中
控えめに言うと最悪な気分だった。
腹を裂いて肋骨を折って中身を取り出された時には、ささやかだった胸は更にしぼんだし、首から上の処理は――――正直思い出したくない。ただでさえ最低なインフルエンザの検査を最強にした感じだった。頭蓋骨をくりぬいてスプーンですくってもらった方が随分マシだろう。
ついでに目玉もガラス玉に変えられた。目がないはずなのにいつも通りの視点で物を視認できているので不思議なことこの上ない。死体の器官を動かして存在しているというよりは、ぬいぐるみに取り憑くいて動かしているような感覚に近いのだろう。声も声帯を振るわせて発生しているわけではないようだが、体を失くして宙を漂っていたころはヴィクターにしか感知できなかったのに、どうして今は誰とでも会話できるのだろうか。不思議だ。
首を傾げている私の心情を何某かが慮ずることもなく、変な匂いのする風呂でざぶざぶと洗われ、胸部には綿が詰められた。あいにく下腹部の方は肉ごと皮がないため、私の中身が丸見えである。中身ないけど。
「これって、お腹のところ縫わなくて大丈夫なの? 何か布とかで代用するとか」
私のリフォーム作業をした男たちに服を着せられながら尋ねたが、どうも防腐剤を内部までに行き渡らせるには穴が開いていた方が都合がいいらしい。あと、よく乾燥させるためにも必要だとか。
洗った後はよく風に当てて乾燥させてくださいね、だなんて、随分と干物に近くなった気分だ。かつて日常的に食べていたアジもこんな気持ちだったのだろうか。こんがり焼かれておいしく頂かれない分、私はまだマシである。
派手ではない程度に着飾り、案内された部屋へと向かうと、クラーク司教とヴィクター神父がいた。ふたりとも血にまみれた法衣を脱ぎ捨て、いつも通りの白い法衣へと袖を通している。
「お疲れ様です」
「ええ、疲れたわ。死ぬかと思ったわ」
既に死んでるじゃん、という突っ込みはなかった。
「それでは、わたしは一度神殿へと戻ります。聖女様には、ダニエル神父から今後のことをご説明させますので、お迎えに参るまでごゆっくりおくつろぎください」
そういって去るクラーク司教を見送り、部屋には私とヴィクター神父が残される。彼は私を作りの良い椅子へと導くと、対面に座って口を開いた。
「それで、他に何か質問は?」
「…………あなた、さっきまでと随分態度が違うわね?」
彼は、不愛想な顔はそのままだが、私への敬意の欠片も感じない口調で答える。
「神の御業とは、迷える御霊を使役する奇跡だ。つまり立場的には、俺がお前の主人となる」
「司祭は聖女より格下ではないのかしら?」
「生殺与奪権はこちらにある」
より一層死神じみてきた女神の御業に、死後硬直している顔がぎこちない動きでひくつく。どうやらこの男は、上司がいる前では猫を被っていたらしい。
苛立ちが脳裏をよぎる。が、脳がないせいか、すぐにその感情は離散する。その違和感を気持ち悪く思いながらも、ひじ置きについた左手で顎を支えながら彼に尋ねた。
「まあどうでもいいわ。それより、あなたたちは私に何を求めるの? わざわざ死人を蘇らせたんだから、目的があるんでしょう?」
「……死人は生き返らない」
「知ってる。言葉の綾ってやつよ」
私の態度からか、ヴィクター神父がいぶかし気な顔をする。
「私を生ける屍にするには、何かしらの理由があるんじゃないの?」
「次の聖女召喚まで、早く見積もってもひと月はかかる。それまでの穴埋めだ」
「偽物の聖女でも問題はないの?」
「聖女自体に何の力もない。お前も、何かを求められたことなどないだろう。ただそこに、聖女が存在するという事実が重要なのだ」
「…………ようするにおかざりってこと?」
彼が静かに頷く。私は鏡餅の上のみかんよろしく、勝手に拉致され死んだのか。無意味すぎる人生だ。
「えーまあそれはそれでいいけど」
「……いいのか? お前は、随分と教会に……いや、この世界に反発していたと聞いていたが」
「うーん、確かに帰りたいとは思うけど、別に怒りとか沸かないんだよね? あと、怖い、とかもあんまり」
「恐怖は、確かに死体には不要な感情だろう」
「怒りは?」
「さあな。女神の采配ではないか? 怒りや恨みつらみを持ち彷徨う死体など、生者の害にしかならん」
「うわー目の前に死体いるのにひっどい言いようですわ。こちとら勝手に攫われて勝手に監禁されて勝手に洗脳されそうになった上での被害者なのに」
「勝手に神殿を抜け出し、勝手に死んだのはそちらだ」
