婚約破棄を告げられるようです。
シリーズ最初である相談されましたを読んでからお読みください。
私の名はフィリシア・ノルン・ガーヤ。ヴァラーン帝国の公爵家の一人娘。
そして第三王子の婚約者――… だった。
「本日は貴重なお時間をありがとうございます。何かお話があるとのことですが…?」
「ああ……」
今日は快晴。見晴らしのいいテラスからは色とりどりの花々が自分たちを迎えてくれている。
既に飲み物や軽食はテーブルに置かれている。私と彼は婚約者。使用人達も気を使っていつも二人っきりとなる。
まぁ…それも今日限りか。
私が彼、ガーランドと出会ったのは5年程も前になる。教養をサボってバレないように男装までして王城にいた時に偶然出会ったのだ。それからトントン拍子に仲良くなって、私が彼を好きになって、正体を告げぬまま婚約者となった。勿論彼は私が偶然出会って、尚且つ親友にまでランクアップした相手とは気づいていない。
気づかないまま、告白された。それでもって婚約破棄を相談された。男装でいた自分に恋心を持ってもらえたわけだが、女の自分には全く魅力を感じていなかったらしい。…いや、5年も前に比べたら出るとこだって出たし引っ込むとこは頑張って引っ込ませたんだって。まぁ同年代の子と比べたらいくらか小さい部分が…あるけれど…。
そんなこんなで彼が今日ここに来た用事は知っているのだ。婚約を破棄したいと真面目に言いに来たんだろう。親同士に任せればいいものを、律儀というかなんというか。
「ますは席につきませんか?今日はとてもいい茶葉が手に入りまして…」
「ガーヤ嬢」
…ああ、一息も入れないのか。
彼は覚悟をもう決めているらしい。なら、自分も受け止めなければ。彼が出した答えなら、ちゃんと返してやりたいのだ。
自分の正面に立つ相手に真っ直ぐ向き合う。少しだけ、口元が震えた。
「なんでしょう?」
「今日は、貴女に伝えたいことがあって来たんだ」
うん、知ってるよ。
大丈夫、ちゃんと言葉は考えてある。「そうでしたか、お伝えくださりありがとうございます。大変残念ですが、ガーランド様がそうおっしゃるなら仕方ありませんね。お受け致します。どうか、お幸せに」そう言って、微笑んでみせればいい。
泣くのは後だ。彼が後悔せず去れるように笑え。笑え笑え笑え。
それが親友として偽り続けた、私が貴方に唯一してあげられることだから。
「貴女との婚約を、解消したい」
――そうでしたか、お伝えくださりありがとうございます。
そう、声に出したつもりだった。
でも実際口から漏れたのは細く震える空気だけ。はくはくと、震える唇からは何も音が出ない。
なんで?どうして?ちゃんと決めてきた言葉を言うだけじゃないか。もう、覚悟していたじゃないか。なんでなんでなんでっ。
「ガーヤ…嬢…?」
驚いたような声がする。もう、彼の姿は見えなかった。ボロボロとあふれ出す涙が視界を覆ってしまって何もかもが歪む。彼の姿も、あれだけ見事な風景を醸し出してくれたテラスの姿も。
「っ…わ、…わたし、はっ…」
激しい感情が襲う。流れる涙をそのままに、言葉を紡げばしゃっくりも出た。まともに喋れるはずもなく、飛び飛びのセリフは自分でも何を言いたいのか分からない。それでも、自分の口からは決めていない言葉が涙と同じように落ちていく。
「あ、なたのっ…み…みか、たでっ…いたいん、で…す」
ムッツリと引き結んだ口元を吊り上げてあげたかった。
クセっ毛なのか、少しだけカールした黒髪を弄って楽しんだ。
知識が豊富で、お互い披露するのが楽しかった。
実は甘いものが得意だと知った。
鋭い紫色の目を本人も気にしていると聞いた。
会えば会うほど知っていく貴方。その度に惹かれていった。でもその知った貴方は偽りの私の前でしか見なかった。それでもいいと思った。思ってしまった。だからこそ、今を迎えている。
あなたが好き。
真面目で、自分にも周りにも厳しくて、孤独な貴方が。
あなたが好き。
私の前でだけ笑顔を見せた貴方が。
あなたが好き。
くつろいで眠る姿さえ見せた貴方が。
好きになっていたのだ。出会ったあの瞬間から、私はこの恋に全てをかけようと思ったのだ。
愛してるの。不器用で味方を見つけられない貴方が。
愛してるの。その隣で支えたいと思ったの。
愛してるの。ずっと、傍にいたいと願ったから。
愛してるの、愛してるの愛してるの…っ!!!
