2 『一人きりの涙』
目に見えて動転する俺とは違い、エレリアは努めて冷静だった。
「もしかして、聞いてた?」
なんて少し照れた風に言ってくるほどだ。
ここは本当に夢なのか。もしゲームの世界だったとして、俺はゲームの筋書き通りに進まなくていいのか。数瞬で様々な考えが走ったが、エレリアを見ていると毒気が抜けてしまったので、仕方なく返事をする。
「途中から、だけどな」
「やだ、聞こえないように結界を張っておいたのに」
「結界?なにそれ怖い。全然気づかなかったんだけど」
他人の口からゲームチックな言葉を聞くと体がむず痒くなるな。なんだかこう、いけない記憶の歴史をさらけ出されてる感がある。
「防音のね。普通の人には聞こえないんだけど……。それに失礼だけど、あなた貴族ではないわよね?商人……の……付き人さん、かな?」
「ああ、一気に貴族と商人のジョブがスルーされた。一目で無職と気づかれた。もうだめだ」
やはり言い方に難があったと自省したのか、少し焦って否定してくる。
「ち、ちがうの。ちょっと私も動転してて、あんまり上手い事言えなかったって言うか、その」
「ああ、いい。もういいんだ。このままナチュラルに墓穴掘ってくスタイルも見てみたいけど、先に俺の精神が壊れそう」
つまり本音が出ちゃってたらしい。
「ご、ごめんね?」
「いえいえ、お互い様ですヨ。俺、本当に通りすがりの一般人なんで」
この程度であの歌を聞けたのなら、安すぎるくらいだ。
それになんていうか、可愛い子に天然で貶されると新しい感覚が芽生えそうになる。無論、いい意味で。
「やっぱり、平民の方なのね。どうやって貴族街に入ってこれたの?詰所には門番がいるはずなんだけど……」
「えっ?門番とかいなかったけど」
「……。もしかして、泥棒とかじゃないわよね」
そう言って、温和だった目が途端に訝しげに変わった。まずい、これはブタ箱コースなのか。異世界初日目にしてシャバの空気を吸えるのは一時間なのか。
――どうする、逃げるか。
この時点で自分がコソ泥の思考と一体化しているのに自覚しつつ、それを決行しようとしていた。
彼女はゲームの立場上、大貴族も大貴族。国の創立にまで関わってくるほどの権力者だ。その一人娘が衛兵を呼べば、瞬く間に衛兵が俺を取り囲むだろう。
タイミングを見計らっていると、エレリアが急に目のシワを解いた。
「なんてね。悪い人だったら、もう逃げるか私を襲ってるかだし」
あっぶねー!逃げなくて良かった!
どうやら、最悪の展開は免れたらしかった。
「誤解が解けて良かった。俺は、レオンハルト。ええと、君のことは何て呼べば……」
一応、名乗るのはこちらの名前だ。日本名を晒して不信感を抱くのも面倒だし。
「エレリアって呼んで。……さっきは私のことを知ってる風だったみたいだけど」
「いや、勘違いだったらしい。……?」
言い終えて、気づく。エレリアの目が、赤くなっていたのだ。まるで、さっきまで泣いていたかのような。
「目が赤いけど……大丈夫か?」
寝不足だろうか。大貴族のお嬢様が美容に無関心とはけしからん。自分としてはそんなふざけた追及だったのだが。
「……殿方として、そういうところは気づいていても突っ込まないんじゃないかしら」
どうやら、本当に泣いていたらしかった。だからモテないんだよ俺は。
「すまん、気が利かなかった」
「いえ、別に気にしなくていいわ。歌まで聞かれてたんだもの。今更よ」
「そんなに恥ずかしがることか?めちゃくちゃ綺麗で、俺は聞き入ってたけど」
「それは……ありがとう」
エレリアは、俯いてまた赤面した。
ううむ、これが本当にあの悪役令嬢なのだろうか。見た目は一致しているが、話し方も違えば、性格も違う。
ゲームではもっと高圧的に話していたし、平民とかゴミ扱いだったような気が。
彼女は、冒険者を育成する学園の魔術特待生だ。そして同じ学園にいる主人公とヒロインをやたらと陰湿な方法でいじめてくる。そんな彼女が、なぜ俺には優しいのだろう。
そもそも、この世界での俺の立場はどうなっているのだろうか。主人公とヒロインは、幼少のころから学園にいるはずなので、もうこの世界の主人公の座は埋まっている。
フォールスピリングはキャラクターメイキングもできたし、名前も自由に決めれたので、俺自身は主人公とは別の人物としてこの世界にトリップしてきたのだろうか。
話がそれてきたな。最初は、なぜ悪役令嬢がこんなにも良いやつなのか、という話題だ。
「ああ、そういえば」
そこまで思惟して思い出した。
たしか、エンディングの間近で隠しイベントがあった。内容は、実はエレリアは家族に操られていた、というもの。
