3 『主人公との遭遇』
「――ほうほう、銀貨が一万リル。銅貨が百リルとな」
「もう、貨幣の価値もわからないなんて、そんなんじゃ誰かに騙されちゃうわよ」
次の日の夜。昼間に街を探索し終わった俺は、エレリアによる一般常識講座を開いてもらっていた。今が何の月の何日か。一日の時間は何時間か。街の名前は何なのか。そして現在はお金の話を聞いている。
「ほかにも片銅貨や大銅貨、同じように片銀貨と大銀貨と、その上に金貨とかもあるんだから」
「ややこしいな」
「さらに、銅貨と銀貨の交換比率まであるからね。お釣りを騙されないようにしないと、後々身ぐるみはがされて転がってても、私以外誰も助けてくれないんだから」
「想像が俺の思考の三歩上行っててすげえよ。ていうか、君は助けてくれるんだな」
「友達、だからね」
「……っ!」
突っ込んで赤面させてやろうかと打算した言葉がカウンターにより跳ね返される。エレリア年齢は十四、十五くらいに見える。俺は二十歳だったのだが、彼女の方がだいぶ大人びている。
「まず、お座りさせて説教しなくちゃね」
「うわ、それは堪えそうだなあ」
主に、新しい性癖が目覚めるか否かで。
「だから、私に怒られないためにもこれくらいの常識は覚えておきましょう」
「はーい」
「すなおでよろしい」
一事が万事この調子で、俺達の夜は更けていく。
気軽で気楽で、ただの親しい友達のように。
***
一週間もすれば自由時間もできてきて、この体のスペックを試すことができた。
いやそれはもう、とんでもないブッコワレである。
どうやら俺の性能は、ゲームのステータスを反映させているようだ。詳しくはわからないが、多分これならゲームクリアをして、更にやり込んでいるくらいの力がある。
街の外に出て、戦闘もしてきた。
お決まりの如くこの世界には冒険者ギルドと魔物がいて、それらを討伐することで生計をたてる者がいる。俗にいう冒険者だ。
戦闘の感想はというと、妙な感じだ。
何といえばいいだろう。上手く言葉を探せないが、戦闘の最中は自分がキャラクターを操るプレイヤーになっているような感覚になる。
視点こそ一人称だが、意識は第三者。うん、これが一番しっくりくる。
当然死ねばどうなるか不明なので、強い魔物は倒しに行っていない。ゴブリンとか狼とか、弱くて安いのを狩りに行った。
日が進むごとに宿賃がかさんでいたのでこれは嬉しい誤算だった。
……しかし手加減の一振りで魔物が屠れるというのは、どうにも味気が無い。まあ、危険があるよりかはマシだ。
「そういえば、リアはアルステ大学院に通ってるのか?」
知ってはいるが、リアからすれば知るわけがないので聞いておく。あの日から毎日会っているので、もうかなり打ち明けてきた。
大学院の名前を出すと、リアの表情が目に見えて曇った。
そりゃそうか。ゲームの通りなら、リアは大学院で主人公たちをいじめに虐め抜いている。彼女にとってはこの場所だけが日々の暮らしを忘れられる場所なのかもしれない。悪いことを聞いてしまった。
リアはもう暗い顔はしていなかった。いつもの笑みだ。
「ええ、通ってるわ」
「学園生活は……楽しいか?」
悪いとは思っても、俺としても聞いておきたいことがいくつかある。なにしろ、あと一週間もしないうちに、俺が大学院に入学しなければならない日になる。どんな環境なのか、興味がある。
「楽しい……ってほど気楽じゃないけど、やりがいはあるわ。勉強ができるし、魔術も習える」
「そっか。そういえば、ジークって知ってるか?」
ジークとは、ゲームの主人公の初期名である。最近一日中考えて思い出した。
「彼を、知ってるの?」
「ちょっと噂でね」
「……そう」
予想以上にリアが冷たい目をしている。
「なんでそんなに大学院のことを聞くの?」
「興味本位だよ。君が通ってる学園を知りたくてさ。ジークって子のことを聞いたのも、『聖剣を引き抜いた』って大層な話を街で聞いただけだ」
これは本当のことだ。時期的にも一致していたし、聖剣を引き抜くなんて主人公しかできない。ゲームでは、ここから徐々にジークが持ち前のカリスマでリアとの情勢を盛り返していく。
「なんだ、そういうことね。いきなりのことだったから、ちょっとびっくりしちゃった」
「ストーカーにはならねえから安心してくれ」
「そのことに関しては心配してないんだけどね」
苦笑しながらリアは言う。いま彼女の頭の中には、なにが思い浮かべられているんだろう。大学院のリアを知っていると知れたら、彼女は俺にどういう態度を取るんだろうか。
「あのね、そういえば近々学園に転校生が来るらしいの」
「……そうなのか」
言うまでもない、俺のことだ。