覚悟なんか出来ちゃいない。身を引き裂かれるように痛い。
ただ冷静なフリをして現実を見ていなかった。何が味方でいたいだ。ただの、これじゃあ子供の癇癪じゃないか。迷惑をかけるだけじゃないか。彼を、ガーランドを、独占したかっただけじゃあないか。
「…貴女は、」
涙で見えない視界の先で戸惑うような声が響く。
そっと頬に触れた熱は彼の手の温度だろうか。
止まらない涙はその熱さえも奪うように、ボロボロと流れ落ちていく。
「俺のことが、好きだったのか」
婚約なんて、貴族の中では契約でしかない。恋愛で繫がるケースなど、片手で数えるほどしか私も知らない。家の繫がりを強める為、更なる利益を求める為、そんな世界で生きてきた。私も彼も。ガーランドは真面目だから、それさえも感情という名で破棄しようとしたが。
だからそう思われても仕方ないのだ。王子との婚約に利益を求めた公爵のただの娘と思われていたのだとしても、仕方ないことなんだ。
でも、激情にかられている私にはその判断が出来なかった。
「好きだった…!ずっとずっと、好きだったの…!初めて会った時からずっと、貴方の為に、何かしたかった…支えたかった、味方でありたかった!でもっ」
それも終わる。
ああもう、涙が止まらない。言葉だって止まらない。震える口は肝心な時に動かずこんな時だけペラペラ動く。それが悔しい。なんで喋っちゃったの。そんなの言われても困るだけだろうに。
乱暴に目元を両腕でこする。でも止まらない。止まらないよ涙も気持ちも。婚約を破棄されたって、もう貴方に会えなくなったって、この気持ちは止められない。
愛しているの。
「目が痛む。そんな乱暴に拭うな」
「優しくしないでっ…もう私達には何の繫がりも」
「フィリシア」
初めて。
名前を呼ばれた。驚いて言葉も涙も止まる。
あれほど止まらないと思っていたものが止まったことに驚いていいのか、このタイミングで名前を呼んだ相手に驚けばいいのか。
でもそれ以上に驚いたのは、自分がガーランドの腕の中にいることだった。
「フィリシア」
もう一度名が呼ばれる。どうやら気のせいでも幻聴でもないらしい。
何故、自分は抱きしめられてるのか。まるで逃さないというように背中に回された腕はとても力強くて抜け出せない。抜け出そうとも、思わないが。
「フィリシア」
「は、い…」
「フィリシア」
「はい、ガーランド様…?」
確かめるように何度も何度も名前を呼ばれて完全に涙が止まった。
どうしたんだ?なんでこんな状況に?頭の中が真っ白で何も考えられない。
そんな中、耳元に届けられた言葉は歓喜に満ちていた。
「……ようやく、お前の名を知れた…」
その言葉で、
…全て知られてしまったのだと悟った。
「…何年も前から、名乗っております」
「ああ、そうだな」
「…何年も前から、お慕いしております」
「ああ、俺は大馬鹿者だった」
違う、違うよガーランド。貴方は何も悪くない。
私達は出会い方を間違えた。でもあの出会い方でなければ出会えなかった。だから終わりにしようと思ってたのに、何でこんな状況になった?