操る、とはいっても催眠術の類ではない。ただの強制的な両親からの命令のようなもの。しかもエレリアも特に親の意向に反対せず、終始イエスマンで悪役に徹していたので、実は可哀想な人エピソードでもなんでもなかったのだが。
……もしもいま俺と話して、歌が上手いと言われると照れて伏せてしまうこれが、彼女の本当の性格なのだろうか。
ゲームの最後では散々親の言うことに従った挙句、全部の責任かぶせられて処刑台に立たされていた。あのときは高校生だし、ゲームのキャラに対して感情移入なんてせずに「やっと死んだかー」ぐらいの気持ちだったが、彼女の違う一面を実際に見ると、真逆の感想が浮かんでくる。
熟考していると、目の前に急に光の玉が現れた。
「わっ」
可愛く驚くエレリア。
仄かに淡い青を示す、月光にも負けてしまいそうなほどの色だ。
「……もしかして、精霊?」
「あ、また思い出した。門番すり抜けられたの、コイツのおかげか」
そういえば、主人公の生まれつきの能力で、精霊の声が聞こえますよという、お助けナビゲートみたいなキャラがいた。今回の一連の騒動はこの光の玉がやったことなのだと考えれば、すべて納得がいく。
『――助けてあげて。話してあげて』
女の声とも男の声とも言えない、不思議な声だった。頭に直接語り掛けてくるような声。
精霊はそれだけ言葉少なに言うと、俺の肩に止まって、やがて消えた。
「なんだ、いまの」
「すごいわね。精霊なんて、初めて見たわ」
「エレリア。君、いまの声聞いたか?」
「声って、なんのこと?」
やはり、聞こえていたのは俺だけらしい。ますます、俺がレオンハルトである可能性が現実味を帯びてきた。
「いや、なんでもない。気のせいだったみたいだ」
まさか俺の立ち位置を説明する訳にもいかないので、適当にはぐらかしておく。ふむ、どうするべきか。
精霊に従うべきか、逆らうべきか。
「よく考え事をする人なのね、レオンハルトは」
気が付くと、エレリアが下から覗き込んできていた。
「悪いな、今日は自分でもパンクしちまうくらい色々あったから、つい。あと、長いからレオでいい」
「……わかった。じゃあ、私のこともリアって呼んで、レオ」
エレリアは、そう言って朗らかに笑う。その小さな笑顔を見ていると、長々しく考えていたのが馬鹿らしくなった。
状況確認なんて、日が昇れば嫌っていうほどにできる。今は、エレリアと話してみよう。
「私、こういう呼び方をするの初めて」
「どうして。リアなら、友達くらい百人単位でいそうなもんだが」
「駄目よ。貴族はね、みんなが立場で人を選んで話すの。大きな声じゃ言えないけど、友達とはいえないわ」
「ふーん、やっぱ貴族って大変なんだな」
「生まれた時からだからあまり気にしたことはなかったけど……そうね、少し大変だわ」
テレビなんかで紹介される大富豪たちも、目に見えないだけで様々な悩みを抱えているのだろう。知らないで羨むのは、凡人の特権みたいなもんだし。
「じゃあ、俺が友達第一号ってことで」
「えっ?」
エレリアはここで初めて冷静を解いた、素っ頓狂な声をあげていた。無防備な顔が可愛い。
「俺は権力者でも何でもないし、べつに誰かにやとわれて君に近づいたってわけでもねえ。ただのそこらへんの男の子だ。だから、俺にだけは気を遣わなくてもいい。君も俺に気を遣わなくてもいいって言ってくれるのなら、俺らはもう友達だ」
正直、大貴族の一人娘に向かって凄い失礼な言葉づかいをしている気がする。気づいた時には今さらだったので、別に撤回もしていない。
「……」
呆然とするエレリア。あれ、これはもしかしなくてもまずった感じじゃなかろうか。キメ顔で言っただけに恥ずかしさが倍増だ。
気まずい沈黙に密かに身悶える。
「ふ、ふふっ。凄いわ、レオ。あなたって本当にすごい」
裏が無い様子で笑う彼女を見て、ほっと一息。どうやら逆鱗に触れてはいなかったらしい。というか、やっぱり普通に可愛い。ひとしきり笑うと、エレリアは目尻の涙をふき取って俺を見上げた。
「友達を作るのって、もっと難しいものだと思ってた」
「わるいね、俺は相当に軽いもんだから、刺激強かったかも。影響受けない方が良いぜ」
「そうしておく。そんな話し方したら、卒塔婆が卒倒しそうだもの」
そりゃあ手塩にかけて育てた娘がいきなり俺みたいになったら絶叫ものだろう。
「なかなか言うね、貴族様」
「これから、加減を教えていってちょうだいね。平民さん」
これが社交界で鍛えられた会話術なのか。詰まることなくスラスラと話が進められていく。本当のコミュ力というのを見せつけられた感が否めない。
「私、そろそろ帰らなくちゃ」
