6 『英雄前日譚』
世界の端にある、荒れ果てた荒野にジークはいた。
「ストラウス、そろそろ本格的に時間がねえぞ。精霊が死んできてる」
仲間の獣人が語り掛けると、自分の表情が苦々しく歪んだのがわかった。
「世界の浸食がここまで広がってきているのか……」
「早く王国の魔法陣を押さえないと、このままじゃ」
自らの過去と向き合い、聖女として覚醒したイリアはすべての呪いを退ける聖杖グランデルドを持って呟いた。
もとはこの荒地は、芳醇な緑地だったのだ。エレリア率いる王国貴族の手により発動された魔法陣により、世界の終焉が始まってきている。
もう、迷っている時間は無い。
「イリア、ラーファルト、クラリス、ガヴァン」
ここまで共に旅をしてきた友の名を呼ぶ。
人を殺めることにいつも抵抗があった僕とはちがう。もうみんな、覚悟を決めているのだ。
己を捨て、世界を変える覚悟を。
ならば自分も、決めなくてはならない。
「――長く続いたあの国を、終わらせよう。僕たちの手で!」
一度動いた歯車は、もう誰にも止められない。首謀者である、僕とエレリアにさえ。
噛み合った歯車を、運命を違える者がいるとするならば――
「これは……魔力の歪み?」
世界最強の魔術師であるイリアがいち早く異変に気付いた。次いで、ジーク。
「…………来ると思ってたよ、レオ」
一向の目の前に、紫色のワープゲートが現れた。凄まじい量の純然たる魔力だ。こんな魔法を使えるのは、イリア以外に一人しかいない。
「よお、久しぶりだな。ジーク。それにイリア」
聞こえてくるのは、久しい友の声。
「コイツ……っ!この前の!」
レオンハルトの登場に、血の気の荒い獣人のラーファルトが叫んだ。
彼に殺されかけた記憶が蘇る。黒竜を従えたレオは、僕たちに停戦を持ちかけてきた。しかしそんなこと出来るわけがない。エレリアを放っておけば、世界が滅びるのだ。それは他国の王たちも許さない。
半年前、頑として首を振らない僕たちにレオは斬りかかってきた。
一度は為すすべもなく死にかけたが、精霊と契約した僕なら前のようにはいかない。相討ちになるのは、彼も望まないはずだ。
人族の過ちは、人族がつけなければならない。僕以外がエレリアを止めれば、世界が救われたとしても、世界を滅ぼそうとした種族として人族の立場が無くなってしまう。そうなれば待っているのは、全種族と人族の全面戦争。どちらかが絶滅するまで行われる、最悪の戦場が出来上がる。
何度来ても同じこと。僕は、僕たちは彼の説得には応じない。応じれば、世界を巻き込んだ戦争が起こるのだから。
「今回は、何の用かな?」
「わかってるだろ、もう突然剣を抜いたりしねえよ。今回はただ、話をしに来たんだ」
「前にオレっち等を殺そうとしといて、信じられるわけねえだろうが兄ちゃん。ええ?」
「相変わらず、ガラの悪い神官だなガヴァン」
「てめえに知ったような口聞かれるほど、仲良くなった覚えはねえぜ」
「よせ……彼は本当に、もう僕らを攻撃するつもりはないよ」
「ジーク!こいつはそうやって寝首掻こうとしてんだぜ!わかれよ!」
「大丈夫……レオも、僕の友達なんだ」
そういってガヴァンの肩を叩くと、彼は肩をすくめて後ろに下がった。
「知らねえぜ、オレっちはよ……」
ありがとう、と心の中で言ってレオに向き直る。彼は懐かしい学園のときと同じように、気の抜けた笑みを浮かべていた。
「まだ俺のこと、友達って言ってくれるんだな」
「あいにく、甘ちゃんって常々言われててね。それに君は最後、見逃してくれたじゃないか」
あの日、レオは僕たちを皆殺しにできたんだ。それなのにしなかった。それには、きっと理由があるんだろう。僕たちのやるせない理由のように、彼なりの考え方が。
「僕たちは今から野営をする。よかったらそこで二人で話さないか」
「そりゃあいい、エルフんとこの美味い酒くすねてきたんだ。一杯やろうぜ」
気楽そうに笑うレオ。でもその影には、何かに苦しめられているように見える。
なぜ、皆が皆、こうやって何かを我慢しなくてはならないんだろうか。種族が違ったとして、立場が違ったとして、彼のように笑って話してくれれば解決する問題もあるのに。
一時間もすれば野営の準備も終わり、夕飯もできた。僕たちは酒のつまみとして肉を持って、離れにある岩の上に座る。
「いよいよ、内乱を起こすのか?」
レオの顔を横目に窺ってみたが、やはり斬りかかってくるようなそぶりはない。懐にしまった酒を取り出して、二つのコップに注いでいく。
「ああ、今から一週間後に勝負を仕掛ける」
「そうか……」
僕がそう言うと、彼はコップに溜まった酒の表面を見ていた。何が映っているのかは、僕には測れない。
