1 『異世界』
そういえば、悪役令嬢が悪役のまま救われる話はみたことないなあと思い投稿。
楽しんでいただければ幸いです。
「――これは、異世界トリップってことなのか」
辺りを見回しても、現代日本にはありえない前時代的なレンガや藁と木造の家しかない。
現状に震えつつ、俺は自分の身なりを確認してみる。
「まだ、着の身着のまま奴隷スタートじゃなくて良かったな……」
服は安っぽい青色の麻の服だ。ザラザラでだいぶ着心地が悪い。ズボンも同様で、薄い材質に加え夜なので少し肌寒い。地球にいた頃の服装ではなかった。サイフも、身分証明ができる物も何もない。
異世界トリップしたのは今から十分前ほどだった。最初こそみっともなく動転していたが、今は何とか無理やり自分を納得させて落ち着けている。
「人がいないな……。相当夜中なんだろうか」
とりあえず、ここから動かなければなるまい。いつまでもこんなとこにいれば不審者扱いされてしまう。場所は……平民街、といったところだろうか。閑散とした、バザーなどの簡易な商店の跡などが道の両端に広がっている。
現在地は大通りらしい。
後ろには街?を取り囲む十メートルほどの壁と、大きな門が見える。
前は、どうやら街の中心部に向かっていくようだ。ゆるく長い坂の先には、月の光を反射させて輝くキンピカの建物が見える。お金持ちがいっぱいいそうだな。
「わかってる……わかってるぜ俺は。こういうときは不必要にお偉いさんのトコに進んじゃとんでもない厄介ごとに巻き込まれるんだよ。そんでもって身分証明するものが無い俺!どう考えても牢屋コースまっしぐらな感じしかしねえぜ!」
世の中のウダウダ系鈍感主人公と一緒にされては困る。こういう時は機転を利かせて展開を予測する頭脳系主人公こそが必要とされているのだ。
「まったく怖いよ異世界!どこに落とし穴があったもんかわかったもんじゃねえ!」
口ではそう言いつつ、俺の足はまっすぐ中心部の方へと向かっていた。
だってホラ……ね!情報収集とかしないと現状確認とかできないし!べつに人気がなさ過ぎて怖くて、ちょっとでも人がいそうなトコロに行きたかったとかじゃないんだからね!
俺だけは不幸体質の主人公なんかじゃない。もしそうだとしてもモブで、命を脅されて主人公を売るタイプのゲスクズ野郎だ。
そんな呑気な考えは、やはり理解不能な状況にいたからなのだろう。
じっさい俺はこの時点では少しリアルな夢だろう程度に考えていた。危ない目に遭っても「良かった夢か……」を現実で言うことになるだけ。そんなただの勘違い。
だから俺は、そんな適当にその場しのぎに生きてきたからこそ――彼女に逢えたのだ。
***
「ちょっと、そろそろ本気で怖くなってきたんだけど。なんで人いないの?」
先が見えないくらいの路地裏が多数あった平民街は抜けてきた。あそこにあのままいれば、本当に危ないお兄さんなんかに攫われていたかもしれない。
やはり坂の上は中心街だったらしく、立ち並ぶ家屋や、店の質はコチラの方が段違いだ。家は庭付きの別荘が多いし、店は看板に宝石店と大きく書かれている。
「てゆーか、文字とかは普通に翻訳されんのね。さすが夢、イージーモードっていうか適当だな。この場合俺の想像力が貧困なのか」
ミミズがうねっているような意味不明言語だが、そこは異世界転生モノらしく脳内で自動翻訳。ココドコ僕だれコトバムツカシイではやはりブタ箱直行コースである。そこは素直に感謝しておこう。
夢ならもっと親切にしてほしいけどね!
