の新聞社に勤めていたのだが、インド洋で起こった、護衛艦[ながなみ]の海賊船への体当たり事件の際、周囲が自衛隊の不手際を責めるなか、ただ1人その時の艦長の判断を擁護した記事を書いた。
報道や週刊誌等は、自称反戦主義者の意見のみを取り上げ、自衛隊を散々に叩いた。
勿論、擁護する意見もあったが、意図的に無視されていた。
そのため、窪川の記事は日の目を見ることなく、上からの指示で記事は握り潰され、彼は閑職に追いやられた。
その事件自体は、調査に入ったアメリカ等、第3国によってその艦長の正当性を証明される事にはなったが・・・
窪川は暫くして、ある人物から自衛隊を中心とした派遣の話を聞き、従軍記者として参加しないかと打診され、熟考の後、ある条件をつけて承諾した。
これからの新たなる歴史を造るために、自衛隊や統合省の行動に関して、一切の干渉を受けず自由に取材し報道する権利である。
ただし、これは窪川自身の信念でもあるのだが、完全に中立である事を約束した。
もう1つの歴史に一歩を踏み出した、日本共和区。
その存在が何をもたらすか、1人のマスメディアの人間として見極めたい。
80年後の腐ったメディアとしてではなく、公正で中立的な見届け人としてこれからの事を記録したい。
それが、窪川の願いであった。
日本共和区偏 序章をお読みいただき、ありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。