大晦日の花火と共に…。
なんでこんな事になっちゃったんだろう――――。
二人を包む重苦しい雰囲気にユキはぎゅっと目を閉じた。隣を歩くヒロキの靴音にさえびくついている自分が情けなかった。灰色の雲を広げた冬の日、クリスマス・イヴ。街は並木道のきらびやかな電飾が道行く恋人たちを祝福しているというのに、なぜ自分達ばかりこんな目に遭わなければいけないのかと、周りの恋人たちが妬ましい。
「俺たち、しばらく距離を置かないか?」
ヒロキのその言葉にユキは凍りついた。
話は一週間ほど前にさかのぼる。
季節は冬、ユキは恋人と過ごす初めてのクリスマスに浮足立っていた。ヒロキとは中学時代から友達として付き合ってきたが、念願かなってやっと恋人同士になれたのだ。こんな展開を用意してくれた神様を感謝せずにはいられなかった。
「顔、緩みまくってるけど?」
満面の笑みで一週間後の聖なる夜に思いをはせるユキにアイリはため息をついた。
「ユキ、あんた分かってる? 私達が高校三年生だって事。」
「だから何よ? 好きな人と聖なる夜を過ごしたらいけないって言うの? ふしだらだっていうの!?」机を勢いよく叩くユキにクラス中の視線が突き刺さった。
「あんた教室でよくそんな事言えるわね。」
アイリはお節介焼きで毒舌なところもあるけれど、実は浮いた話に免疫がない。いたって真剣な表情を見せるユキに一瞬、視線を逸らした。
「……って、私が言いたいのはそういう事じゃなくて!」
「どういう事よ!?」
アイリは再びため息をついて、自分の背後で机にかじりつくようにして問題集の難問と格闘しているヒロキを指さした。
「ああ言う事。私たちは内部受験で八月に大学入試が終わってるけど、外部の大学を受ける彼は、今まさに追い込みの時期じゃない。そんな時にのん気にクリスマスデートなんて出来ると思う?」
「出来……ないよね、確かに……。」ユキはうなだれた。
「そゆこと。」
すると二人の会話に割り込むようにして、さっきまで勉強していたはずのヒロキがやってきた。
「出来ないって、何がだい?」
「べ、別に何も。」
「そうか。……あ、それと今日は俺 図書館で勉強して帰るから、ユキは先に帰っててくれるかな。」
「わ、分かった。」終始、動揺を隠せないといった様子のユキと、そんなユキを愛でるようににこやかな表情を見せるヒロキ、アイリは再びため息をつかざるを得なかった。
「ねぇ、アイリ。どうしよう。私 おかしいよねぇ? クリスマスデートしたいのバレバレだよねぇ!?」
クリスマス・イヴを二日後に控えた昼下がり。
もうどうしようもないという切羽詰まったような表情でユキは言った。
「今頃気づいた?」
お茶をすすりながら、ユキを一刀両断にするアイリは湯気の向こうで珍しく神妙な顔つきでため息をつくユキに感心していた。にぎやかな学食の一角で参考書片手にラーメンをすすっているヒロキが、ユキの分かりやすい変化にさえ気がつかない事は往々にしてあり得そうなものだが、とアイリは少し考えたあと湯呑をテーブルに置いた。
「まー、いいんじゃない? それもユキの良い所だよ。」
「そうなのかな……。」
「何考えてるか手に取るように分かる。天然でアホで、後先考えないで突っ走って――。」
「ちょ、ちょっと! 良い所なんだよね?」
「そうだよ。」
そう言ってアイリは再びお茶をすすった。
「少なくとも、私はそんなユキの事が羨ましいし、自分に欠けてる部分だと思う。表情がころころ変わっちゃうところも、嘘をつけないところも、もちろん彼に一途なところとかも、ね。」
「アイリ……。」
ユキは感動して思わず涙ぐんだ。
そんなユキにアイリは、ポケットから綺麗にアイロンがけされた紺色のハンカチを取り出すとユキに差し出した。