会話も終わった所で、邂逅の宴もたけなわ。エレリアは噴水から優雅に立ち上がる。
「そういや、今は何時くらいなんだ?」
「ここにいたのが一時間だから……日が変わるころだと思う」
「ってことは十二時か。電気が無いとと寝るのが早くなるって話、本当なんだな」
平民街の様子を思い出す。まあ確かに道を照らすのが月明かりしかないなら早く寝るのも当然か。治安も悪いだろうし。
「じゃあ行くね」
「おう……送らなくていいのか?」
「大丈夫。貴族街は安全だから」
「わかった、気を付けてな」
「ええ。今日はとっても楽しかったわ」
エレリアが一言つぶやくと、弱い光が指先にともる。
「魔法か……すげえ、胸が躍るね異世界」
「私は毎日この時間にここにいるから、あなたが暇だったら話をしましょう」
どうやってエレリアに会えばいいのだろうと思っていたら、離れ際に言われた。手を振り返すと、やはり彼女は優しく笑って去っていった。
「なんだよ、フツーにいいやつじゃん、悪役令嬢」
話し上手で気さくで、ちょっと恥ずかしがりや。それが今回の出会いで得た感想だ。あれが演技なのだとすれば、女優も顔負けだろう。
「そして俺、こっからどうやって帰んの」
門番に口添えしてもらえば良かった。野宿でもしてやるか、とも考えたが、朝がきて人が来ればもっと厄介なことになりそうだし、その案は棄却しておく。
「ダッシュで逃げるか?いやそれも危なすぎるな……」
どうしたもんかと頭を捻らせていると、また目の前に光球――精霊が姿を現した。
『帰る、手伝う』
カタコトはデフォルトらしい。
「マジか、さすがお役立ちキャラ。ご都合主義感がプンプンするけど今回は素直に感謝しとこう」
そこはゲームに忠実らしい。精霊が先導して、貴族街を後にする。その途中でポケットに何かが入っているのに気付き、見てみると鍵が入っていた。鍵にはプレートが付いていて『丸焼き亭三二』と書かれている。
「宿の鍵……かな」
なぜこんなものが、とは思ったが、異世界トリップにも何種類かのパターンがある。
俺の場合は、もともとこの世界にいた誰かの意識に乗り移ったタイプのようだ。
この体の誰かさんには悪いが、俺にも原因は不明だ。夢が覚めるまでか、現実なら事件が解決するまで乗っ取らせてもらおう。
「取りあえず、野宿じゃなくて良かった」
そこが一番切実である。こんな薄着で現代っ子が眠れるわけがない。
宿の場所はわからなかったが、初期位置が大通りだったので、その近辺を探し回っていたら迷わずに辿りつくことができた。
「遅かったね、街の探検とやらはできたのかい?」
厨房で明日の仕込みをしてるっぽいおばさんが出迎えてくれた。怪しまれるわけにはいかないので、愛想笑いをしておく。
「ええ、大きな街ですね」
「どうせなら明日に見回ればよかったのに。人がいなくちゃろくなモンもないだろうに」
「田舎者なもんでして」
どうにか切り抜けて、部屋につくことができた。
部屋の中は簡素なもので、備え付けのテーブルに椅子。それと硬いベッドしかない。
テーブルの上に、開封された封筒と、その中身であろう書類。それと麻袋があった。中には幾ばくかの銅貨と銀貨が入っていた。
「おお、文無し無職からは切り抜けた!」
書類の方を見ると、冗長な文章で『レオンハルト・イルヴィルをアルステ大学院に入学することを許可する』と書いてあった。
「やっぱり、レオンハルトになってるのか」
驚きは意外にもなかった。あまりにも現実感がなさ過ぎると、人は案外無反応になるらしい。鏡がないので自分の用紙を確認できないが、今の俺の顔はどうなっているのだろう。
「おいおい確認してくしかないなぁ」
入学日は『太陽の月四十三日』と書いてあるが、今の日にちさえ解らないのでは話にならない。もしも本当のレオンハルトが戻ってきた時のことを考えて、そこの所は真面目に通ってあげておきたい。やっとこさ戻れたのに、僕の居場所はどこにもありませんでしたなんて笑えないからな。
疲労感があったので、ベッドに倒れ込む。
微睡に任せて瞳を閉じると、エレリアのことを思い出した。
毎日ここにいる。彼女はそう言っていた。
エレリアは、毎日ああやって泣いて、それを紛らわすために歌っていたんだろうか。
親に命令されて悪役のフリをさせられて、友達も作れずにずっと一人。しかも相手にするのは主人公とメインヒロインだ。勝てるわけがない。
行く先は親に、周りの取り巻きに裏切られて捨てられて、国民に罵倒されながら死んでいく未来。
誰が彼女を救うのだろうか。誰か、彼女の夜を知っているのだろうか。
……取りあえず、エレリアと毎日話してみよう。話はそれからだ。
それだけ考えたところで、意識が落ちていった。