「この前まわりの子たちが話してるの聞いたんだ。年の節目じゃなくて中途編入だから、ちょっと噂になってた」
「そいつと仲良くなれたらいいな。友達って、何人いても損にはならねえし。いればいるだけ、心の支えになってくれる」
俺は、言い出せなかった。その一言を言えば、もうリアとはこの場で話すことは無いという確信があった。どうせ学院に入ればバレることで、問題を先延ばしにしているだけなのはわかっているが、この時間は俺にとっても大切な場所だ。
リアと話すのは楽しいし、それが少しでも長く続くのなら、嘘をついた方がマシだと思った。
そういえば、俺は学園に何をしにいくのだろうか。今の所なんの目的もないのが現状だ。
……そことなくリアのことを気にしておこうか。
もともとやるべきことなんてないのだ。なら、少しばかり青春を謳歌したってバチは当たりやしない。
数日後、学園に入学した。
貴族街の端に作られた学園の大きさはすさまじい。俺は一旦職員室に連れていかれ、髪の毛が寂しい教頭に特定の時間に貴族街には入れる許可証をもらった。許可証とはいっても、入れる区域は学園だけなので意味はない。
俺が編入するクラスへの自己紹介まではまだ時間があったので、教頭に言って学園を回ることにした。変なことをしなかったら自由に見てもらっていいよと言われたので、諸々のイベントを回避するために気を付けながら歩く。
それにしても、学園の中は相当に広い。景観も良いもので、西洋の城を探索しているみたいだ。心が躍る。
「それにしても、リアが生徒会長なんてねえ」
これは教頭に聞いた情報だ。なんでも年齢に反比例して優秀さがズバ抜けているものだから、去年の会長が退くと同時にマネーの力で会長に当選が決まったらしい。
スキを見てからかいにいってやりたいが、怒られるだろうか。
目元がキリッとした秀麗な美少女に、照れられながら怒られる俺の姿が想像できる。……いいじゃありませんか。
ああ、でもリアには彼氏とかいるのか。あれだけ可愛ければ、いくらでも男は釣れる。それこそ入れ食い状態だろう。リアが見知らぬ男と腕を組み合ってイチャイチャする映像が浮かぶ。
あの女神と天使が揃って返り討ちにあうような微笑みが、違う誰かに向けられる。考えると、胸にモヤモヤしたものがせりあがってきた。
「ああ、なんだこれ、父性か!この短時間で俺の中に眠る父性が目覚めたのか!」
冗談は置いておいて、彼氏の話だ。リアが幸せそうならそれで何も問題はない。だが、その彼氏とやらも結局はアイツを捨ててトンズラするのだ。それを思うと腹が立つ。
自分が作った勝手な偶像にやきもきしていると、前方に学生の集団が見えた。移動授業なのだろうか。コソコソと道の端っこに退いておく。絡まれたら厄介なことこの上ないからな。
傍観に徹しておこうと縮こまっていると、集団の中に気になるコンビを見つけた。
「あれは……」
男女だ。
特に目がいったのは、女の方。
大人しそうな風貌だが、こうして話す姿を見てみるとお転婆そうな性格がうかがえる。髪は薄い桃色で、まだあどけない幼さを残した少女だった。
「つーか、まんまイリアじゃんかよ……!」
イリア・ローレライ。まごうことなくメインヒロインである。
このヒロイン、設定がベッタベタで、国王と権力でタメを張れるほどの教皇の隠し子であり、孤児院で育てられたという経歴を持つ少女である。ストーリーが進むごとに徐々に出生が明らかになり、終盤は聖女とも呼ばれる。
ちなみに、このことを知っているのは一部の貴族だけだ。リアが彼女を虐めているのは、教皇の隠し子と知っている両親が、後々権力争いに参加させないために失墜させろと命令してきたからだ。
ならイリアと談笑にふける、隣にいる超絶美男子な少年は必然的に――主人公、ジーク・ストラウスということになる。
僻目を無しにしても格好いい。何だあれ。メチャクチャ美丈夫だぞ。あれで主人公で聖剣に選ばれし勇者とか、人生イージーモードすぎだろ。
「って、やば!コッチ近づいてきた――」
負け犬の嫉妬に負けていると、主人公であるジークの方が走り寄ってきた。気が付けばもう目の前に来て、イケメンスマイルを発動している。いまさら逃げれば、これから先のクラスの目線が怪しい奴となってしまうので、逃げられない。
「やあ、君が転校生?」
すごいよ主人公。声までイケメンだよ。二次元と会話するという偉業を成し遂げたことに感動しつつ、返事をする。
「ああ。まだ時間があったから中を見て回ってたんだ」
「やっぱりすごくて気になっちゃうよねこの学園。僕も初めて来たときは浮かれちゃってた」
「そんなに俺、おのぼりさんに見えてた?」
「そういう意味じゃないよ」
HAHAHA、と笑うジーク。俺こんなに格好いいジョニー初めて見た!