「まー、人間なんてそんなもんなんじゃないの? 自分の思いもしないような事が他人の眼には羨ましく映るものなんだから。」
「大人なんだね。」
ユキはハンカチを受け取って、チーンと勢いよく鼻をかんだ。その様子にアイリも思わず苦笑いを浮かべる。
「あんたよりは、ね。」
昼休みが終わり教室に戻る途中、二人はヒロキに呼びとめられた。気を利かせたアイリが先に教室へと戻ると、しばらくの沈黙が流れた。下手な事を言うとデートに行きたいのを我慢している事に気付かれてしまうと思ったユキは口を真一文字に結んでいたし、ヒロキはヒロキで受験のせいとは言え、長い間、ユキをほったらかしにしていた事に罪悪感を感じていた。ぎくしゃくした二人の雰囲気に廊下を行き交う生徒たちも戸惑いの様子で小走りに通り過ぎて行く。
「明後日、空いてるかな……?」
「え?」
「イヴの日、終業式が終わったら映画でも見に行かないか?」
「良いの?」
「息抜きも必要だからさ。」
いきなりの事に涙があふれた。ヒロキは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに微笑んで、涙を見せないように俯いて必死に涙を拭うユキの頭を撫でた。
デート当日は、駅前で待ち合わせをして、食事をしてから二人で映画を見た。
「この映画ずっと楽しみにしてたんだけど、なかなか見る機会がなくて。良かったね、一緒に見れて!」
公園のベンチでおしゃべりをして
「たまには、こうやってのんびりするのもいいよね。久しぶりのデートだからオシャレしちゃった。」
カフェでお茶をした。
「ここのミルクティー美味しいね。当分は来れないだろうから、ちゃんと味わっておかないと!」
楽しいデートだったし、久々の二人きりの時間が嬉しかった。ヒロキももちろんデートを楽しんでいるものとばかりに思っていたユキは、このデートが終わればまたしばらくはデートも出来なくなる、その事を寂しく思いこそすれ、まさか別れ話が待ち受けているなんて露にも思わなかった。
「デート、楽しくなかった?」
浮かない顔をしていたユキをヒロキが心配そうにのぞきこんだ。ユキは慌てて涙を拭った。
「そんな事ないよ。」努めて明るく振る舞おうとするユキにヒロキの顔が曇った。ユキはそんなヒロキの変化を見逃しはしなかったけれど、理由を聞く前に、こんな展開になってしまったのだ。
夜の冷え切った風が二人の間に吹いた。イルミネーションが涙で滲む。人々の物珍しそうな好奇の目が痛かった。
なんで今、こんな所で、そんな話をするんだろう――。別れ話を切り出すヒロキに、ユキは何も考えられ無くなっていた。
「な、なんで!? 私がわがままを言ったから??」
涙ぐむユキにヒロキはゆっくりと首を振る。
「俺は、ユキが思ってるほど大人じゃないんだ。内部受験でもう大学に合格しているユキを羨ましくも思うし、俺の気も知らないで毎日友達と楽しそうに喋ってるユキを見ると、正直イライラもする。」
「そんな……。わ、私……。」
俯くユキにヒロキは構わず続けた。
「ユキの何気ない一言を勘ぐって……。ユキをどんどん嫌いになっていくようで。ユキは何も悪くないのに。……俺と分かれて下さい。」
どこをどうやって家まで帰って来たかユキはまるで覚えていなかった。気がついた時には自分の部屋のベッドに腰掛けていて、枕元のケータイがなっていた。
その着信に出ると、電話口から聞き慣れたアイリの声が聞こえてきた。きっと心配してかけてきてくれたに違いない。
「ユキ? デートはどうだった?」
その言葉にユキは咳を切ったように声を上げて泣き出した。
『大晦日、クラスのみんながやるパーティーに一緒に参加しよう。』
