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一日の一番最後の講義が終わった瞬間の開放感は、鳥籠から鳥を放ったみたいなスピード感と世界の広がりをもって俺に爽快感をくれる。大勢の学生が流れる講義室の横の道路で、俺はうんと伸びをした。はあ、これで家に帰れる。
家に帰っても特にすることはないが、今日は新しい盗撮画像が増えた。家と大学を行き来して、同じ場所で同じことをするルーチンの生活は本当に無味だが、この画像を家でハードディスクに移すとき、そしてフォルダの中に貯まっていく画像を眺めるとき、俺が唯一刺激的で生き生きとしている。
何が俺の生活をこんなにつまらなくさせているんだろう。ルーチンで飽き飽きする毎日なのか、決まりきったやり取りだけの人間関係なのか。現に、終業で賑わって、友達同士で道端にたまる学生が多い中で、俺だけが無表情のまま歩いている。逆にお前たちは何がそんなに楽しいんだ。友達と話をすることが?自己顕示欲?自己認知欲?共通の趣味?これからみんなで食べにいくご飯?ああ、もう俺がなんとなく飽きているものばかりだ。むしろ、俺がなぜそれに飽きているのか考えるほうが有意義なんだろうか。
俺が盗撮画像を好む理由は、飽きが来ないという点にある。いや、いつか飽きるのかもしれない。しかし、今飽きていない。つまらない生活の中に潜む無防備な性と、それを隠れて支配しているという優越感。画像を使ってどうこうとか、どういう利潤を追っているわけではないんだけど、ああ、これも曖昧だ。
こんなことを考えていることすらつまらないと思えてくる、そんなどうしようもない岐路の途中、見覚えのあるモスグリーンのカーディガンが前を横切った。
(…あ、あいつだ。)
田中先輩が言っていた人だ。宮本。講義室では分からなかったが、カーディガンにシャツとジーンズを合わせている。そして、足早に学生を縫うように歩いていく。
宮本とは家の方向が一緒のようだ。大学横の大通りを過ぎ、学生マンションの集まる住宅街を進んでいく。俺は宮本のあとをつけるように後ろを歩いている。宮本は無駄のない速度でさっさと歩みを進める。
(歩くの早い。)
男の歩幅は広いのか、そんな宮本とは距離は離れない。公園やゴミ捨て場、少し車通りの多い路地を横切って、彼女は小さなアパートに入っていった。
(家か。)
俺はその様子を確認しながら、歩き続けた。
宮本の入っていったアパートは、今時珍しい、少し錆びた外装だった。トタン屋根の駐輪場、無造作に植えられ並べられた植木鉢、床の抜けそうな古びた階段。黄ばんだ外壁を見れば、まるで昭和からタイムスリップしてきた家のようだ。宮本は一階のドアに鍵を入れ、素早く中に入った。玄関の外においてある洗濯機が、昭和っぽさを増長させている。俺はその様子を見ながら、無意識に足を止めていた。その異質なアパートの前で、不思議な雰囲気に呑まれていた。何だこの家。家賃が格安なんだろうか。
しばらく眺めたが、岐路に着くためまた歩き始める。すると、アパートを過ぎたところで、また俺の足が止まった。アパートの立地の関係で、道路から家の中がよく見えることに気づいたのだ。宮本の部屋は一階で、しかも道路からよく見える位置にあった。決して不自然さを出さず、さりげなく中を覗いた。
玄関に入って、おそらく10分も経っていない。しかし、宮本の部屋の中に、かすかに火が光っているのが見えた。
(!?)
俺は一瞬言葉を失った。自分が見ているもののちぐはぐさに、思考が追いつかなかったのだ。
おそらく家の中で一番大きいと思われる窓ガラスを開けて、夕方の暖かな色の空に反して薄暗い室内には、木製のブラインドとみくちゃにされたベッド、そして、部屋の真ん中の木のテーブルの上に大きなアルミの灰皿を置いて、その上で線香花火を燃やす宮本がいた。線香花火は仄かな煙を放ちながら、かすかな火花をあちこちに散らばせている。その火花を手で触りながら、うっとりと微笑むキャミソール姿の宮本の顔。
俺は何を見ているんだろう。
線香花火の火が灰皿に落ちた瞬間に、俺は急いで自宅へ向かった。あいつ、確かに変だ。室内で線香花火をして、あんなに恍惚な表情を浮かべる女はそう多くはないだろう。俺の目にはそんな宮本の表情と、線香花火の火花の散る様が焼きついて離れなくなっていた。