「…私は、あなたに偽りの姿を見せていました」
「…そうだな」
「嘘をついて、騙して、何も知らぬ顔であなたの婚約者にまでなった。ごめんなさい。騙してごめんなさい。言わなくてごめんなさい。私は」
「では、俺に向ける感情も、偽りだったのか?」
違う。
それだけはどうしても偽りたくない。首を横に激しく振れば、近くで笑う声がした。
「なら、問題ない」
「ガーランド様…」
「呼び捨てていい。ありがとう、俺を好きでいてくれて」
抱きしめる力が強まる。縋りつきそうになる手に、とどめがかかった。
「フィリシア、お前を愛してる」
ダメじゃないか。婚約破棄をした相手に。
嘘つきの相手に。なんでそう貴方は私を許してしまうの。
感情だけで貴方を拘束しようとした私に好意を返してくれるの。
震える指先はとうとう彼の背中に届く。子供のように再び泣き喚いた私を、彼はずっと抱きしめてくれていた。
**
「なんで、私が「彼」って気づいたんですか?」
ようやく涙が止まっても鼻水は止まらない。最悪だ。なのに相手は凄く優しい顔でこっちを見ている。最悪だ。
なんとかハンカチで鼻元を押さえ込みながらお茶会の席についた私達は話し始める。
「俺は目つきが悪いからな。大抵女子供には泣かれるか怖がられることが多かった」
「…はい」
「だから、極力怖がらせないよう目を合わせないでいた。申し訳ないが、これまでしっかりとお前の顔を見たことがなかったんだ。確かに化粧で分かりにくくしてあるが、しっかりと見ていれば気づけたのかもしれないな。ただ振る舞いが真逆すぎるというのもあったが…どっちが素なんだ?」
「………こちらが素です」
「なるほど向こうか」
柄が悪くて悪かったな。
でもこっちの私だって令嬢としての自分だ。ムスっと少しだけ頬を膨らませれば、彼が笑いながらそれをつつく。やめて、恥ずかしい。
「化粧も、今なら取れてしまっているからな。気づきやすい」
「はっ?!え、私ボロボロメイク…?!」
あれだけ泣いて擦ればそりゃあ取れるというもの。待って待って、パンダ顔とかありえない。慌ててメイク直しに席を立とうとすれば腕を捕まれた。ここで止める?!
「ちょ…」
「お前も言い出せば良かったものを。婚約破棄を了承してくれるなどと、背中を押さずに」
「そんなの…!う、嘘ついてたってバレたら……嫌われたかもしれないじゃん」
嫌われたくない。そりゃあ好きな相手ですもの。
とにかく手を離してもらえないだろうか。こんな顔で美形の正面に座るとか辛い。スッピンでいるほうがまだいい。半端なのが一番困る。
しかし彼は離すどころか引き寄せてきた。急に身体の角度が変わったせいで座っている彼の上に倒れこむ。ガッチリと抱き込まれた。なんの羞恥プレイ?!
「ガーラン…」
「フィリシア、俺は婚約破棄を撤回しようと思っている」
それは少年の姿をしていた私に告げられたのと同じ言葉。
少しだけ返答に迷う。でも、ちゃんと返す。同じ言葉を。
「そりゃまた大事だな」
「甘えかもしれんが、自分と同じ気持ちでいてくれた令嬢を、もう手放すことなど出来そうにない」
私だって、手放すつもりはない。
偽者から始まって、ちゃんと向き合えた今。ずっとずっと望んでいた未来が目の前にある。
「…良かったな、そんな相手と出会えて」
ありがとう。私と出会ってくれて。
ありがとう。同じ気持ちを返してくれて。
ありがとう。許してくれて。
伝えたかった言葉は、口から外へ零れず彼の口に吸い取られていく。
愛してる。
それだけは、自分がどの姿でも偽れない。
これから先も、ずっと。
ありがとうございました。感情爆発させる展開はやっぱり楽しいですね。