どちらかと言えば、そういう集まりはことごとく蹴ってきたアイリが突然ユキにそんなメールをよこしてきた。自分を心配してくれている事は分かっていたし、これ以上心配をかけてはいけないと思い、すぐにOKの返事を出した。
パーティー会場は駅前のカラオケで、集まったのは15人のクラスメイト。端っこの席でジュースを黙々と飲み続けるアイリの姿が面白くて、ユキもひととき、失恋の痛みを忘れて大いに盛り上がった。みんなもユキに遠慮してか、恋がどうの愛がどうのというラブソングはあまり歌わないでくれた。それでも、ふとした時にこみ上げてくるのは「ヒロキと年を越すことは出来ないんだ」という思いだった。
時刻は午後11時を少し回っていた。ヒロキはまだ勉強しているだろうか。ユキはみんなにばれないようにこっそりと席を立った。廊下の隅でケータイを開く。こんな時間に、すでに振られた自分が電話などしたら怒られるだろうか。色んな事が脳裏をよぎったけれど、やっぱり声が聞きたくて電話した。
「ユキ?」
やはり、まだ勉強をしていたのか、声ははっきりとしていた。
「ごめん…、勉強の邪魔して。」
壁にもたれて自分の足先を悲しげに見つめながらユキは独り言のように呟いた。きっと責められるに違いない、ユキはそう覚悟してぎゅっと目を閉じた。そんなユキの事を見透かしているようにヒロキはゆっくりと口を開く。
「せっかくのカラオケなのに、俺のせいで楽しめないな。」
冗談か本気なのか分からないような口調でヒロキは確かにそう言った。ユキは驚いてとっさに言葉が出なかった。
「なんで……、そんな事言うの?」
そんな優しい事を言ってもらう資格なんてないのに、自分のことしか考えられないようなわがままな彼女なのに。
「は、初詣……、行かない?」
なのに、自分はやっぱり駄目な彼女なのだ。溢れてくる涙を止める事が出来ないのだから。ユキは努めて明るく振る舞おうとした。せめてヒロキが何の気兼ねもなく断れるように。
「やっぱり無理だよね。受験生に何言ってんだろ。っていうか私、もう振られてるか。アハハ。」乾いた笑いが涙を誘った。泣いてはいけないと分かっているのに拭っても拭っても涙は溢れてくるのだ。次第に嗚咽が漏れ始め、ユキは慌てて電話を切ろうとした。その時。
「行こうか……初詣。」
しばらく考え込むようにして黙り込んでいたヒロキが口を開く。まさかOKしてもらえるとは思ってなかったユキは涙をいっぱいにした瞳を大きくした。
「え……。」
拍子抜けなユキの反応に思わず、ヒロキからも笑い声が漏れる。
「なんだよ、『え』って。」
「ごめん。」
「今から来れる?」
ユキは頷いた。
「じゃぁ、1時間後に鳥居の前で会おう。」
電話が切れるとユキは急いでカラオケボックスを後にした。ここからなら待ち合わせした神社まで30分もかからずにつくだろう。でも、走らずにはいられなかった。息を切らし、神社に辿り着いた時にはすでにヒロキが待っていた。
「雪、降ってきたな。」
その言葉にユキは空を見上げた。必死に走っているばかりで気がつかなかった。確かに空には粉雪が舞っていた。
「受験が終わったら、今度は俺から告白するから。」
空を見上げていたユキにヒロキは言った。ゆっくりと視線をヒロキに向けるユキは驚いたように目を丸くした。
「返事、考えといてくれるかな……?」
その時、鳥居の向こうから若者たちの新年を迎えるカウントダウンの声が聞こえる。
「10…9…8……」
ユキは微笑み頷いた。
きっと来年も、幸せな年になる。ヒロキと一緒なら。
「3…2――――!」
ヒロキの大きな手がユキの髪に触れる。永遠を誓う二人の口付けは新年を彩る盛大な花火と共に……。