「まださ、俺らが会ってから二年も経ってないんだよなあ。濃度が濃すぎて、五年くらいに感じたよ」
「奇遇だね。僕も、同じことを考えてた。聖剣を抜いてからは、日々が過ぎるのが早すぎた」
「……やっぱさ、そん中でお前はお前なりに引けない理由を見つけたのか?」
酒を勧められたので、頂戴する。「乾杯」と言い合ってコップを当てると、小気味良い音が夜に染みていった。飲むと、爽やかな旨味が口内に広がっていく。
「美味いな……」
「エルフのとこはさっぱりしてるだろ。お気に入りなんだ」
「うん、これは良いものだ」
普段酒は飲んだりしないが、この良さはわかる。レオはもう半分も飲んでいた。僕もそれに追いつくために、グイッと流し込む。
「……引けない理由、か」
「あるんだろ、そういうの。……俺は最後まで、お前を殺せなかった。リアを守ろうとは考えても、覚悟が足りなかったんだ。でもお前は色んな辛いことも、背負わなくていいことも全部引き受けて笑ってる。そんでもって、ここまで来た。何かないと無理ってもんだろう」
「そうだね、あるよ」
レオの強い瞳から逸らさないように目を合わせると、少し驚いたようだった。
「本当に……色々なものを見てきた。君も僕も……そしてエレリアも、だいぶ老成してしまったんじゃないかと思う」
僕の口からエレリアの名が出てきたのが以外だったらしい。彼はまた目を剥いていた。そして、驚きが溶けるとたまらないように噴き出す。
「確かに、ありゃあだいぶ苦労してそうだ」
エレリアのことになると、いつもレオは優しい顔をする。初めて会った時からそうだった。
『リアは、不器用なだけなんだよ。本当は笑う顔がすっげえ可愛くて、人にやさしくモノを教えてくれる。それにさ、歌が死ぬほどうまいんだ。あの美声を聞いたら全人類メロメロになっちゃうぜ』
学園で言われた、彼女の本当の姿とやらを思い出す。どうにも僕には信じがたいが、ここまでついてきたレオが言っていた言葉なんだ。嘘であるはずがない。
……不器用なのは、レオも同じではないのかと思う。
彼なら本来、もっと輝かしい人生を歩めるはずなのだ。
強さもあって人格者でもある。歴史に名を残す英雄と成っていたとして、なんら不思議ではない。
そんな彼がなぜ、一人の少女を救うために名誉も栄光も投げ出しているのか。もっとうまい生き方なんて、いくらでもあったろうに。
「不器用なのは、みんな同じか……」
「お、酒飲んでセンチ混ざってんのか?だめだぜ、そういうのは俺の前じゃなくてイリアの前でさらけ出さなくちゃ」
「君に言われたくないな」
「しょうがねえだろ。あのワガママ姫さん、とんでもなく意地張ってて頑固なんだから」
「君に言わせれば、大体の人が頭硬いと思うけどね……」
「うるせえ。そんでどうなんだよ。理由!」
「ああ、そうだったね。酒が入るといけない、無駄話が多くなってしまう」
本当は酔ってなんていなかった。彼の言うセンチな気分というやつなんだろう。あと一週間で僕たちの旅が終わると思うと、言葉にできない感情が湧き上がってきていたんだ。
レオとこんな話をずっとしてみたかったから、ついふざけてしまった。
「でも、僕がそれを言うってことは、レオの話も聞けるんだろうね?」
「……」
「後逃げはなしだよ、レオ」
「……ちっ。昔の純粋なジークと交換してやりたいわ。無駄に成長しやがって」
「答えはイエスでいいのかな?」
「あーはいはい、イエスイエス。本当に、これが最後なんだ。今さら隠す必要もないからな。腹割って話そうぜ」
「じゃあ、一気に湿っぽくなっちゃうけど、先行は僕ということで」
酒を飲みほして、新たに注いでもらう。やっとレオについて聞けると思うと、頬がにやけてしまう。いままで散々神出鬼没だったんだ。ずっと気になっていた。
「世界中を見てきて、僕は自分の世界がこんなにも狭かったのかって思い知らされたんだ」
満月が、僕たちを見下ろしている。横のレオは、同じ月を見上げる彼は、何を思いこの月を見るのだろう。もし叶うのならば、同じ思いを抱いていたらいい。
「あのまま王国にいたなら、きっと僕はただの世間知らずな子どもだった。そこには感謝してる。でも、外の世界を知るということは、世界の汚さを見るということにもなる。最たる例が、奴隷だ。人を金で売り買いするなんて、正気の沙汰じゃない。僕は他のすべてを許せたとしても、あれだけは決して許さない。その人のあるべき人生を他人が歪めるなんて、認めない」
「でもそれは……綺麗ごとなんだろ?」