なるほどこいつが悪魔か。女神より先に酷いのに捕まってしまったようである。
「んじゃあ私のご主人様、何か他に存在する上で注意点とかある?」
「そうだな……俺の傍から離れるな」
「あー死体愛好者でしたか。使役者権限でいやらしいことしないでね」
「勘違いするな。距離があると、体に魂をとどめておくことができなくなる」
「なるほど。ご主人様が変態じゃなくて安心した」
「あと、その妙な呼び方をやめろ」
「ヴィクター様? ヴィクター神父? それとも、フランケンシュタイン博士と呼べばいいのかしら」
「誰だそいつは」
「死体をつなぎ合わせて、怪物を作った人」
「……俺にはそんな趣味はない。ヴィクターでいい。あくまで、表面上は俺はお前より格下だからな」
「了解、ヴィクター。私のことは聖女様でいいよ。流石に怪物、だなんて呼ばないでしょう?」
「死体など、お前で十分だ」
ヴィクターが、うんざりとした顔で吐き捨てた。
□
それからというもの、私の傍にはヴィクターが常に控えるようになった。個人的にはこの菫色の髪をした顔のいい男を侍らすのも悪い気はしないが、数週間もすると見飽きてしまうものである。
「ねぇ、ヴィクター」
「何だ」
「誰か他に使用人が欲しい」
「……俺は、お前の使用人になったつもりはないが?」
ぴくりと、ヴィクターが形のいい眉を動かす。自由奔放な私と過ごすうちに、彼も随分と感情豊かになった。主に怒り方面にだが。
「毎日毎日毎日毎日ヴィクターの顔ばっかり見てるから飽きた」
「却下だ。他に神官がいると、俺がへつらわなくてはいけなくなる」
「聖女様だぞ? へつらえよ」
腹部をさらけ出して風を通しながらえっへんと胸を張る。私の貧相な体など見飽きたヴィクターは、興味など欠片もなさそうに本のページをめくっている。
「ねぇ」
「…………」
「ねぇってば」
「…………」
「おい、無視するなよ、聖女様のお言葉だぞ」
「…………何だ」
「次の聖女っていつくるの?」
「準備中だ」
「それは知ってる。進捗どうですか、って聞いてるのよ」
「司教から連絡はないから、ダメなんだろうな」
「ふーん、それまで私の体、もつかな?」
そういいながら、ひじ上まで手袋に包まれた自分の指を撫でる。
「まあ、遅くても来月には召喚がなされるだろう。本来ならばお前も、先代聖女として次代の教育に参加せねばならんのだがな」
「え? そうなの?」
「何だ、興味があるのか」
「いやー私の時って不貞腐れて先代さんと全然お話ししてなかったし、同じ境遇の子と話すのは楽しそう!」
「そうか……ならばおのおのと体を腐らせている場合ではないな。人前に出れる程度に人の形を保っているのならば、面会の許可も下りるだろう」
「本当? 絶対だからね!」
そういって窓を大きく開け放つ。ヴィクターは寒い風が吹き込んできて嫌そうな顔をしたが、私には乾燥滅菌の女神の息吹だ。
□
腐敗との戦いは、私が勝利した。というか、ヴィクターの予想よりも早く次の聖女がやってきた。
紗季、という次代の聖女は、私と同じ黒髪の大人しそうな女子高生だ。イケメンたちに囲まれ戸惑う彼女は、同じ日本人である私から見ても小柄で、華奢で、守ってあげたくなってしまう。
「は、はじめまして!」
面会を希望して3日後、私はようやく彼女に会うことができていた。もちろん、ヴィクターも一緒である。紗季ちゃんは神官たちから私のことを聞いていたのか、少しだけ上気した頬のままぎゅっと手袋越しに私の手を握った。
あんまり強く握ると指がパキッと取れちゃいそうなので、自分から握り返す形に彼女の手を握る。
「あの、紗季と言います! 同じ世界から来た人がいるって聞いて、わたし、うれしくって……」
じわりと紗季ちゃんの目元から涙がにじむ。確かにまあ、知り合いもまったくいない世界で知らない人間たちに囲まれて聖女ともてはやされるなんて、一般的な常識を持つ人間ならば気味が悪くて仕方ないだろう。
「はじめまして。紗季ちゃん、と呼んでも?」
「はい! もちろんです!」
「突然こんなことになってしまってとても不安でしょう。その気持ち、私にもよくわかるわ」
「えっと……あの、皆さん、とても良くしてくれてるんです、けど……」
おろおろとした様子で紗季ちゃんの視線が右往左往とする。私は彼女をぎゅっと抱きしめて、耳元で囁いた。
「大丈夫、あなたには私がついているわ。だから、安心して。怖いことなどなぁんにもないのよ」
ああ、楽しくなりそうだ。