「どうしたのジーク」
とてとて、と擬音がつきそうなほど天然さを放出するイリアまで来て、一歩後ずさる。
「彼が噂の転校生らしい。失礼だけど……平民の人、だよね」
「生まれも育ちも」
なぜこの世界の住人達は俺が庶民であることを一目で見破ってくるのだろうか。そんなに貧乏人のオーラがでてるのかな。ちょっと傷つく。
「わたしイリア!よろしくね!えーっと……」
「レオンハルトだ、レオでいい。よろしく」
「うんっ」
リアを薔薇に例えるなら、イリアはたんぽぽにでも例えようか。でもこの子はジークのものなので、ただひたすらに眼福と心の中で感謝しておく。
「僕も平民の出でね。勝手がわからない時は、遠慮せず聞いてくれ」
「ありがとな、ジーク」
やっぱ主人公は良い奴だ。ここまでイケメンがイケメンしてると不思議と嫌悪感が湧かない。これこそがイケメンの最終形態であるべきだ。
そんな呑気な事を思っていると、ジークが少し間の抜けた顔をしていた。
「……僕の名前、言ってたっけ?」
……あっ!
「あー、いや。街で噂になってたから。特徴でわかったんだよ」
自分でも苦し紛れの言い訳に思えたが、ジークはどうやら騙されてくれたらしい。
「最近、僕もいろいろあったからなあ……」
「あったねえ……」
「勇者っていうのも、大変なもんだな」
遠い目をするジークとイリアに、同情的な目を送る。これから彼らを待ち受けている困難を知っている俺は、他人事である。
「勇者だなんて、そんな大層なもんじゃないよ」
「聖剣を引き抜いたんだろ?ならもうそれは、勇者だろ。少なくとも、そんなこと俺にはできっこねえからな。嫌味じゃなくて尊敬するよ」
「……ありがとう。そう言ってくれる君のためにも、頑張っていきたいと思う」
「ふふー。良かったねジーク」
二人にしかわからない笑みを交換。どうやら俺はダシにされてしまったらしい。……やっぱむかつくなこいつら。
いちおう恒例として、リア充爆発しろと唱えておいた。俺の呪いはこれから先たっぷり味わうことになるであろう。独り身の恨み思い知れ。
イリアといちゃついていたジークから、ふと手を差し出された。
「?」
「これから、仲良くしてくれると嬉しい」
これは……友達になろうの握手、ということか。
あれだな。俺は何気なくリアにやってたけど、確かにこれは人からやられると存外恥ずかしい。こんなことキメ顔でやってたのかよ俺。
「よろしくな」
「わたしも混ぜてね」
二人の握手の上から、イリアの手が被さった。まさか、この二人と握手することになるなんて。
主人公が嫌な奴らだったらどうしようかとも思っていたが、杞憂だったようだ。学園生活、それなりに楽しくなりそうじゃないか。
――と、思った矢先だった。
「…………レオ?」
凛とした、聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。
毎日夜に聞く、少女の声。
「リア……」
振り返るとそこにはやはり、エレリア・オルタンシアがいた。
――修羅場だ。頭の中に危険信号が行き渡る。
「……エレリア」
ジークの方は敵意を出してリアを見つめている。さっきまでの温厚さはなかった。怒ると怖いタイプのイケメンだった。
どう切り抜けよう。
マジギレ用の奥の手、君を驚かせるためにナイショにしてたんだ!ごめんね!作戦が早くも使える雰囲気ではない。
こんなところで会うなんて奇遇だね!もさすがに苦しすぎる。
いや、違う。いま重要なのは、こんなことではない。
俺が、ジークとイリアと仲良く手を組んでいるこの状況がマズい。
彼女とジーク陣営の対極は二極化していて、俺がその敵対陣営のトップと微笑みながら手つなぎしているのだ。彼女から見れば、俺は今まさに敵陣営に回ったことになる。
あれだけ仲良くなって、初めてできた友達が、だ。
咄嗟に言葉が出てこない。普段あれだけのべつ幕なしに出してきた軽口が、今になって。
「――もう、いいわ」
沈黙が続いたのは、数秒しかなかった。それを終わらせたのは、リアだった。
俺に冷たい瞳を残して、リアは去っていった。
学園入学初日、俺は彼女に敵とみなされた。