「そうだね、綺麗ごとだ。人を売って生計を立てる村もある。奴隷がいることで成り立つ国がある。でもそんなのはね、詭弁だよ。間違っている方法をさも正しそうな言葉で隠してるんだ。考えてもみれば、奴隷制を入れているのは人族だけ。他の種族はそんなことしていない。たとえ数の絶対数が違ったとして、生き方に違いがあったとして、奴隷が無くても人は生きていけるんだ」
「奴隷が許せない……それが、お前が今まで身ぃ切って頑張ってきた理由か」
「ほかにも、仲間のためっていうこともあるけどね。みんな、苦しい思いをしてまで僕にここまでついて来てくれたんだ。その思いは、僕が途絶えさせちゃいけない。次代の人たちまで受け継いでいくべきだ」
「……」
「――ここまでが、今までの僕だ」
言葉足らずで要領を得なかったのか、レオが納得いかないように疑問符を浮かべる。
「ここまでが、綺麗ごとを振りかざしてその気になっていた僕だよ。この話には、まだ先がある。理想論では終われないさ、ここは現実なんだからね」
レオは僕の方を一度見て、また月を見上げた。
「奴隷を無くす……簡単な事じゃないと思う。……事実、人族の経済は奴隷売買に大きく依存している。人攫いの犯罪グループや、攫ってきた多種族の人材を売る裏オークションまである始末。それらをなくすには、何年もかかるだろう。もしかすると、僕の生涯をかけたとして、奴隷を根絶するのは不可能なのかもしれない」
「だな。なんもかも、人が邪魔する。金とか権力とか、くだらねえもんのために」
「これは……仲間にしか言ってない話なんだけどね」
「改まって、なんだよ」
「実は今回の内乱で、僕はあの国を作り変えたいんだ。奴隷のない世界への、一歩目として」
「王にすげ変わるってことか」
「そういうことになる。大きなことを始めるには、大きな準備が必要だ。そのための一環の政治力として、国が要る」
「そっからどうすんだ。国を手に入れて、そこから」
「僕は今まで、全種族の国を回ってきた。その中で族長や国王とは、少なからず信望を得てきたつもりだ。この計画にも、賛同してもらっている。内乱が無事終われば僕は彼らとの会談を開いて、奴隷根絶について話すつもりだ。全世界に向けて。無論それだけじゃない、人族のトップ同士でも話し合って、みんなに納得してもらうつもりだ。最初は軍事力を使うことになるだろうけどね。ここまで上手くいけば、きっと上手くいく。奴隷のない世界が、見れるんだ。スラムで貧困に喘ぐ子ども達だって救ってみせる。叶う限りで、僕は人生を捧げる。すべては、皆が笑える世界を作るために。そのために僕は、内乱を起こす」
言い終えると、レオはまた笑っていた。僕をバカにしているわけではない。どちらかというと彼は、自分に向けて笑っているようにも見えた。
「みんな、複雑だなあ」
「そうだね……世の中は少し、絡まりすぎてる」
「ジーク。やっぱお前すげえよ。俺みたいなちゃらんぽらんから見ても、お前みたいな奴だから勇者って呼ばれるんだなって思う。本当に、尊敬するぜ」
「はは、懐かしいな。最初も君はそう言ってくれた」
「みんな変わって、どんどん変な事ばっか覚えてくるけど、お前だけは自分の軸を揺るがさねえ。毎日切羽詰まって女のケツ追いかけることばっかの俺には、眩しいわ」
「……やっぱり君は、エレリアのためなのか」
「ああ、そうだ。リアのためだけに、俺はあの時からここまで来てる。世界とか戦争とか、俺にはそんな小難しい事さっぱりだ。だから何も考えずに、一人っきりで寂しがりやな彼女と隣で笑ってやりてえ。あの子笑うと、めちゃくちゃ可愛いんだよ」
「……」
「んだよ、拍子抜けか?」
「いや、僕も君みたいに真っ直ぐ気持ちを伝えられたら、楽だと思ってね」
二人で笑みを交換。男の悩みというのは、男にしかわからない。
「あの子、鈍感そうだもんな」
「困ったことに、まだ僕が好きってことに気づいてもらえてないんだ」
「ああいうのははっきり口にしないと永遠にわかってくれないタイプの子だぜ。せいぜい諦めて、死ぬほど恥ずかしいプロポーズ考えとくんだな」
「はあ……みんながレオと同じことを言う」
「頑張れよ、勇者さん」
「色恋に勇者もクソもないよ」
「おっ、乗ってきたな」
「君の酒のせい、ということにしといてくれ」
「今日は久々に楽しくなりそうだなあ。酒ならまだまだあるから、どんどん吐き出せ」
「それは助かる。素面じゃこんな話やってられないからね」
こんな感じで、世界最強同士の酒盛りは盛り上がっていく。
最後の夜だからこそ、こんな適当に終わらせるのだ。
―――数日後、決意通りに内乱が始まった。
結果は勇者ジーク・ストラウス及び聖女イリア・ローレライの勝利。長く民を苦しませた国王は失脚。一連の事件の首謀者であるエレリア・オルタンシアは、二週間後に公開処刑となった。
すべてが、ゲームの通りに。