不満を垂れながらも、道を進んでいく。道路さえも舗装されている点を見ると、貴族街なのだろうか。それなら急に街並みが高級感を増したのにも説明がつく。
そういえば、平民街からココに移るときに境界線として門があった。そこには松明が設置されていて、薄暗い中の俺の不安を払拭してくれたものだ。
「こういう世界って、貴族街とか入っちゃダメなんじゃなかったっけ」
ファンタジーには今一つ疎い。社会人だし、本とかは読まない方だし。こういうゲームをしたのも、高校生が最後だ。
ただその大半が貴族の住む区域に入ったら駄目だったような気がする。アイテム無しに入ると門番に突っぱねられるか、牢屋にレッツゴーパターンだ。
「ええ、でも門番とかいなかったしなあ……」
そういう場合はどうなのだろう。衛兵に言っても取り合ってもらえないのだろうか。その辺は防犯意識とか高そうだし、言いくるめられてやはり面倒くさい目に遭いそうだ。
「今から引きかえそっかな……」
考えれば考えるほどにコワイ想像が出てくる。どうなのだろう、異世界トリップというからには、この肉体にも勇者パワーが宿っているのかもしれない。そうしたらすぐに金銭面の解決はできるし、俺TUEEチョロインハーレムが築ける計算式が成り立ってしまう。
「まさかこんな贅沢な悩みが出来てしまうとは……」
というか、まず勇者パワーが無かったら終わりである。その場合俺TUEEどころか人生終わりである。
異世界トリップして下請け労働者エンドとは、中々にオチがついている。
「何か聞こえてくる……?」
笑えない未来予想図を思い描きながら歩いていると、僅かな音の変化が耳に訪れた。
小さな小さな、集中を切らしてしまえば聞こえなくなってしまうような音。いや、よく聞いてみると人の声だ。
「歌、だな」
その正体は、さらに歩き進むと徐々に判然としてきた。綺麗な歌声。一日中でも聞いていられそうな、落ち着く音色。これはもはや、美しいと言っても過言ではない。
歌に近づくように、手探りならぬ耳探りで歩く。警戒心や、他の方法で情報を確認する考えはもうなくなっていた。ただ耳朶を打つ美しい歌声に、魅了されていた。
結果、近くに公園を見つけることができた。
動機が激しくなるのを自覚しながら、公園へと近づいていく。飾りつけの木々を抜け、そっと覗く。すると、そこにはやはり、歌っている人物の姿があった。
「――♪」
目が覚めるような、長い白髪の少女が、噴水に腰掛けている。
ドキリ、と心臓がはねた。
彼女の周りには、愛くるしい小動物がいた。肩にはリスが。足元には猫や犬。よく見ると、木の上には相当数の鳥がいる。
聞き入っているのだ。彼女の歌に。これは、少女が作り出した外界とは隔離された、秘密の楽園のような世界だった。
忘我して、視線はただ一点彼女だけを見つめる。紡がれる歌のあまりの芳醇さに、感じたことのない胸の高ぶりを抑えようとして、彼女に歩み寄った。
「――あっ」
すると、木々で羽を休めていた鳥たちが、一斉に飛び立った。羽ばたきの音ですべての動物が我に返り、急いでどこかへ逃げていく。
「どうしたの、みんな」
原因がわからない少女は、歌うのを中断して走り去っていく愛玩動物たちを案じる。
「あー……悪い、俺だ」
俺はバツの悪い顔をしつつ、名乗りを上げた。
草むらから噴水の方へと歩いていく途中で、少女が俺の方へ振り向く。すると、雷で打たれたような衝撃が走った。
「な、君は……!」
「平民の方……?私を知っているの?」
透き通るような色白の肌に、整った目鼻立ち。氷肌玉骨と呼ぶにふさわしい、吸い込まれるような容姿。すべてに見覚えがある。見覚えしかない。
少女を見ると同時に、俺が誰なのかを理解した。
彼女は――傾城の魔女と呼ばれた、王国最大の極悪人。人類を滅ぼそうとした最悪の悪女。そしてすべてに嫌われ騙されて、艱難辛苦の道を往くことを約束された不幸の女。悪役令嬢――エレリア・オルタンシアその人だった。
「じゃあ、この世界は……」
息を飲む。嫌につばを飲み込む音が聞こえた。
俺は、学生時代にハマった『ファール スピリング』というゲームの主人公――レオンハルト・イルヴィルだった。
否。レオンハルト・イルヴィルに、なっていた。