7 『彼女の気持ち』
王国の地下牢、そこにエレリア・オルタンシアはいた。内乱が敗北に終わり、彼女はジーク派の面々に拘束された。処刑は、明日だという。
両手が塞がれ、足は分厚い枷が動くことを拒否する。日の光もない、時間の経過も感じられない。あるのは、不規則に垂れる水滴の音。これを数えることで、平静を保つ。
「暗い……誰か……!」
こうやって暗闇に喘ぐのも、私が壊れないためのおまじないのようなものだ。そこに誰かがいると信じて、誰かが語り掛けてくれると妄想して、時間をつぶす。
「だれか……だれ、かぁ」
涙は枯れない。いままで散々流してきたつもりだけど、とめどなく溢れてくる。
一人は寂しい、苦しい。辛くて辛くて、死んでしまいそう。
「怖いよ、れお……!」
誰の名前かは、朦朧とする意識のせいで判然としない。だけど、この名前を呟くとひどく落ち着く。体に温かさが戻ってくる感じがする。ほっとして、もっと生きたいと思う。
「ああ、なんで、誰も来てくれないの……?」
枷が重たくて、全身を這わせてもピクリとも動けない。指まで紐で結ばれているせいで、体のどこも動かせない。全身の感覚が無い。目の焦点は暗闇にだけ縛り付けられる。
音は、水滴の音だけ。粗末なご飯は、時たま誰かが持ってきてくれるだけだ。喉が渇いた。水が欲しい。泥水でもいい。恐怖を紛らわせるなにかが欲しい。
「れお、れお……」
ぶつぶつと呟いていると、名前の正体を思い出した。これは、一人だけのトモダチの名前だ。
「ごめんなさい……ごめん、なさい」
思えば、いつでも彼だけは私の身を案じてくれていた。学園ではいくらつっぱねても話しかけてきたし、危ないときになると手助けしてくれた。周りの人たちは、誰も助けてくれなかった。事件が終わった後「大丈夫でしたか」とか「お怪我はありませんか」とか、見せかけの心配をしていただけだった。でも彼だけは、いつも違った。
涙がまた、勢いを増す。
きっと私は今、ひどい顔をしている。この顔を見ればきっと彼も私を嫌いになってしまうだろう。いや、もう、嫌いか。こんな面倒くさい女を誰が好くというのだ。だから今回はレオも助けに来てくれなかった。愛想がつきたんだ。
「もう、いや。こんな人生、あんまりだよ」
両親は、助けてはくれなかった。
魔法陣を維持するにあたって憔悴しきっていた私に、罵声を浴びせてきただけだった。私はこれまで彼らの言うとおりに動いてきたのに、どこがいけなかったのだろう。なぜ、愛してくれないのだろう。
勇者たちが魔法陣を壊すと、みんなが寝返った。勇者たちの顔色を窺って、私を差し出すように逃げていった。
あのときの彼らの面々の、私を同情する目が、すべてを物語っていた。
『レオは、最後まで君のことを気にかけていた』
ああ、そんな目で見つめないでよ、勇者。
『こんな終わり方が、正しいの?私たちは、エレリアを殺さないとだめなの?』
ああ、そんな優しい言葉を投げかけないでよ、聖女。
勇ましくて、勇敢で、優しくて……。彼らを取り巻く人々は、みんなが『命』に溢れてる。眩しい。なんて眩しい。私のような女には、決して真似できない。
私の未来を、レオは知っていたのだ。
彼は私の周りに誰もいないことに気づいていたから、私を止めようとしてくれていた。自分だけは、私を後ろから見守って。
羨ましい。自分の思いのままに胸を張って生きていく彼らに、私はみっともなく嫉妬する。
「わたし、ひとりきりだ。ずっと……」
友達が欲しかった。背中を預けられるような、仲間が欲しかった。
――疑いようのない、愛が欲しかった。
そもそも、私には王国なんてどうでもよかったんだ。あんな国、滅びても私にはなんの関係もない。困るのは、最後まで金儲けと保身に精いっぱいだった貴族だけ。
私が必死になって守っていたのは、私が一番守りたくなかったものだ。
なぜ、そんなことを今になって理解するんだろう。
「誰か、ころして」
もし……もしも、だ。
レオの言うとおりにして、何もかもから逃げ出して、彼と一緒になっていたら、どんな未来が待っていただろうか。
街に住んだっていい。村だって、もしくは誰もいない山奥でもいい。私を愛してくれるのなら、どこでもいい。彼を愛せるのなら、どこでもいい。
二人きりで過ごせたら、どんなに幸せだろう。
ずっと友達でいてくれた、ずっと心配してくれたあの優しい人となら、どんなに苦しみを忘れられるだろうか。
きっとまだ彼はどこか抜けているところがあるだろうから、そこを私がまた注意してあげないと。そういえば、私は料理をしたことがない。悪いけど、当分彼には実験台になってもらおう。料理が上手くなったのなら、ピクニックに行こう。きっと彼も、喜んでくれる。
ああ、幸せ。
そんな世界、私はあるとも思わなかった。
そんな世界があることを教えてくれたのは、レオだった。
でももう彼はいない。ここにもいなければ、どこにもいない。捨てられた。いや、違う。私が捨てたんだ。彼が示してくれた幸せを。
「もう、むりだよね、れお……?」
いつかレオが言っていた。いつでも助ける、と。
本当に助けを求めてくれるのならば、どんなときでも助けに行こう、と。
そんなの、理想論だ。もう間に合うわけがない。私は処刑されるんだ。殺されるんだ。きっとみんなから罵声を浴びる。小さな子供にさえ、石を投げつけられるだろう。
これはきっと、罰なのだ。
いつまでも意見を変えずに、間違え続けてきた私への。
「う、うぅ。ぅああ……!」
涙はいつまでも枯れてくれない。枯れてくれれば、どんなに嬉しい事か。止まらないからこそ、悲しいのだ。もう戻らないから、私は涙を流しているんだ。
だからもう、あの日が戻ることはない。
レオと二人きりで、楽しくおしゃべりをしていた夜は、もう二度と。
「――助けて、レオ」
その言葉にこたえる者は、誰もいない。
彼女はそのことを自覚して、またすすり泣く時間を始めた。